京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「やっぱり」って?

2008年09月04日 | 日々の暮らしの中で
兄弟も自分もやっぱり、やっぱりやったことないし、やっぱり見たこともないし、やっぱり、やっぱり信用のある病院で、やっぱり、やっぱりもう一度・・・」
(今朝のワイドショー番組で何度となく耳にしました。)

先日のオリンピックで、また日々街かどでのインタビューで、どれほどこの「やっぱり」が横行していることでしょう。耳障りでたまらず、「全然やっぱりじゃないですよ!」と、くいさがりたくなる思いです。
後が続かなくて、それはもう接続詞まがいの「やっぱり」です。極端な例ですから、問題外ですが。
相手の何に同意しているのでしょう。今まで通り依然と何か、どこかが同じなのでしょうか?

日ごろ、相手の思いや考えを推測しながら受け答えすることは多いかなと思います。
反応を気にしすぎる、それは「潜在的な意識」として話し方の基本に横たわっているという。言いたいことも十分に言えないまま終わる。「日本語会話の伝統的欠陥」と作家・吉村達也氏は表現されています。

相手(親しい友人であっても)への理解に立脚したところで言葉を発することが求められるのでしょう。
「こんなこと言ったら怒らせるかな?」はちょっと違うのです。気にして口をつぐめば思いは届かない。
届いた言葉には、耳を澄まして受け止めよう。
つたなくても自分から言葉を発しようとすることの大切さを感じます。

極力「ものの言いかた」を意識して、“おかしくない”話し方に努めよう。
「やっぱり」騒動からくどくどと考えてしまいました。

コメント (6)
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