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先日、チケットがあるからと友人に誘われ、ベトナム戦争の報道で知られた写真家・沢田教一(1936-70年)の回顧展を見に行った。
氏は70年に銃撃を受けて亡くなったが、11歳年上の妻のサタさん(92)は開幕日に青森県弘前市から駆け付け、夫の思い出を語られたようだ。二人は三沢基地内の写真店で同僚として出会う。
川を泳いで逃げる母子を撮った「安全への逃避」など一連の写真でピュリツァ―賞を受賞した。名前の記憶などはなかったが、この写真は記憶している。隣同士だったので一緒に逃げた母子二組。沢田は地図にも載っていない地域へ分け入ってこの母子たちを探し出し、賞金の一部を送った。会場のビデオで、右端で抱かれた当時は2歳だった女性が、沢田への感謝の言葉を語るのを聴いた。「会ってお礼が言いたい」。
戦争の残酷な姿が何枚も撮影されている。一方で、子供たちの笑顔に目線を向けた写真も多い。
ちょうど孫たちと数日を過ごして戻ったばかりだった。彼らを目の前の世界に組み込んでチラとでも想像してみると、平和はありがたいなどという思いの前に、胸に迫るものがある。無性に悲しい。こんな体験をさせたくないと涙ぐみそうになるところをこらえるが、幸い誰かにそんな顔を見て取られることはない。それぞれが写真に見入り、きっと思いを共有していただろう。
立ちどまる。見る。自分の目で見る。じっと見つめる。それだけのことが、一瞬一瞬の出来事に忙しく目を走らせることに追われ、ふだんになかなかできにくくなってしまっている、と長田弘さん(『感受性の領分』)。「美術館は自分の目で見るという習慣の大切さを思い出させてくれる」。
この回顧展は、こんなことも考えさせた。
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おかげさまで、16日17日には孫娘Jessieの小学校卒業、弟のTylerの幼稚園卒園を一緒に喜ばせてもらって帰ってきました。
一昨年の5月に来日し、間を置かずに居住地区の小学校、幼稚園に通い始めます。緊張も不安も多々あったはずですが、心配をよそにこのよき日を迎えました。
大きく取り上げられて話題になりました。
他にもいろんな写真をのこされて銃撃で〜。
考えさせられる写真展だったことでしょう。
お孫さんは卒業と卒園が同時に!
佳き日ですね!
赤ちゃんのときから、見せていただいてます。
感無量です。
一昨年の5月に来日されたのですねぇ
チャンコさんはルーくんですね♪かわいい(^^)
ドキュメンタリーは訴えてくるものを感じます
戦争…そんな体験をさせたくないです。
沢田教一の写真は忘れることができない写真です。
戦争の残酷さを突き付けられましたことを覚えています。
お孫さん方の ご卒業と進学、おめでとうございます。
訪れ、歩む道が安かれ、とお祈りいたします。
お孫さんたちはKeiさんはじめ周りのみなさんが見守ってこられ、
健やかに成長なさいました。
本当に嬉しいことです。
「安全への逃避」いつみても何度見ても心痛みます。
私の近くにも幼いひ孫たちいます。
将来が平安無事でありますよう祈るばかりです。
基地内の兵士が撮影したネガの現像を担当するうちに、
心は前線へと向いていったことが記されていました。
寺山修司と初等科で同級生、高等科で再会だそうです。
6歳も違って弟ができ、お節介お姉さんぶりもたくさんありましたけど、
仲良く大きくなりました。ありがとうございます。
今度はいきなり大阪で。
大人の都合に振り回されるようで気になりましたが、仲良しもでき適応したようです。
「ちゃんこ」言うんですね~(笑) 最近正座をするようになったようです。
平和はありがたいことですが、今なお世界各地で戦争やテロが…。
幸せに楽しく暮らしてほしいですね。
ベトナムでも、アメリカ、兵士たちにも、この戦争の傷跡は大きく深いものが残りましたね。
ニュース映像など見ては、穏やかな暮らしが訪れることを願わずにいられないことが多いです。
幅広く体験して心豊かな子に育ってくれることを願っています。
英会話を習わなくちゃ、というほど弟のほうは英語がサッパリのようです。
ありがとうございます。
戸惑いもストレスもあったことと思うのですが、環境うまく慣れ親しめたようです。
先生や指導者、周囲の方々からのサポートがあって、育てられているのですね。
戦場カメラマンの石川文洋氏の言葉が紹介されていました。
テレビや新聞など発信する側が前線の写真や情報を必要としなくなったのか、
受け手が求めないからなのか。
今、そうした情報は遠くなってしまっていると危惧されてました。