原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

象徴的な死の記録〜2008/11のこと

2017-09-24 | 生と死を考える



この10年ほどの自分の振り返り作業をしている。
2006年 実家売却に伴う片付け作業をしている間に父をがんで亡くし、
2007年は春の検査で自分にがんが見つかり、
10月に最初の手術を受けるまで(形成も含めて3回の手術となった)
大いに心が揺れ、様々なことを考えた。

仕事の仕方、家族との関係、
そして何よりも自分自身のあり方を見直す時期であった。
術後の投薬治療も「真綿で首を絞められるような苦しさ」であり
深い抑うつ状態になった。
冷え、体力の低下、抑うつ、不安定な体調がなんとか回復してきたなと思ったのは
それから3年ほど後であったと思う。

この記録は最初の手術の翌年の秋。
あるWSを受けた時のものである。
自分のために書いたもので、人が読んでも面白くもないと思うが
ここに載せておこうとふと思った。

この中のイメージでも出てくるが
「赤い土の大地」は
夢や瞑想でもなんども出てくるもので、
どうやらそれは現在のアメリカ大陸らしい、ということが後からわかった。
(自分の過去世がネイティブアメリカンだったことは何人かから指摘され、誘導瞑想でも見たことがあった)

身体に浮かび上がる感覚と浮かんでくるビジュアルイメージが
先導者であり、どこに行き着くのか
何を求めているのかも、自分ではさっぱりわからず一切のコントロールもしなかった。
その流れに乗れたこと、このセッションで「死」を体験できたことが
その後、自分の意識を大きく変えてくれたように思う。
思い返してもいい体験だった。
シッターの方がそれに自然に寄り添ってくれていたことに改めて感謝。


病を得ての何年間か、複数の良き治療者にも出会うことができた。(単に医学的な意味ではない)
さまざまなところでそれまでにない大きな体験をした。
これは病に抗わずにいたのが大きいのだろう。
受け入れる、ということの難しさとその恩寵と。

人の不正直さに敏感になり、嘘があるところとは距離を置くようになった。
それは変わらない。

今もその頃にできた流れに乗っている。
どこへ流れて行くのかはわからないけれど。


(写真は先日の長野行きで偶然に辿り着いた広場。彼岸でも此岸でもない、中有のような不思議な空間であった。)

******************


土日と、バイオシンセシスをベースとしたWSへ。
テーマは「赦し」。
説明、シェアともにかなり長い時間。
最初の日、ある女性とペアを組む。

初日は彼女のワークのシッターをやる。
かなり防衛があり、言語化が難しいようだったが
こちらから出す言葉を慎重に選び(仕事モードが入る)
少しずつゆるんできて、IC出現。5歳の自分だそう。
ハッピーエンドで終わる。
不安感、恐怖心の強い女性だったので無事に終われてよかった。
って、自分のクライアントじゃないけど。
帰り、かなりの身体的疲労感。

ある店での会話の際にエンジェルカードを引いてみると、
「美」のカード。
その時にビジネスの話をしていたので、
私の仕事に「美」に関わる要素のことを入れてもいいんだよな…
とふと思う。

翌日、なんとか起きて行く。
ペアの相手への心許なさもあり、眠気もあり、やる気はあまりなかったけれど
とりあえず間に合う。これもラッキー。
導入のワークは30分。あいかわらず粗いが、自分でも身体をほぐしつつ。

午前中に自分のワーク。1時間半。
「赦し」というテーマを聞いたときに
やるとしたらお金のワークかな、と思い、
そのときに出てきたイメージが、
シルクハットをかぶり、三角の眼鏡、ピンとした髭をはやした
魔術師?のようなオトコの、漫画像。

最初は身体感覚から入り、
身体症状にフォーカスし、それを深く見ていき、
相手の言い分を聞く、という構造のワーク。

横になり、
体全体を意識する。

足首に、何かが巻付いているような
いつもと違う感じ。

手のようなもの。
黒っぽいが嫌な感じではない。
じっとそれを感じていると、
足の裏から強くエネルギーが出てきた感じ。
足の裏にスリットができ、
そこから噴き出している。
これは「飛ぶ」ためのものかな、とふと思う。
足裏の下に、円く白いエネルギーボールができている。
足首に巻付いているものも、
ギリシャ時代のようなサンダルを履いていて、
その革ひものような感じに変わっている。

気づくと、手のひらの内側にもエネルギーボール。
誰かにこれを分かち合いたい気持ちになり、
シッターに正面から受けてもらう。
1回目、ベールをかぶせるような感じ。
2、3回目。手のひらの状態が変わり、
きらきらした星屑のようなものが出る。
彼女もそれを見事に言い当ててくれる。
そして「とてもいいエネルギーをもらった感じがする」と言ってくれる。
(以前よりエネルギーが強くなっているのを自分でも感じたけれど、
シッターさんが言い当てたのにもビックリ)

手のひらと足の裏から出ているエネルギーは、
胸の辺りでxのカタチにクロスしていて
それが手足それぞれから流れ出ていることを感じる。
そしてそれはぐんぐん外にまで伸びて行っている。
『ああ、私はとても自由なんだ!』と思う。
そこでお金のことも含め、
こだわらずにこのエネルギーを生きればいい、とふと思う。
すべてがそれでOKなのだ、と感じる。
(このクロスのカタチは以前、江ノ島で雲の写真を撮ったときにも
出てきたのと同じ。JUJUさんは『次元の交差』と言っていた。
そして、クロスポイントはやはり胸のチャクラなのだ)

そして
身体が軽くなってきて
浮いている感じがある。
目の前に雲が見える。
空に浮いているらしい。
どうなるのかな、と思っていると
宇宙が見える。
宇宙の中に浮かんでいるらしい。
藍色の空間の中にたくさんの星が見える。
そして、はるか下方に地球があり、
そこから3本のくっきりとした白い光が伸びていて
私の背骨3カ所に入っているのが分かる。
(胸、腰、尾てい骨あたり)
(放射状であること、3本ということに意味があるように思う)

ああ、私は地球からエネルギーをもらっているんだな…と思う。
すると大地のことが思い起こされ、
目の前にアフリカのような、赤い土の、地平線の見える土地が見える。

そして声を出したくなり、声を出す。
何度も。
出す声により、身体に響く場所が変わる。
そしてその響きそのものが「癒し」であることを感じる。
(ワークをしていて、こんなふうに自然に声を出したくなったことは初めて)

それが終わると何も出てこない。
「無」になった、と感じる。
「無」の状態を味わう。
からっぽで、とても気持がいい。
そこにいるだけ、である。

しばらくそれを味わっていたら
なんだか手足が重くなってきて
「老衰かなにかでもう動けないおばあさん」のようだと感じる。
手足がだるい。重い。ぴくりとも動かせない。
父が抗がん剤をかけていたとき、これのもっとひどい状態だったろうな、と思う。

シッターに頼んで、チョコレートを小さくして食べさせてもらう。
どこももう動かないが、チョコが溶けて行き、食道を流れて行くのを感じる。
二つ食べる。
感じていた空腹感はもうない。呼吸も浅い。

手足がだるいので、シッターにお願いして
いろいろなことろ、そして
手を取ってもらい、
好きにさすったり撫でたりしてもらう。
手つきはおぼつかない感じだが、
一生懸命してくれているのを感じる。
(父も抗がん剤をかけていた時期は、
これのもっとひどい状態だったな、と思う。
身の置き所のないだるさ、苦しさ。
そして行くたびに私は身体をさすり、
それで父がやっとすやすや寝入ることも多かった。
Yさんから聞いた話では、
夜、一人でいると怖くなって眠れないこともしばしばで、
彼女についていてもらったらしい。
おそらく死への恐怖が強かったのだと思う)


体位を変換してもらう。
横向きにしてもらい、そのままそれをじっと味わう。
何の感情も起こらず、その身体を味わう。
何の感情も起こらず、その身体を味わう。
(高齢者が寝付いたりしていると無表情になっていることがあるが
実は自分の身体の状態や近づきつつあることを感じているのでは、とこのとき思う)

自分で仰臥位に戻る。

「もうそろそろ死ぬので最期にお水を飲ませて下さい」とシッターに頼む。
少し動揺した気配が感じられる。
が、水をとりに行ってくれ、「どうしたらいいですか?」と言うので
「アタマと上半身を起こして下さい」と頼み、
紙コップの水を飲ませてもらう。2回。

そして「もう死にます。
最期のお別れをしてくれる?」とお願いして死ぬ。

シッターは、私の身体に触れたりしていたが、腰の辺りに抱きつき
ずっと洟を啜っている。悲しみのエネルギーが伝わってくるが、
ああ、ちゃんとお別れをしてくれているんだ、と少し嬉しい気持になる。

そこで思わず声が出て笑ってしまう。
そして、おそらく、え?と思ったであろうシッターに
「あのね、死んだらとても楽なの!」と伝える。
なんだか私はとても嬉しくてたまらないような気持になる。
(つまり自由だということだ、これも!)

そして「柩に入れて下さい」と言う。
手も組ませてくれ、足先もそろえてくれる。
あるべきカタチになった、という感覚がある。
そして「お花を入れて下さい」と頼む。
『白い薔薇、チューリップ。」などと言いながら、
彼女がお花をたくさん入れてくれる。
自分の周りをお花で飾ってもらうのは嬉しいものだなあ、と思う。
(入れる側の時は悲しみに暮れているだけだけど、
入れてもらう側の体験が新鮮!)

柩のふたを閉じてもらい
そして焼かれる。
ふたの裏を走る火が見える。そこで途切れ、
また無になり、灰になっている。

ほどなくして、灰の中から、新しい自分が動き出す。
わずかに身体が動いて行く。
手の先や、足先が動いて行く。
全身に動きが広がり、
うつぶせにまるい姿勢になる。
背中が動き出す。肩甲骨の辺りがもぞもぞし、
腕が動いて行く。
翼のように。
そし背中が立ち上がり、翼を開いて行く。
(あとからシッターさんが
『とても大きな翼でしたね。きれいな動きでした』と言ってくれる)

以上。

終わって、シッターと話す。

彼女のお母さんが亡くなったとき、
彼女はまだ自分のことで精一杯で、
お母さんのケアを充分にすることができなかった、
そしてそれを後悔していたので
今回それができたような感じがしたということと、
「死ぬと楽」という言葉を聞いて
とても気が楽になった、とのこと。
そしてシッター役がうまくできるか不安だったので、
出かけるときに「後ろの人に一生懸命お祈りしてきました」と言ってくれたのを聞き、
嬉しい気持になる。

途中から、自分のためだけでなく、
彼女も巻き込むワークになるな、という気がしていたが
象徴的な死がこんなふうに彼女の中とつながっていたのか、と思う。
そして私の感覚に非常にシンクロしていたのを感じていた。
とても感応力の強い女性だった。

帰る準備をしていたとき、
隣のチームの女性が
「これ、落としていませんか?」とカード2枚を手渡してくれる。
カードをしまうときにこぼれたらしい。
ありがとう、と受け取ると
「光」と「恩寵」のカードだった。
ああ、まさに今回のギフトだったんだな、と思う。
そしてその彼女は私の話し声を聞いて
「話しているのに歌っているみたいに聞こえる」と言ってくれた。
(そのチームの片割れは、私がペアの女性にalwaysを聞かせていたら
知ってる!と言い、カードをみつけてくれた女性もVOJAのWSに出たことがある、
と言っていた。ふたりとも別にゴスペラーじゃないのに)

カードの解説:
「光」あらゆる生命の本質は光です。暗闇を明るく輝かせる力はあなたの中に、
いつも、いつまでも。

「恩寵」現実は恩寵です。感謝して受け入れ、嬉々として関われば
見事な計らいとなって現われ続けるでしょう。
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