水仙のこぼれ話

         風に揺れる水仙の花から時折余談が零れ落ちてくる

扇子のけむり

2015-07-20 | 頭の空回り
(風景写真について)「作品はあくまでも作者からの発言です。
ただ色が美しい、構成が目に心地よい、というだけでは
物足りないと感じてもらいたいものです。ここが風景写真の難しい点です。
作者の肉声がなかなか聞こえてこない映像になりがちなのです。
声が聞こえたとしても、ほとんどの場合、嘆声です。
美しいなあ、というため息のような一言です。
もちろん美しいことはすばらしいことですが、
その美しさがかなり類型的である点も大きな問題です。
簡単にため息をついてもらっては、というすこし意地悪な思いが
こちらにはあったりします。(中略)
風景撮影の場合にも、シャッターチャンスという考えを
できるだけ取り入れるということです。子どもの写真とか、祭りの写真では、
どの瞬間を選択するか、当然のように作者は頭を捻り、行動していくのですが、
静かな風景を前にしても、この瞬間しかない、というタイミングを意識して
撮影していくのはどうだろうか(中略)。
風のそよぎ、霧の流れ、水の波紋、自然は移ろいを見せています。
そのようなことを頭の隅に入れて自然界にカメラを向けていくと、
類型的な映像から少しは脱却できるかもしれない(中略)。」
《秋山亮二著『扇子のケムリ』法曹会発行》より。

プロの写真家の文章ですが、写生俳句にも全く当てはまるような気がします。


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