水仙のこぼれ話

         風に揺れる水仙の花から時折余談が零れ落ちてくる

漱石山房

2016-10-31 | 散歩の写真


早稲田大学から少し南にある地下鉄東西線早稲田駅前の交差点角に夏目漱石誕生の地がある。漱石の実家の跡である。漱石の実父はこの辺の名主であって、明治維新後は区長になった人であった。夏目家の家紋を基にこの地を「喜久井町」と名付けたり、家の前の坂を「夏目坂」と名付けたそうだ。







早稲田駅交差点から早稲田通を東に10分ほど歩いたところに「漱石公園」がある。ここは、漱石が朝日新聞に就職し専業の小説家になった40歳からなくなる49歳まで住んでいた「漱石山房」の跡地である。現在、建物は建設工事中でプレハブの事務所があるのみだが、いずれ山房の書斎も再現されるような建物ができる予定だそうだ。
新宿区に長く住んでいる人々には漱石を新宿の誇りと思っている人が多い。







関口芭蕉庵

2016-10-31 | 芭蕉


新江戸川公園から江戸川沿い(神田川をこの辺は江戸川と呼ばれる。)にほんの少し東に歩くと胸突坂の上り口の角に「関口芭蕉庵」がある。
ここは、かつて芭蕉が水道工事に携わっていた頃にその工事事務所(水番屋)があったところという縁のようだ。
芭蕉は、29歳で江戸に下り、35歳で宗匠として独立(立机)するまでの間に、水道工事関係の仕事に携わったようだ。文京区作成の資料には「神田上水の改修工事を監督したと言われています。」と書かれている。どんな仕事をしたのか明確にはなっていないが、事務の手伝いをバイト的にしていたのではないかと私は思う。
芭蕉庵の建物は、句会等に貸し出しをしている。玄関の右手の部屋は開放しているので入ることができる。










深川の芭蕉庵に植えられていた芭蕉もここに植えられている。
何故か「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑がある。






神田川の対岸にわたると早稲田で、早稲田大学のキャンパスには自由に入れる。銀杏の黄葉は少し始まりかけていた。




都の西北摂理銀杏を色付けり

新江戸川公園

2016-10-30 | 散歩の写真


永青文庫と同じく細川家下屋敷跡にある新江戸川公園へは永青文庫から通用口から入ることができる。
ここは下屋敷の庭園を区立公園として維持している。




この公園では、熊本独特の花である「肥後六花」のうち、肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後山茶花が見られるそうだが、今はいずれも見られない。紅葉もまだ始まっていない。従って、人は殆どいなかった。




仙厓ワールド展

2016-10-30 | 展覧会


目白台にある永青文庫で開催されている仙厓ワールド展を見に行った。
永青文庫は細川家が収集した美術工芸品(国宝8点、重要文化財32点を含む。)を所蔵している博物館で、細川家下屋敷跡に建てられている。旧細川侯爵家の家政所(事務所)が使われている。






永青文庫創設者の第16代当主の細川護立氏が100点以上の仙厓作品を所有しており、今回4期に分けて展示される。
現在の第Ⅰ期には、龍虎図、南泉斬猫図、指月布袋図、朝顔・夕顔図など、仙厓の代表的な禅画が見られる。
仙厓の禅画は何回見ても飽きない。ユーモラスな中に厳しい教えがある。自分や弟子の僧侶には厳しく生きた仙厓は隠居後には庶民の人々にやさしく禅の教えを伝えた。悟りの生き方とはこういうものかとも思うが、悟りには無縁な私は、隠居生活はひとに優しく生きようと思う程度で、お茶を濁している。




この秋、禅に関する展覧会は、東京国立博物館の禅展、出光美術館の大仙厓展、永青文庫の仙厓ワールド展の三つが開催されている。私はこれで三つともに見ることができた。禅が少し身近に感じることができそうだ。

子規庵

2016-10-22 | 散歩の写真


鶯谷駅徒歩5分の所にある子規庵を訪れた。正岡子規が亡くなるまでの8年間の住居跡である。旧前田家下屋敷の元侍長屋の二軒続きの一戸で、8畳と6畳2間の粗末な住居である。6畳間を子規の寝室に使い、8畳間で句会等に使ったそうだ。ここで母親と妹の3人住まい。庭も小さいが、糸瓜、鶏頭など子規の頃の様子を残している。ここで病と闘いながら、数々の名句や著書を著したと思うと感慨深い。








文人の誰それを見し糸瓜棚