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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

蒲生野万葉の森へ

2023年10月13日 | こんなところ訪ねて
秋晴れに、近江「蒲生野」にある「万葉の森船岡山」を目指した。
琵琶湖の東岸、近江八幡から東の方に八日市というところがあるが、その一帯の原野をいう。




667年、飛鳥から近江に遷都し、天智天皇(中大兄皇子)が即位した。
668年5月5日、蒲生野で薬猟(くすりがり)が行なわれた。不老長寿の薬にするため男性は鹿の袋角(出始めの角)を取り、女性は薬草を摘む。
このときに額田王と大海人皇子との間で交わされた有名な贈答歌がある。


大海人皇子が馬上から額田王に袖を振って見せる。〈袖を振る〉ことは愛情表現だと高校時代に習った。

  額田王が作る歌
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

額田王は天皇の弟の大海人皇子との間に十市皇女を生んでいたが、遷都後は天智天皇の寵愛を受けていた。
「そんなことなすっては野の番人がみるではございませんか」

野守を天智と解して、「うちの夫の天智が見るわよ」って調子では品のない歌になる。そうじゃなくって「人が見るではございませんか」がいいんです。「野の番人」としたところに面白みがあるのだ。と言われる犬養孝さん。

大海人皇子は答えた。
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

「非常に豪放で男らしい歌ですね」

犬養孝さんの万葉集は楽しくもある。
元夫がしきりと袖を振る姿をもっと見ていたい見ていたい、けれど危ない危ない。うっとりと陶酔しているような、女性のハラハラとした心持ち。そこまで高校時代に習わなかったなあ。けど「蒲生野」は印象付けられた。一つ望みをかなえた日。



だあれもいない。広々として空も大きく、芝生はふっかふか。あちこちにベンチがある。虫の音と鳥のさえずりばかり。
お弁当をつつきながら、ロマンに浸る。
司馬さんが言われた「精神の酔い」という言葉が浮かぶ。

   秋晴れの日記も簡を極めけり  相生垣瓜人
コメント (6)
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