京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 隊長!たいちょ~う!

2009年08月04日 | JESSICAの日本滞在記
            
「隊長!」「はいっ」「発見しました!」

隊長自ら虫取り網とかごをぶら下げて、女3人宝が池に繰り出しました。今日は朝からすっきりとした青空。プールから帰るJessieを待っての午後です。

ちょうちょ・とんぼ・バッタ・セミ??誰が捕まえるのとは3歳児。(わたしでしょ~)
ありますあります。静かな池のはたで長きを過ごした命のうつせみ…。
「隊長!ここにあります!」「わかりました!」
「発見しました!」「どこですかー」「ここです!」

   

手を伸ばし、網を伸ばして葉っぱを手繰り寄せる。次第に、どんな場所に発見できるのかを学ぶと、低い目線でどんどん見つめていくわけです。
「こんなところにありました~」隊長の歓声。蛇の皮でした~

「隊長、ここにもありまーす」の声とともに悲鳴!相変わらずの母親です。Jessieに差し出された網の先には殻が付いています。それを嬉しそうにかごに…。
もう誰が何を言ってかごを覗き込もうがお構いなし、私たちの関心は一点に集中です。ただただ嬉々として、3人で「たいちょうー」の声かけを楽しみました。隊長だけが敬礼します。ちなみに、トンボは私のお手柄。スイッ!とすくい捕りました。

隊長!あなたの好奇心と並はずれた体力に、そしてその笑顔に、祝福あれ~~!!

「いつもお山がついて来る」と、比叡山に見守られた平凡な風景の中で、鯉の気を引き、カメと遊び、のどの渇きを潤して何度も遊んだ宝が池。記憶の根深いところで静かに残っていきますように。
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 鬼の行水

2009年08月03日 | 日々の暮らしの中で
「鬼の行水」。
大津絵の代表的なモチーフの一つである。滋賀県の三井寺近くで近世初期より売り出された民衆絵画、土産品としても好まれているという。戯画風で風刺を含んでいる。

英訳で「Devils bath」となっている。「行水」も英語では「bath」。じゃあ、長風呂は何て言うのかと調べてみたが…、要するに入浴するのは「take a bath」なわけで…。
三歳児不在の束の間の時間、われらの素晴らしき日本語の豊かさを多少感じ入ることともなった。

そして、亡き弟の家族に宛てて無沙汰をわび、柔らかな花の写真を添えて近況報告を済ませた。
今年、とりわけの思いを込めて朝な朝な拝顔するこの朝顔は、まさに私のこの夏の『点睛一花』となっている。そう…、タネを残しまた来年も、さらに翌年、翌々年も…だったな。せめて心通わせ合える言葉の一つも返ってくればと欲がのぞく。

本日梅雨明け宣言あり。「心静かなれば即ち身も涼し」だそうだ(白居易)。

ところで「鬼の行水」は、(頭の上に描かれている)虎皮の褌を脱いで湯桶に入ろうとする図。体を洗って、心を洗わぬ者への風刺、と説明されている。カラスの行水でも洗う時間はあるのだろうか。私は長風呂だから時間だけはたっぷり…か。

いずれにしても、心の洗濯をしながら‘精神的避暑療法’でここ一番乗り切れば、この秋、私はどんな変身を遂げていることやら。
コメント (8)
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 聞き合わせながら

2009年08月01日 | 催しごと
                      
舞と音楽(謡・器楽)によって成り立つ能楽。そのうち器楽(笛・小鼓・大鼓・太鼓)の奏者を囃子方という。常は主役の引き立て役。今日は囃子方が主役の演奏会であった。

波の音や、弦をかき鳴らす音を、笛と小鼓の一対一の真剣勝負の中でイメージするのが聞きどころという「絃上」。
獅子が狂ったように遊び戯れる様を笛、小鼓・大鼓・太鼓だけの素囃子で表現する「内外詣(うちと もうで)」。掛け声の応酬に迫力があった。獅子舞を舞うという格調の高さは、最高の境地、秘儀に近いものだと解説された。みなで13曲。

専門的なことにはうとい。が、今年で7回目、うち4回を楽しんだ素人ファン。多くの亡き方々の縁者と出会うお盆を前に、心の土壌に水やり。単純に、日常を離れた空間に飛び出たかったかのような気もする今年。

大鼓の音は脳天を突き抜けていく。謡の、まろやかで優雅な節にうっとり。和した調べが琴線に触れる。魂が揺り動かされると言ったらオーバーか。日本人であることを感謝のひと時。

ステージ上に奏者は、時に二人、多くて五人が横並びに座る。
指揮者がいない。他の奏者のやり方を互いに聞き合わせながら、各自のパートを演奏し、全体の調和を作り上げる。そして一定の約束に従った掛け声でタイミングを取り合っていくのだという。

「みんな違っていい」と言ってしまう前に、聞き合わす・各自のパートに励む・声かけで調和を作り上げる努力……か。そこに、埋もれることのない個の輝きを見る。初めて、みんなそれぞれの輝きでいいんだと思わされる。ひとそれぞれ勝手でいいのではなさそうだ。

メロディーを奏でない小鼓の柔らかな音にも強烈な存在感がある。

コメント (11)
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