いつだったか・・・
先月か先々月だかに観ました。
「ミツバチの羽音と地球の回転」。
この映画にミツバチは出ません。
山口県の上関町に建設予定の上関原発に対し、その正面にある島である祝島の方々の原発反対についての熱意を導入に、風力発電にしようという意見を映画にしたもの。
原発建設・稼動により破壊される自然を守ろうとする島民。否が応でも建設しようと汚い手を使って建設を推進する人達。
当然島民側から意図をもって撮影しているのだからそうなります。
でも・・・
反対する人がいれば賛成する人がいる。
反対する人は4割と上映前に配られた紙には書いてあります。具体的数値はないですけど。
では賛成する人は6割いるはず。でも一言も、一人も、出てきませんし語りません。取材してないのでしょうけどね。
大変申し訳ないが、私は島民でもない我々にとやかく言う資格はないと思っているのです。地球規模や日本のエネルギー問題だからと騒いでも、沖縄の米軍基地問題同様、躍起になっているのは思想のある本土の人間と覚めた目で見られてしまい、本来の主役である住民を場外へ追い出してしまうのではないかと思うからです。
なのでよそ者が撮影するには淡々と、事実だけを公平に取材する必要があると思います。
意見があるとすれば住人の方の賛否の意見を流す。言わばニュースのパイプラインである取材者が、情報を運ぶ途中で何らかの混ぜ物を入れることは、彼らが批判の的にしている者達と同様の行いであると考えるからです。
もちろん当然国策でのエネルギー論議には参加しますが、我々よそ者の主義主張・思想信条で本当に住んでいる方々の意志を汚してはいけないと思うからです。どっちに転がっても私は住んでないわけですから。これが福島原発だと事情は多少変わると思いますが。
んで、出てきて反対しているのは現状でギリギリだろうがなんだろうが島民として生活が成り立っている人だけに見えました。生活が成り立っていない人はいないのだろうか?わたしはそっちが気になってしまいました。言わば島の中の格差社会です。そこに付け込んで原発マネーで賛成票を釣ろうとしているのかも知れないけど。
そして、町議会の議場へ暴力で乱入。
電力会社や国が当然踏むべき段階を経ていないと、落ち度を追及し批判を展開するのに、自分達は議会へ乱入し同情を盾に行動を正当化する描写。
話にならん。
次はスウェーデンの話になり、スウェーデンは電力を消費者が選べる制度を導入していて、日本もなんでそうしないんだ?馬鹿じゃないの?的にスェーデン人に言われます。
スウェーデンでは風力発電を中心とする自然エネルギーにシフトしていると。
いきなり青森に飛び、風力発電の風車は3日でできると業者が語る。
さあ!すぐやろう!と。
日本が誇るべき「電力の安定供給」について何一つ語られない。
私は日本国民の判断でそうなるのならかまわないと思います。制度としての安定供給が壊れ、アメリカや北朝鮮のように停電ばかりの世の中になっても。
でもそれが一部の狂った思想の集団や偏った考えの方々の誘導によるものであってはならないと思っているのです。
なぜなら、一番に被害を受けるのは社会的弱者であるから。
計画停電だけでクーラーが止まり、何人のお年寄りや子供が命の危機に陥ったか。立場的に弱い労働者が本来の環境よりもさらに劣悪な環境で働かざるを得ないこととなったか。病院もそう。企業だってそう。
現代では電気はライフラインの一つでしょ?簡単に「我慢すりゃいい」とかいうレベルではないのですよ。
そして・・・
逆に、放射能漏れで1番危険なのは子供たちです。子供の健康は絶対に守らねばならないのです。
この双方を解決しなければならないのです。
白か黒、0か100では話が進まないのですよ。夢物語を語っているうちに時が経ってしまうのです。つまり、本当の長所・短所をつき合わせての解決ができる議論でなければならない。
そう思っているのです。
この映画では、風力発電建設には森林伐採や健康被害のリスクが伴うことや、電力供給に波があることも語られない。風力発電の企業からも支援されているのかは不明ですが、エンドロールには支援者の名前がびっしりと書かれていました。
どうりで。
メタンハイドレートや地熱発電、シェールガスなどの話は全く出てきていないので。
と書いているとたぶん原発推進か?と思われると思いますが、逆です。
私は茨城県の大洗にある水族館が好きで以前はよく行きました。その時に原子力関連の施設前を通過するのです。嫌で嫌で仕方ありませんでした。それは放射能に対する漠然とした不安(放射能漏れてるとかではなく、今事故になったらとか)と人間に対する信用がそんなにないからです。
いくら安全だと言われていても。
今回の福島原発も人災だといわれていますがその話は置いといて、とりあえずの直接の原因は津波です。電気の供給が止まっていなければちゃんと安全に停止したものと考えられるといわれてましたよね?
でも、私はいつか想定外のヒューマンエラーが発生しないとは誰も言えない、この上なく危険な物を人間が扱っていることに違いはない。と思っていたのです。
建設当時、アメリカの設計者が作ったものをそのまま使ったと聞きました。つまり、津波の概念が無いので発電施設を津波に触れるところへ作ったと。
地震の際、総理が現地視察に行ったがゆえに、時間が無駄に引き伸ばされ現地住民の命は危機に晒されました。(その後も官邸のおかしな指示を所長が守らなかったことで、住民を守りました)
制度・システム・仕組みとして正しい判断しか出ないようにすることが命を守るのです。個人の資質に国民の命が左右されては困ります。IAEAでしたか、政治介入が無駄に判断を誤らせたと言われましたよね。上の2つは明らかに判断ミス。無能のなせる技です。
話がずれました。
私としては国有している温泉を活用しての地熱発電を推したいところです。
今、温泉地は不況だと聞いています。これだと原発誘致と同じ論理でよくない考え方なのですが、国定公園を開発できるように法改正して、地熱発電を開発したらどうかな?と最近思っているところです。
と、みんなが考えることが必要だと思うのです。
一方からの長所だけを伝える胡散臭い映画見て洗脳されるより、自分の目で様々な情報を集めて見極める時が来ていると思います。
あ、感想ですか?
NHKスペシャルとか池上彰さんの番組とか見たほうがよっぽど中立だと思いますよ。
坂本龍一さんが「生存権の一つとして、何によって作られた電気を使うか、核なのか、風なのか、太陽の光なのか、選ぶ権利があるはず」とこの映画にコメントしています。
原子力ではなく「核」と言っているところに悪意を感じます。核発電なんて聞いたことないのに。間違いではないですけど。こういうのがくだらないのですよ。
ちなみに「憲法25条 生存権」
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
どこがどう電気に結びつくのか「教授」にお聞きしたいです。
原発反対は33%、賛成は66%、残りは棄権や無効。
特に祝島では賛成10%の人が村八分にされ、陰でひっそり暮らしています。町民の一人として何とかしたいが今のところ、マスコミやブログを通して世論が祝島島民90%を応援しています。
マスコミは10%の民を取材してもらいたい
コメントありがとうございます。
おそらく、そうなのだろうと危惧しておりました。
原発推進の時代に「反対」の声をあげる事が「おかしな事」だったのと同様、今は「賛成」することが「おかしな事」となっています。
もちろん、本文に書きました通り、私も原発反対です。しかし、白か黒ではもう話が進まないことに気がつき、長いスパンでの解決を図るような建設的な議論をもてる時代が早く来るといいと思っています。
第4の革命
http://www.4revo.org/
これを観ると、再生可能エネルギーへのシフトが本当に可能であることがわかりました。
それと、いろいろと利権がやっぱり絡んでるからだいうことも、よ~く見えてきます。
こんな放置状態のブログへのコメントありがとうございます。
このご時勢、原発推進などと大手を振っていえる人はいないはずです。
逆にいるとすれば、それは何らかの理由をお持ちの方(ほぼ経済的な理由だと思います)か、妄信的にならず冷静に見つめておられる方かのどちらかだと思います。
当然、再生可能エネルギーの方がいいに決まっていますが、現地の方々の生活を支えているのはやはり原発であったりします。
原発利権といいますが、再生エネルギー利権だってあるのではないでしょうか?
原発利権はダメで、反原発利権はいいのでしょうか?
何度も言いますが、私は震災以前から日本の『組織>個人』という考え方が信用できず、原発に際しても何らかのヒューマンエラー、それも俗に言うヒヤリハットのようなミスではない、自らの保身のために承認印に判を押すような決済方法が原発にも隠れているのではないかと思っており、太陽光発電の普及を願っておりました。
私自身の考えとしては、一人の日本人として、信用できる情報を精査して学習して自らの考えを持っていたいと考えています。
この映画にしても、所詮映画です。意図する考えを反映する監督がいて、金を出す支援者がいる以上、話半分で聞く必要があると思っており、実際「反対の方しか登場しない、推進派の方々を美化しすぎている」と感じております。
反対派の意見としては真実だと思いますので、反対派の意見として記憶していようと思います。
なので、他のメディアでの賛成派住民の声を聞きたいと願っている次第です。
でも、社会問題全般に言えるのは関心がなくなること。白が黒を叩き潰すのではなく、一度耳を傾ける必要があると思うのです。