京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

映画「山歌」 共に、生きる

2022年05月24日 | 映画・観劇
     映画「山歌(サンカ)」を観た。
時代は、高度成長にわく1965年。
顔に訳ありな傷をつけて祖母が暮らす山奥の田舎にやってきた中学生の則夫。
〈山で偶然サンカの一家(少女ハナ、ハナの父、祖母)と出会う。都会の生活に馴染めず、厳格な父親の下で生きづらさを感じていた則夫は、自然と一体化した彼らに引かれていく〉。山の開発計画を進める父。則夫は、「自分はここで生きる」と宣言し、父に向ってある行動に出る。
ラストシーンには、中学校の制服を着て駆ける二人と思われる後姿があった。

則夫の母は山で死んだ。満天の星を見上げながら、「お母さんも、あの星のどこかに?」とつぶやく則夫に、間をおいてハナのばばが「同じ大地だ」と返した言葉が心に残る。生者も死者も同じ大地で生きて眠る。ばばも山に葬られた。
食べるものがなく空腹だ。川魚を捌いて売りに歩くも邪見に追い返され、山中で地団太を踏み、吠えるハナの父。村人は彼らを「サンジン」「ヤマビト」と呼んだ。

  〈瀬戸内海には「家船(えぶね)漁民とか「家船」衆と呼ばれる“海の漂泊民”が存在した。一方、その海の背後に広がっている中国山地の山中には「サンカ」という“山の漂泊民”が実在していた。彼らの末裔に合うことが旅の目的の一つだった〉と記し、
また、〈異動する人々、流浪の民が現在の日本の体制のなかにどう生きるか〉〈現在の社会体制のなかに後からはいりこむという大きなハンディキャップを、彼らがどう解決していくかという問題。それには相互扶助ということが大事になる〉とも。
家船について最初の論文を書いたのは柳田国男だったとか。柳田国男が把握するサンカの姿を文中に引いている。

「日本人とは何か。日本人の生活は、どういう歴史をたどってきたかを、柳田国男は疑問の根幹として追求し、疑問に答えるのに70年を費やしている。疑問の熟してくるのを気長に待ち、青いうちにもぎ取ろうとは絶対にされなかった」(山本健吉による追悼文より)
それを聞いて…、まだ3分の1ほどだが、時間をかけてでもゆっくりゆっくり読んでいこうっと。


映画のあと京都御苑でひと休み。吹き抜ける風の心地よかったこと。
コメント
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