女優の綾瀬はるかさんがコロナに感染、肺炎症状が出て入院されたという報道は耳にしている。医療崩壊が言われ、入院もできぬまま多くの感染者が療養施設や自宅で不安や苦しさに耐えているのが現状だ。そうした中でもすんなり入院できるんだな…と正直思った。
今夕、ネットでのニュースで、この対応が中傷の対象になっていると知った。
〈『上級国民』は優先的に入院できるのか〉という声だそうだ。それを読んで、女優が上級国民?!と思ったことが立ち止まるきっかけになった。
「上級国民」とは、〈社会的地位の高い人間を指すネットスラング〉と説明されている。綾瀬はるかさんが嫌いというわけではない。ただ、女優って社会的地位が高いの?など思いながら、なんかイヤーな反応がわいてくる。いやな言葉だなと感じる。
以前、酒井忠康氏の著書を通して、住井すゑさんが、桂離宮で茶の湯を楽しむ「文化人」を一笑に付されたことを知った。氏は、住井さんの『私の童話』(新潮文庫 1992)の第1ページで驚かされたそうだ。 少し長いが引用してみる。
これは『わたしの童話』です。小学生のころから、農繁期には田んぼにはいり、夜まで大人にまじって働いた、“私の童話”です。ただ一つのたのしみ(生甲斐)は、文字を読むことでした。世に言う習いごと - 茶の湯や生け花とは全く無縁で、ひまをぬすんでは活字をあさりました。これが私の履歴です。
さて、先日、テレビを見ていたら、“桂離宮で茶の湯を楽しむ文化人”と言いました。とたんに私はふき出しました。文化人とは、労働者、農民、つまり人間が生きていくのに絶対に必要な物資を作りだす人たちのことであって、桂離宮で茶の湯をたのしむ類の人たちではないからです。
「長くこういうものだと思い込んでいることに関して疑義を呈している。徹底的に見直し、考え直す必要があるという感じを私もまた抱いた」と酒井氏は記していた。
この文章の記憶が私を立ち止まらせたのか。あるいは言葉への私の感覚がそうさせたのか。個々の社会的存在、命の重さに上下はないだろう。こういう言葉を使うことは、それらに差をつけ、貶めている様な気分の悪さを感じてならない。不快な言葉、嫌いな言葉は使わないでいたい。
SNSもとんと興味がない人間が、「上級国民」という言葉にストレートに反応してしまった。

今夕、ネットでのニュースで、この対応が中傷の対象になっていると知った。
〈『上級国民』は優先的に入院できるのか〉という声だそうだ。それを読んで、女優が上級国民?!と思ったことが立ち止まるきっかけになった。
「上級国民」とは、〈社会的地位の高い人間を指すネットスラング〉と説明されている。綾瀬はるかさんが嫌いというわけではない。ただ、女優って社会的地位が高いの?など思いながら、なんかイヤーな反応がわいてくる。いやな言葉だなと感じる。
以前、酒井忠康氏の著書を通して、住井すゑさんが、桂離宮で茶の湯を楽しむ「文化人」を一笑に付されたことを知った。氏は、住井さんの『私の童話』(新潮文庫 1992)の第1ページで驚かされたそうだ。 少し長いが引用してみる。
これは『わたしの童話』です。小学生のころから、農繁期には田んぼにはいり、夜まで大人にまじって働いた、“私の童話”です。ただ一つのたのしみ(生甲斐)は、文字を読むことでした。世に言う習いごと - 茶の湯や生け花とは全く無縁で、ひまをぬすんでは活字をあさりました。これが私の履歴です。
さて、先日、テレビを見ていたら、“桂離宮で茶の湯を楽しむ文化人”と言いました。とたんに私はふき出しました。文化人とは、労働者、農民、つまり人間が生きていくのに絶対に必要な物資を作りだす人たちのことであって、桂離宮で茶の湯をたのしむ類の人たちではないからです。
「長くこういうものだと思い込んでいることに関して疑義を呈している。徹底的に見直し、考え直す必要があるという感じを私もまた抱いた」と酒井氏は記していた。
この文章の記憶が私を立ち止まらせたのか。あるいは言葉への私の感覚がそうさせたのか。個々の社会的存在、命の重さに上下はないだろう。こういう言葉を使うことは、それらに差をつけ、貶めている様な気分の悪さを感じてならない。不快な言葉、嫌いな言葉は使わないでいたい。
SNSもとんと興味がない人間が、「上級国民」という言葉にストレートに反応してしまった。
