(風景写真について)「作品はあくまでも作者からの発言です。
ただ色が美しい、構成が目に心地よい、というだけでは
物足りないと感じてもらいたいものです。ここが風景写真の難しい点です。
作者の肉声がなかなか聞こえてこない映像になりがちなのです。
声が聞こえたとしても、ほとんどの場合、嘆声です。
美しいなあ、というため息のような一言です。
もちろん美しいことはすばらしいことですが、
その美しさがかなり類型的である点も大きな問題です。
簡単にため息をついてもらっては、というすこし意地悪な思いが
こちらにはあったりします。(中略)
風景撮影の場合にも、シャッターチャンスという考えを
できるだけ取り入れるということです。子どもの写真とか、祭りの写真では、
どの瞬間を選択するか、当然のように作者は頭を捻り、行動していくのですが、
静かな風景を前にしても、この瞬間しかない、というタイミングを意識して
撮影していくのはどうだろうか(中略)。
風のそよぎ、霧の流れ、水の波紋、自然は移ろいを見せています。
そのようなことを頭の隅に入れて自然界にカメラを向けていくと、
類型的な映像から少しは脱却できるかもしれない(中略)。」
《秋山亮二著『扇子のケムリ』法曹会発行》より。
プロの写真家の文章ですが、写生俳句にも全く当てはまるような気がします。
ただ色が美しい、構成が目に心地よい、というだけでは
物足りないと感じてもらいたいものです。ここが風景写真の難しい点です。
作者の肉声がなかなか聞こえてこない映像になりがちなのです。
声が聞こえたとしても、ほとんどの場合、嘆声です。
美しいなあ、というため息のような一言です。
もちろん美しいことはすばらしいことですが、
その美しさがかなり類型的である点も大きな問題です。
簡単にため息をついてもらっては、というすこし意地悪な思いが
こちらにはあったりします。(中略)
風景撮影の場合にも、シャッターチャンスという考えを
できるだけ取り入れるということです。子どもの写真とか、祭りの写真では、
どの瞬間を選択するか、当然のように作者は頭を捻り、行動していくのですが、
静かな風景を前にしても、この瞬間しかない、というタイミングを意識して
撮影していくのはどうだろうか(中略)。
風のそよぎ、霧の流れ、水の波紋、自然は移ろいを見せています。
そのようなことを頭の隅に入れて自然界にカメラを向けていくと、
類型的な映像から少しは脱却できるかもしれない(中略)。」
《秋山亮二著『扇子のケムリ』法曹会発行》より。
プロの写真家の文章ですが、写生俳句にも全く当てはまるような気がします。