ある駅に電車が停車した時、お爺さんが乗り込んで来られたのをぼんやり目で追った。入り口近くのシートに腰を下ろして、読むともなく本を広げていた私はすぐまた下を向くことになるのだが、次に顔を挙げたのは「あっ、杖、杖!」という男性の声でだった。
私の真向かいの席に座る二人連れの一人が、横並びになるお爺さんを見ていたようだ。
彼は「よかった。間に合った」と、すぐに後戻りされたお爺さんの姿にそう口にした。一緒にいた女性からは「杖がなくても歩ける…」といった言葉が漏れた。確かに、杖がなくても歩けるのかもしれない。が、咄嗟に、もう一方の想像を働かせたこの若者のやさしさに少しの感動を覚えていた。
秋晴の何処かに杖を忘れけり 松本たかし
あいにくの雨降りに傘との併用がうっかりの元だったのかもしれない。
誕生から1年1カ月が経ったTyler、今では両腕を上げてバランスを取りながら自在に歩きまわるようになってきたという。追いかけるとキャッキャッと声をあげて逃げまくる。その逃げ足の速さに母親が喜び、追いかけまわしているに違いない。バスタブの中にキッチン用のざるが出てきたというが、おこれまい…。
ヤジロベエだ。タイラ兵衛はまだまだバランスは悪い。けれども、倒れまいとするよりも、失敗しても大丈夫な力量を持つことの方が大事だということになるはず。人間が立ちあがり、歩き出す頃から繰り返し繰り返しそれを体得しているはずなのに、どうして忘れてしまうのだろう。
この道もオモシロイ。張りのある大切な道だけど、向こうにも別の知らない道がある。いろいろな世界を知っていたら心も広がり、結果的にはコケテも強いバランスの良さも身につくかもしれない。この笑顔の消えることがないように…。
(小林良正さんのほほ笑み地蔵)