原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

「彼女は死をどう踊ったのか ~ 死を想う その3」

2014-06-25 | 生と死を考える
大阪WSプロデューサーの大正まろんさんの「メメント・モリ」その3。


その1はこちら
その2はこちら

5月に行った大阪WSでのこと。
「死のワーク」です。

谷川俊太郎の詩と
「葉っぱのフレディ」の中の言葉が、
皆の旅をナビゲートしてくれた。

**********

【死を想う 其の1・其の2の続きです】

【死を想う 其の3】
いつも大阪WSの前に、キョウコさんと打ち合わせをする。
事務連絡のみならず、話はあっちに飛んだりこっちに飛んだり長電話・・・。

それはまだ顕在化していない、
意識の下にある「何か」を探る意味合いもある。

私自身が気になっていることは、他の誰かにもそうで、
WSの場にいた人たちで考えを補完しあえたり、
たくさんの人にとってそのことを考えることが必要だったり
ということがキョウコさんのWSではよく起こる。

「最近、死をどう捉えるかみたいなことが気になっている」
という話をキョウコさんに投げかけ、
やはり5月のWSのテーマは「生と死」かなと、ぼんやりと大枠が決まった。

大阪の「表現と癒しの間で」のWSは、いつもABCと3つのプログラムがある。
Aは、触れるということをテーマにしており、
Bは、イメージを使って、ペアやグループで遊んだりする場合が多く、
Cは、一人で深くイメージの世界を踊る場合が多い。

いずれにせよ、キョウコさんが考えてきたメニューを押し付けるのではなく、
その場の雰囲気や参加者の様子をみて、
適したものを提案しファシリテイトしてくれる。

さて、
ここからは5月のCプログラムで私が体験したことを書いてみたい。

Cプログラムでキョウコさんから提案されたのは
「死を踊ってみませんか」ということだった。

「人間の死はちょっとリアルすぎるかもしれないので、
自然の中の何かになってみるのものいいかもしれません。
「死」は怖いからやだ、という方は誕生、生まれてみてもいい。」

ちょっと戸惑ったような様子の参加者の雰囲気を察し、
キョウコさんは、絵本の「葉っぱのフレディ」の一節と、
「死と詩をむすぶもの」徳永進&谷川俊太郎の往復書簡から
俊太郎さんの以下の詩を朗読してくれました。

**************

「さようなら」
私の肝臓さんよ さようなら
腎臓さん膵臓さんともお別れだ
私はこれから死ぬところだが
かたわらに誰もいないから
君らに挨拶する

長きにわたって私のために働いてくれたが
これでもう君らは自由だ
どこへなりとも立ち去るがいい
君らと別れて私もすっかり身軽になる
魂だけのすっぴんだ

心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな
脳髄さんよ よしないことを考えさせたな
目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた
みんなみんな悪く思うな
君らあっての私だったのだから

とは言うものの君ら抜きの未来は明るい

もう私には私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものの仲間になろう』

**************

「葉っぱのフレディ」は、春に生まれた葉っぱのフレディが
秋には枯れて落ち葉になるという命の営みを描いた作品。

「ぼく 死ぬのがこわいよ」とフレディが言いました。
「そのとおりだね」とダニエルが答えました。
「まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ でも考えてごらん。
世界は変化しつづけているんだ。変化しないものなんて ひとつもないんだよ。
ぼくたちも変化しつづけているんだ
死ぬということも 変わることの一つなのだよ」
(本の帯から抜粋)


**************


詩や絵本からヒントをもらった人が多く居たようで、
「死のワーク」がゆるやかにスタート。

私は、葉っぱのフレディならぬ、葉っぱのまろんになっていました。

春に生まれたばかりの楓の小さな葉でした。
陽を浴び、月の光を受け、虫の声と一緒に揺れ、踊りました。
夏が来て激しい台風にも耐え、恋をして、葉も太く大きくなり
たくましくなりました。

自分は同じ場所に在りたかったのに、
ぐんぐんと木は枝を伸ばして、どんどんと高い方へと押されていきました。
変化というのは、自分の中だけで起こるのではなく、
周囲によっても引き起こされることもあるのだと気がつきました。

やがて秋がきて、私の体は赤く色づき、水分が次第に失われ、
息もそんなにせずともよくなり、おなかもそんなにすかなくなり、
心には波風が立たず、
こういう平穏な境地というのがあるのだなと思ったのです。
そして私は、すううっと枝を離れ、ふかふかの土の上に落ちました。

土の上に落ちた私は、葉っぱではなく、
人間のおばあちゃんになっていました。

病院のベットで、周囲には若い人たちがいて、辛そうに泣いていました。
「死なないで いかないで」と言われて、
私はもう十分に生きたし、今とても満足しているのだから、
それを一緒に喜んでほしいと思ったけれども、
それを言葉にはできませんでした。

それが誰かに伝わったのか、
「今まで よく生きたね よく頑張ったね」という声が聞こえました。
その声は「いつでも好きな時にこの世を離れていいからね」とも言ってくれました。

それを聞いてようやく私は安心して、目を閉じるように人生を終えました。

自分の体は土へと還っていき、
これからは色んな命をはぐくむ土台になるのだなと思いました。

それとは別に、口から白く輝く蝶になって 
私の一部は宇宙へ飛んでいきます。

ようやく命の源へ還っていけると嬉しくなりました。
白い蝶になって宇宙を飛びながら、いろんなことが見えました。

・命には長い短いもなく、その生きた時間そのものが必然であること、
(それを私はちゃんと認めなくてはいけないと思いました)

・自分は生きていることを当たり前のように思っているけれど、
 じつは植物でいう花が咲いている時期が特別なように
 死というベースがあって、
 生はそこに咲く花のような特殊な時間なのかもしれない。

・生も死も すべては今この時間に同時に存在していて、
 そして生きているこの私は色んな命を頂いてここに在るのだと。

「自分の肉体にゆっくりと戻ってきてください」というキョウコさんの声が聞こえ、
私は、脱いだ服を再び着るように、ゆっくりと自分の体に戻ってきました。

懐かしい自分の体。
生きているってすごいことだな、私の命と体に感謝の想いがあふれました。

目をあけるとキョウコさんが側にきていて、私をしっかりと抱きとめてくれました。

それは、映画の「ゼログラビティ」のラストシーンのような
私がもう一度生まれた瞬間でした。
安堵感でまたもや、ぼろぼろと泣いてしまいました。

と、こんな命の旅でした。

日常に戻ってみると、
ものの見え方に変化が生じています。

役目を終えたものたちに愛しさを憶えるようになりました。
虫の死骸を、まじまじと見られるようになったりね。

みんな必ず死ぬのにもかかわらず「死」の話題は遠ざけられていること。
「死=だめ!」と、過剰な忌みや否定があることなどにも
ちょっとずつ違和感を憶えるようになった。

臨床医師の徳永さんの言葉を借りると「死への過緊張」というのかな。
もちろんあってはいけない死があるのは確かだけれど、
ニュアンスは難しいんだけれど、死はあるもの、死は自然な事という風に思えたら、
生きていることがもっと生き生きとしたものへと
変わっていくのではないかと思うようになった。

これから私は死に対する過緊張を緩和して行けるようなことを
考えたり学んだりしていけたらいいなと、ちょっと思っている。
ものすごく漠然としているけれど、いまはそんな感じかな。

以上、
粗雑な長文を最後までお読みくださり感謝。

大竹野さん、マコちゃん、キョウコさん、保山さん、その他たくさんの皆様
いろんな気づきを与えてくださりありがとうございます。

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