京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「鎮魂の月」

2008年08月13日 | 日々の暮らしの中で
「軍事郵便」が透明の袋に入れられて、昔の写真、絵ハガキなどと混ざって売られています。およそ横20数センチ、縦は12センチぐらいの大きさの用紙ですが、3つ折りにするのでしょうか。

満洲から大阪の家族にあてた一通は、息子として父としての簡潔な文面ながら、行間に、文字面に心が引き付けられました。
   父上様  体丈夫で居てください
   母上様  ……義一は元気でいます
  そして、女性の名が連なります。
  妻へでしょう、「父母の言うことをよく聞くように」
  娘たちへは、「スポーツウマンもいいですね」「妹の面倒を見てください」「英語はどうかな…」
と言葉数も多く語りかけているのです。
また、北京から東京市渋谷区へ向けた一通には、内側の面の右下に絵が印刷されてあり、家族への思いを達筆な文字でしたためてあります。

差出人の運命は?、どんな経路で、なぜこんなところで売られなければならないのだろうか。
供養することはできなかったのだろうか。博物館や記念館で見ているのではない。どれほど多くの便りがこうして往来したかは別として、少なくともこのようなところで、無造作に箱の中に立てかけられて売りに出されていることに、胸が痛んだ。

今朝早く、ちょっと急いだ気持ちで再び足を運んだ「古本まつり」でのこと。太陽もまだ高く、うっそうとした森にも日が差し込んでいました。

お盆の入り。
8月に入り間もなくに墓地の清掃は済まされている。数日に分けて早朝から各戸の墓前での読経に出かける夫。
内陣や、お内仏などを飾り付け、花も立てて、迎える準備は済んでいます。

お墓参りの前後に立ち寄る人。故郷に帰ったからと昔話に花を咲かせるお年寄り。
赤ちゃんの時に連れられてきた子が、数年同行しないうちに、美しい中学生になってのおでましです。
これには驚きと喜びで、思わず声もはずみます。

風が南北に吹き抜ける最高の場所、脇の玄関で接待しながら、ここは、生き字引きと言われる年寄りの出番です。
若い?ものでは「はなし」になりません。

新盆を迎える身内の霊にも手を合わすこととなる。
六日の広島、九日の長崎、十五日の終戦記念日。糺の森で出会った古い写真に残された女性や赤ちゃん、手紙の差出人などなども含め、「日本人にとって八月は鎮魂の月」と言われる長谷川櫂氏の言葉をかみしめながら、合掌。



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2 コメント

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鎮魂の月 (yattaro-)
2008-08-14 22:10:39
古本まつり、やはり二度目の足を運ばれたのですね。一度目のいそいその気持ちが、胸の痛む思いに駆られる二度目になったことは残念でしたね。古本だけでなく、色んな品が並ぶんですね、人の気も知らないで。
まさに8月は鎮魂の月、先日お墓掃除をして、今日改めてお墓参りに行ってきました。くしくも、今日は父の35回目の命日でした。親不孝の数々を悔いながら手を合わせました。少し気持ちが軽くなった気がします。 合掌
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気持は届くのでしょうね、きっと (kei)
2008-08-15 00:13:11
ああしておけば、こうしてあげておきたかった...と本当に後悔と言うのか、思いは尽きないですね。でもそう思うことが供養になるような気がしています。
守られていることを感じます。

母を、2年後に父をと亡くしました。長生きしてほしかったですが。
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