京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「時間の不思議」

2008年09月06日 | 日々の暮らしの中で
「時間の不思議」。
時間はそれを意識する人によって様々に受けとめられる。
あっという間の短く感じる時間もあれば、長く感じる時間もある。

あわただしく用事を片づけ、ときに人との応対、ときには公用まがいに車を走らせ、日々の雑務…。自分のためだけに使う時間も欲しい。
次々に多くのことを処理し、あっという間に一日が終わってしまう…、このように感じる日がなんと多いことか。
本を読んだりどこかへ出かけたり、または所在なく過ごしたいものと願う。
ところが、たまにそんな日があると、ああ、今日は何もすることがなく、やけに長い一日だったという言葉が出る。

あわただしい時間を送るときというのは、時間が自己の内面に触れることがなく、表面的に流れるだけなので手ごたえの無いものになるため、あっという間の時間になってしまうのだという。
一方、時間が長く感じられるときというのは、≪共通感覚≫つまり五感―視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚―を働かせ心を開いて、自己の内面に触れながら過ごしているときなのだという。

いうならば、人間は充実した豊かな時間を生きるためにこの感覚を生き生きと活動させることが大事となるわけだ。
「時間の不思議」、時間は、この根源的な共通感覚と結びついているのだという、中村雄二郎氏の文章に触れた。

今日は娘から依頼のあった本を探しに河原町へ。
先日来、気になっていた本があって...ついでに買うことにした。

帰り道、いつもの一つ隣りのベンチに腰かけて一休み。
風が通り抜け、森林浴気分で眠くなるほどの快適な場所。

    
    大きな切り株の上で、全く心許して?
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする