舞と音楽(謡・器楽)によって成り立つ能楽。そのうち器楽(笛・小鼓・大鼓・太鼓)の奏者を囃子方という。常は主役の引き立て役。今日は囃子方が主役の演奏会であった。
波の音や、弦をかき鳴らす音を、笛と小鼓の一対一の真剣勝負の中でイメージするのが聞きどころという「絃上」。
獅子が狂ったように遊び戯れる様を笛、小鼓・大鼓・太鼓だけの素囃子で表現する「内外詣(うちと もうで)」。掛け声の応酬に迫力があった。獅子舞を舞うという格調の高さは、最高の境地、秘儀に近いものだと解説された。みなで13曲。
専門的なことにはうとい。が、今年で7回目、うち4回を楽しんだ素人ファン。多くの亡き方々の縁者と出会うお盆を前に、心の土壌に水やり。単純に、日常を離れた空間に飛び出たかったかのような気もする今年。
大鼓の音は脳天を突き抜けていく。謡の、まろやかで優雅な節にうっとり。和した調べが琴線に触れる。魂が揺り動かされると言ったらオーバーか。日本人であることを感謝のひと時。
ステージ上に奏者は、時に二人、多くて五人が横並びに座る。
指揮者がいない。他の奏者のやり方を互いに聞き合わせながら、各自のパートを演奏し、全体の調和を作り上げる。そして一定の約束に従った掛け声でタイミングを取り合っていくのだという。
「みんな違っていい」と言ってしまう前に、聞き合わす・各自のパートに励む・声かけで調和を作り上げる努力……か。そこに、埋もれることのない個の輝きを見る。初めて、みんなそれぞれの輝きでいいんだと思わされる。ひとそれぞれ勝手でいいのではなさそうだ。
メロディーを奏でない小鼓の柔らかな音にも強烈な存在感がある。
ウンザリする蒸し暑さの中で、素敵なひととき・素晴らしい体験をされました。
ついこの前、お話しには聞いていましたね。「囃子方が主役の演奏会」その感動を、色んな思いと重ね合わせながら堪能されてよかったです。
その上で「日本人であることを感謝のひと時。」改めて誇りに思えるって、うれしいですね。
さすがにkeiさん。みんな違ってみんないい…だけではなく、違ったみんなが調和を取って、ひとつのものを作り上げていく、つまり「人との違い」は「自分勝手」ではないとのご指摘。また一つ、ふところに…。
自由と自分勝手の違いがわからない社会で、子供達にその事を教えるのは大変な作業です。
なかなかメロディーにはなりませんが、子供達が時折奏でる、調和のとれた和音が気持ちよいです^^
その一:女学校の友人が謡いをしている。
その二:同じく女学校別の友人の息子が
能楽笛方藤田流11世家元でして、昔は時々鑑賞しました。
静寂の中咳払いも憚られる会場の空気を思い出しましたが、日本人でありながらこの伝統芸能わかりません。
名古屋の能楽堂が出来たとき杉本健吉画伯が鏡板に若松を描き、物議をかもしました。
その後若松をどなたかが描き、今では偶数日と奇数日で交替に使っているようです。いまは昔の物語です。
名古屋は毎日じめじめ、カビが生えそうです。
ぜひ皆さんに、日程をやり繰りしてでも聞きに来て下さいと、声を大にしてお誘いしたい一つです。
来年にはいかがでしょう…???
でこぼこでも、特性があり輝くんですよね。
ただ和してみるための努力ってのが大事かな、と。
必死で努力して周囲と調和を保ったからといって、一つの味がそこに埋もれてしまうことにはならないものですね。
より輝いて見えたり存在感あるものになっていたり…
自分の心の奥にある思いに重ねながら、そんなことを感じているのです。
それぞれの特性が輝きを増せるように…、我が家の子供たちにもそんな事を思ってきました…。
「能」わずかしか見た経験はありませんが、解説が必要です。
その舞台から囃子方だけが飛び出しての公演、となると私にも「音楽」として楽しめます。
能楽堂に鏡板でですか。鏡の間になりそうですね。
別の職業を持っているということに気づきました。
解説された方は、笛方に属し、高校の歴史の教師だったそうです。楽しい解説でした。もっとしゃべりたそうに…。和やかなお話付きの楽しい時間でした。
こちら、今日は日差しが照りつけました。
案外に凌ぎやすかったです。
人と和をなしてなどと言うと、あっと言う間に素っ裸にされてしまうでしょう。
でも、素っ裸で恥ずかしくない私は平気です^^
和をもって貴しと!
LOVE&PEACEです。
PS:本日山口警察署で、2時間の取調べ。元々は相談のはずでしたが、来いと言うので行ってみると、通されたのは取調室^^; 色々話してきましたが、「証拠がないと何も出来ません」との事。結果は今まで通りって事でした。何処に言えば助けてくれるのでしょうね・・・。和を守る警察がこの状況で、子供達を守るのは至難の業です。
お出会いできたことを感謝しとても喜んでおります。
チョクチョク拝見しておりました結果、思い切った次第です。静かな時間を味わっていました。
私には俳句をたしなむ感性、情緒もなく、その代わりに文章でつづっているといったところです。
みなさんからコメントいただきながら、少しは成長しているつもりなのです。が、どうだか!かもしれませんね。
お声を聞かせていただけることでまた一つ学ばせていただけることでしょう。楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
決してrabbit125ccさんがそれだけではないことは(わかっているというのもおこがましい)わかろうとしています…が。
カオスの運営のために、今たくさんの協力を得ていらっしゃることもその現れの一つでしょう。
和の中に埋もれるな、というのは傲慢なんでしょうかね…、いつも思います。
PS、は…困りますね。
子供たちはどう感じるのでしょう。単に反感を強めるだけのことになっては困るわけですが、事情のわからぬものが無責任に言えませんよね・・。