今日のいいこと。

あんまりいいことない日々かも?だけど・・・
1日ひとついいこと発見!しよーっ!

「すぐそばにいたTOMODACHI」を見ました。(第6回難民映画祭)

2011年10月08日 | 映画(DVDも)観ました。

 この日も第6回難民映画祭に行きました。

 とはいえこの日はお休み。

 休みの日まで市ヶ谷まで行きました。

 で、この日見た映画1本目は「すぐそばにいたTOMODACHI」です。

 遠くビルマ(ミャンマー)から命の危機を脱する為に日本へ来た難民の皆さん。

 難民認定を待っている身分の為、本来は自分の住まう近辺の土地から外出することはできません。

 そんな彼らが3.11を経験します。

 難民の方々から見れば、自分の身分もハッキリしてくれない薄情な国、日本。

 強制送還されたら命を失ってしまうかもしれない国へ帰そうとするかもしれない国、日本。

 同じ人間なのに、変な目で見てくる国、日本。

 なのに、被災地東北へボランティアを結成し向かいます。

 泥の描き出しや、細かいところの拭き掃除。その日のボランティア先の大家さんは感謝の声を惜しみません。

 彼らの境遇の説明から、日本の難民認定のハードルの高さ、なぜボランティアをしようと思ったかなどを一人の難民女性を中心に話されていきます。そして彼女を含め、ボランティアに参加した難民男性達が語ります。

 「日本は第二の故郷なんだ」と。

 残念ながら日本国民を守る為、安易に難民認定のハードルを下げるわけにはいきません。

 それに、国民の中では外国人に対する議論も全くなされていない状況です。

 簡単に難民受け入れを拡大しろ!と言うわけにはいかないのです。

 でも、日本なりの人道支援策を考えていきたいところです。

 また、難民認定を待つ間の特別在留許可状態の彼らの待遇の悪さには言い逃れはできません。人道的な理由から在留を許可しても、食べる術がないのでは結果同じです。

 これも震災のあった今では議論にすらできません。日本人が優先だろうと逆効果となるからです。

 できましたら、難民という自分の国を理由無く追われた非常に不安定な立場の人達が、日本のためにボランティアしてくれたらしいよと、何かの機会にお話いただけたら幸いです。

すぐそばにいたTOMODACHI ~ The Neighbourly TOMODACHI


「そのひとときの自由」を観ました(第6回難民映画祭)

2011年10月06日 | 映画(DVDも)観ました。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の主催する第6回難民映画祭へ行って来ました。

 とはいえ・・・

 私が難民について知ったのは数年前。ニュースでみても遠い異国の地の話としてまさに右から左へといった感じで何も知りませんでした。

 なぜそんな私が眠い目をこすり、なぜ観に行ったか?

 それは、ドキュメンタリーにしろドラマにしろ、難民の側からの視点で描かれ、ニュースなどでは伝わらない、伝えられない本当の感情や出来事が描かれていると思うからです。

 

 私は難民に関しての映画としては「ルワンダの涙・ホテルルワンダ」を見たのが最初です。この二つの映画を見て何も知らなかった自分がその虐殺に加担しているかのような印象を持ちました。

 なにやってたんだと。

 何もできないけど、知ることはできたはずじゃないかと。

 胸を痛めることくらいできただろうにと。

 そして・・・

 一昨年のこの難民映画祭で観た「カンボジア-ある家族の夢」という映画でこんな悲しいことがあっていいのかと思いました。

 せめて、知識として虐げられている人がこの世にはたくさんいることを知ることくらいはしなければ。

 

 で、今回見に行ったのは「そのひとときの自由」という映画。

 市ヶ谷にある(九段下のが近いかな)イタリア文化センターで観ました。

 

 イラクから逃げてきた3組(1組の親子・親戚の子を預かった従弟・友人同士の男性)の難民の話です。

 なんとか見つからずに国を抜け出しトルコにたどり着いた3組の難民。

 国連に行き「難民認定を受けるといい」という情報を得てそれぞれに申請に向かう。しかしそこには申請の順番待ちに並ぶ長蛇の列と認定への高い壁が。

 認定を受け無事出国する者、失意の中来た道を戻り帰国する者、道半ばで夢破れる者。

 それぞれにストーリーがありますが、どれもあってはならぬストーリーです。

 

 私はたまたま日本に生を受けました。

 人権に疎い日本人は自らの幸福を改めて感じる必要があると思います。

 

For a Moment Freedom - A Film by Arash T. Riahi

2008年モントリオール世界映画祭 Golden Zenith賞(金賞)作品です。