京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

100年水底に

2023年10月04日 | こんな本も読んでみた

「わし」は葛川(かつらがわ)村に生れて100年あまりになる山椒魚。
葛川坊村葛川谷(明王谷)の滝壺の底に棲み着いて、何十年かになる。

近江の国の明王谷は、比良山の豊かな水を集めた山深い山中にある。大小の滝がいくつもあって、比叡山や比良山を回峰してきた修験者が滝に打たれ、呪言を唱える。その声を、わしはじっと聞いている。

895年、ここで滝に打たれて修行していた相応という修行僧が不動明王を感得したという。
そして刻んだ不動明王像を祀って、息障明王院を建立した。

ある日、若い修験者が「もう神仏の感得はあきらめる」と背負っていた笈籠を岩に叩きつけた。その拍子に、籠の中にあった金色に輝く蔵王権現が飛び出し、滝壺の水底に沈んできた。
この物語は、蔵王権現と山椒魚との世間話が綴られていく。

山椒魚は思っている。「いくら修験者たちが歳月を重ねて呪練難行したとしたとて、誰もが悟りを得られ、仏を感得できるものでないことは、はっきりしている」。
蔵王権現も言う。「まことをいえば、悟りや感得ともうすものはないのじゃ」、と。

幾度も幾度も季節は巡るが、山椒魚はときどき谷を「よたよた」移動するだけで、「高い志など持った覚えもない」。滝壺の底にじっと潜んで「途方もなく退屈を感じ」ている。そして、いつまで生きるのだろうと「生きているのにもう飽きてきた」。

つまるところは、私も山椒魚みたいなものかな?


「比良の水底」(澤田ふじ子『閻魔王牒状 滝に関わる十二の短編』収)の存在を知って、以前から息障明王院を訪れてみたいという思いがあったので、この編だけだが読んでみることにした。
この短編の舞台を訊ねてみたい。小さな集落坊村の風景は“名画のごとし”とか。

同行者が欲しい。募ってみようか
一緒に行きたい人、この指と~まれ!
           
        (偶然9/26の朝、テレビで山椒魚の話題を)

コメント
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