原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

予感/予兆/サイコマジック

2021-09-07 | 生と死を考える
コロナ禍以降、
日常の中での死というものが大きくフォーカスされてきた。

本来死はそのようなものだった。
亡父は内科医だったが、
私が子供の頃は
往診から帰って来た時
玄関先で「塩!」と言われ
塩を撒いたことが何回もあったし
往診先での看取りや入院先で亡くなった患者さんの話を
よく母にしていたことなどを記憶している。

その頃までは
死は隠蔽されるものではなく
生活の中にあった。

診療所兼自宅で
私が当時使っていた三畳間も
昔入院していた少年がいたりと(亡くなったらしかった)
医療と日常生活の境目のない環境で育ったので
余計にそう感じる機会が多かったとは思う。

しかし
核家族化、団地やマンションが増え
地域の共同体が希薄になっていくにつれ
死というものが
地域の中でも見えなくなり、隠蔽されるようになった。

今回のコロナ禍で
死というものを
社会の中でもう一度捉え直す機会になるかと思いきや
恐れ、不安におののき、いかにして排除していくか
という方向にしか行っていないことが残念でならない。

映画監督であり詩人、作家、タロットカードまで作ってしまう
鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーの
「サイコ・マジック」という著作に
以下のような文がある。

人生は心静かに死ぬのを学ぶことだ。
「死を遊ぶこと」と中国人は言っていた。
だが死ぬとはある過程に入ることだ。
ゆっくりと子供時代から思春期に入っていく時のように
――体毛に、ホルモンに……
変化としてそれを生きるんだ。
人生を先に進んでいくと老年が現れ出すが、それも別の時期だ。
毛は白く、歯は黄色くなってゆく。
老年に入るまいと闘うなら、不安をもって老いることになる。
思春期に入るまいと闘うなら、トラウマが残る。
ある瞬間に私たち全員は死の過程に入るが、
それは先行する他の変化とまさしく同じように生きることができるし、
生きなければならない。

******引用終わり

このところ再び病と老いと死についてぼんやりと考えることが多いのだが
人間はつまるところ
そのプロセスをいかに注意深く観察し
それの全てから目を逸らさずに
そこそのものを生きていくことしかないのではないか、
と常々思っているので
この文章には大いに共感するところがあった。

死が我々を迎えにくるまで
それを体験し尽くしていくこと。
老いも病もそのプロセスの一つである。

大抵の人は
自分に死が訪れるとは思っていない。
思っているとしても大抵の場合は
それは「恐れ」にしか過ぎず、
死そのもののことではない。

死というものがリアリティを持って立ち上がってくるのは
近親者や大切な存在が亡くなった時ではあるが
それは喪失感や後悔ということにフォーカスされることが多い。
そこまで見ようとしてこなかったものや
置き去りにしてきたことなどが
死というもののあらゆる層から
自分の周りを取り巻いてくる、という感じが自分の場合もあった。
これはとても大事な時期でもある。
死者から宿題をもらうようなことでもある。

しかしこれも自分自身の死、というものを考える時とはまた少し違う。

自分ががんになった時に
なんとも象徴的な夢を二つ見た。

一つは
電車の窓から外を見ていると
大きな太陽が日食になっている。
見る見るうちにそのプロセスが進行して
皆既日食となり、太陽が大きな黒い丸になったこと。
そしてもう一つは
PCを使っていると
OSがダウンして画面が白から黒に変わるというもの。
あ、ヴァージョンアップだ。となぜかその時に思った。

夢のお告げの通り、その後には自分の暗黒(ブランクでもある)
の時代が始まった。

本来人間の身体の中では
細胞レベルで毎日小さな死と再生が繰り返されているが
当時は「生と死が同時に身体の中に同居している」、と感じたものだった。

そしてこの頃は
そのほかにも今までになかった不思議な感応がたくさん起きた。
日常にいながら変性意識状態が頻発していたからだろう。
今思い起こしてもとても大変な時期だった。
まさに精神的にも死と再生、
全ての組み直しのような時期だったと思う。

このところ
大きな病や治療に向かう友人が多いので
色々思い出したということもあるが
昨年の冬至からシャーマニズムを改めて学び直し始めたということもあり
再び自分の内側が再編成される時期なのかもしれない、
という予感がしている。
決して楽ではないだろうが、
以前とはまた違ったフェイズで。

しかしまたそのプロセスを
さらに繊細に観察し
その向こうを感じながら進むのだろう。
恐ろしいながらもちょっと楽しみな感もある。

以前、WSに参加してくださった方が
(わたしのWSは)サイコマジックですね、と言っていたことがあった。
自分でもそう思う。(この予告編ほどは激しくないが)

ダンス、舞踏、身体の作業に加えて
カードやシャーマニズムの手法など
その場やその方にとって必要と思うことは全て使っていくから。
アートとセラピーで言えば、
やはりわたしの行っていることはアート寄りである。
というより元々アートは治療的な力を持っているよね。
その二つは分かちがたい。



ホドロフスキーの映画「サイコ・マジック」は
素晴らしい作品ですので未見の方はぜひ。






















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