父の祥月命日を目前にして東本願寺に参拝した。
親鸞聖人の御真影を安置する御影堂は、内陣と外陣あわせて927畳の広さがある。座って対面していると、高校生らしい男女の一団が上がってこられた。
小松大谷高校1年生の東本願寺研修参拝とのことだった。小松って…?
真宗宗歌を唱和したあと、寺の僧侶からお話があり、朝8時に出発し3時間かけての到着に「疲れたでしょう」とねぎらう言葉が掛けられていた。
話の内容は出会いの大切さを説き、それに気づける自分となるために学びがある、というようなことだった。
彼らは親鸞聖人の教えを学ぼうとされる石川県の高校生たち。きちんと顔を上げ前を向いて話を聞く姿は気持ち良い。
式の最後の恩徳讃は音楽に合わせ一緒に唱和させていただく。この恩徳讃は、なぜか不思議と言葉にならない思いがあふれる。
昨日ではなく、今日この時間に参拝したことは、見えない力で引き寄せられていたのだ。彼らに出会わせていただけるよう、布置された出会いだったのだろう。偶然、のようでそうではなく。そう考えてみる。
後方に下がって同席して、よいお参りになった。
くも膜下出血で倒れた父は意識を回復したものの私を娘と認識できず、「お寺の」と呼んだ。穏やかだけど意志的ではない笑顔が、やはり寂しかったが、退院の話が出るようになって誤嚥から肺炎を併発し亡くなった。74歳。写真を見ながら思い出を手繰り寄せている。
【感情に染まらない記憶などないのだ。人間の記憶というのはいつしか創作され改竄され、物語が作られる。記憶は変容する。】『御開帳綺譚』(玄侑宗久)
物語の中で、記憶というものがいかに曖昧なものであるかをさらして見せてくれた。薬師如来の眩しい光に包まれた御開帳。ラストでは救いが描かれた。
ちっぽけな自分を主張するより、〈あずける〉。すると〈いただく〉ものがある。夕子の言葉を自分に引き寄せてみると、得るものがあった。
親鸞聖人の御真影を安置する御影堂は、内陣と外陣あわせて927畳の広さがある。座って対面していると、高校生らしい男女の一団が上がってこられた。
小松大谷高校1年生の東本願寺研修参拝とのことだった。小松って…?
真宗宗歌を唱和したあと、寺の僧侶からお話があり、朝8時に出発し3時間かけての到着に「疲れたでしょう」とねぎらう言葉が掛けられていた。
話の内容は出会いの大切さを説き、それに気づける自分となるために学びがある、というようなことだった。
彼らは親鸞聖人の教えを学ぼうとされる石川県の高校生たち。きちんと顔を上げ前を向いて話を聞く姿は気持ち良い。
式の最後の恩徳讃は音楽に合わせ一緒に唱和させていただく。この恩徳讃は、なぜか不思議と言葉にならない思いがあふれる。
昨日ではなく、今日この時間に参拝したことは、見えない力で引き寄せられていたのだ。彼らに出会わせていただけるよう、布置された出会いだったのだろう。偶然、のようでそうではなく。そう考えてみる。
後方に下がって同席して、よいお参りになった。
くも膜下出血で倒れた父は意識を回復したものの私を娘と認識できず、「お寺の」と呼んだ。穏やかだけど意志的ではない笑顔が、やはり寂しかったが、退院の話が出るようになって誤嚥から肺炎を併発し亡くなった。74歳。写真を見ながら思い出を手繰り寄せている。
【感情に染まらない記憶などないのだ。人間の記憶というのはいつしか創作され改竄され、物語が作られる。記憶は変容する。】『御開帳綺譚』(玄侑宗久)
物語の中で、記憶というものがいかに曖昧なものであるかをさらして見せてくれた。薬師如来の眩しい光に包まれた御開帳。ラストでは救いが描かれた。
ちっぽけな自分を主張するより、〈あずける〉。すると〈いただく〉ものがある。夕子の言葉を自分に引き寄せてみると、得るものがあった。