二日目。今日は終日エルサレム観光。
旧市街エリアを主に観光予定なのだが、イスラエルディではあるし、早く神殿の丘に入場したいと7時にホテルを出発。
このツアーはコンパクトに主要な観光地をセッティングされていたが、その分時間を有効に使う為、最終日を除いて毎日早朝起床を余儀なくさせられた。
後期高齢者の方も結構いらしたが、皆さんとても元気でびっくり。

通勤時間帯であったが、わりとスムーズに「神殿の丘」に到着。

途中で「アル=アクサー・モスク(銀のドーム)」も見えた。

黒ずくめの服装のユダヤの人をあちこちで見かけた。
イスラム教徒ではない我々は、嘆きの壁から右側にある入口から入って行きます。

早いと思っていたが、すでに列が。

門から入った後、この木で作られた渡廊下を通っていきます。

通路に防御のプロテクターが置いてある。

左手に「嘆きの壁」が見えます。
男女別々で祈り、左の人数の多い方が男性。右は女性。
渡り廊下を終え、しばらく進むと広場に出ます。


岩のドームが観られる広場では、物々しい警備隊の人たちが待機していました。

兵士さんに、これ以上近寄っては駄目と言われた地点で黄金に光る「岩のドーム」を背景に撮影。

写真を撮った後、しばらくすると外から大きな歌声が聞こえて来た。
すると、岩のドームの門の辺りに人々が集まり始めた。
この歌声は、ユダヤ教徒の若い男性がエルサレムディを祝福して歌っているもので、この後もあちこちで歌いながら行進する彼らに遭遇した。
エルサレムディとは
1967年の第三次中東戦争(6日間戦争とも言われる)で、イスラエルがヨルダンから旧市街を含む東エルサレムを奪い統合したことを記念する日です
現地のガイドさん曰く、こうした派手な行動に出ているユダヤ人は入植地に新しく来た若者が多く、イスラエル建国当時から住んでいるユダヤ人は大人しくて、パレスチナの人達と共存しているそう。

ホントに、イスラム教徒とユダヤ教徒は隣合わせなんだなと実感。
何やら不穏な空気になってきたので、我々は次に移動。
夜、TVを見ていたらこの後のバトルの様子を放映していた。
門から出て嘆きの壁へ

女性の方の嘆きの壁へ入ってみた

壁に近づくと、皆さん壁に手をあててズ‐っと祈っている。
何人もの若い女性が、頬に涙をつたわせながら長い祈りを捧げていた。
当初、神社の絵馬感覚で、お願い事を紙に書いて壁の隙間に入れてこようなどと気楽に思っていたが、彼女達の涙を見たら厳粛な気持ちになり、祈りの重さの違いを感じて自分の願いなど書けませんでした。
壁に手を当て、ただひたすら平和を願って来ました。

皆さん本を持ち静かに歌を歌っていた。

本の貸し出しもある模様。

苦難の道に行く途中のトンネルで、頭にキッパを乗せた幼稚園児の団体に会う。
イスラエルディに皆で参加しているみたい。
あちこちで若い団体を見かけたが、イスラエルの人口は日本と違ってピラミッド型だそうだ。
若い人の愛国心も旺盛なようだし、人口増加で今後の国力も増すだろうし、イスラエルは東エルサレムを手放さないだろうなと思った。
ビアドロローサ 「苦難の道」
第1留~第14留
イエスが裁判を受け、鞭打ちの刑を受け十字架を背負って歩いたとされる道。
1~9留(ステーション)までは旧市街にあり、10~14留までが聖墳墓教会にある。

イスラム地区の道を進んでいく


第2ステーション「鞭打ちの教会」

教会内のイエスが磔を背負わされた絵

教会の後ろの席にローマ時代の床があった。

第3ステーション
黒い目印の中にⅢの数字が刻まれている

第4ステーション
ここでマリア様と会ったとされる

ここは入場


マリア様とイエスが抱き合っている像

第5ステーション
イエスの代わりにシモンが十字架を背負った場所

イエスの手形……らしい

第6ステーション
ベロニカがイエスの顔を拭いた場所

第8ステーション
ラテン十字架がはめ込まれている。


皆でぞろぞろ行進してイスラム地区を出て、キリスト教地区へ行き、10~14ステーションのある元カルタゴの地に建つ聖墳墓教会へ。

聖墳墓教会
聖墳墓教会は、イエスが十字架に架けられ処刑されたコルタゴの丘の上に建てられており、イエスの墓があります。



ガラスの中はイエスが処刑された時に入ったとされる亀裂がある。

第11ステーション
イエスが十字架にはり付けられる

第12ステーション
イエス息をひきとる

イエス像の下に祭壇があり信者の方がひざまずいてキスをしていました。

13ステーション
香油の石
十字架から降ろされたイエスの遺体は、この石の上で香油で清められました。
皆さん熱心に香油を体につけたり、ハンカチにつけてそれで自分の体を清めたりしています。
現地ガイドさんが、香油を付けるとそこが良くなると言われたので帽子に香油をたっぷりつけました。
これで帽子を通して、少しでも頭が良くなるかもと。

第14ステーション
イエスの墓
この聖堂の中のお墓の部分には入ることも出来るので、長蛇の列が出来ていました。
外に出てレストランに向かいます

道の上にはローマ法王を歓迎する垂れ幕


途中ダビテ王の塔が見えます
ランチ

ユダヤ料理は、イスラムと同じように豚は食べないが、牛・鶏肉を食べる時は必ず親子の状態で食べてはいけない戒律があるとか。
例えば、牛肉&ミルク、鶏肉&卵といった組み合わせは無し。
この後、ホテルでも牛肉の出ている時にはコーヒーのミルクも無かった徹底ぶりだったし、卵がある時には鶏肉のかけらも見かけなかった。
日本の親子丼なんて、もってのほかなんだろうなあ。美味しいのに。

大きな鍋からひっくり返した、パエリアのようなご飯。
名前を聞いたら、「ひっくり返しご飯」とそのまんまの名前が返ってきました。
旧市街エリアを主に観光予定なのだが、イスラエルディではあるし、早く神殿の丘に入場したいと7時にホテルを出発。
このツアーはコンパクトに主要な観光地をセッティングされていたが、その分時間を有効に使う為、最終日を除いて毎日早朝起床を余儀なくさせられた。
後期高齢者の方も結構いらしたが、皆さんとても元気でびっくり。

通勤時間帯であったが、わりとスムーズに「神殿の丘」に到着。

途中で「アル=アクサー・モスク(銀のドーム)」も見えた。

黒ずくめの服装のユダヤの人をあちこちで見かけた。
イスラム教徒ではない我々は、嘆きの壁から右側にある入口から入って行きます。

早いと思っていたが、すでに列が。

門から入った後、この木で作られた渡廊下を通っていきます。

通路に防御のプロテクターが置いてある。

左手に「嘆きの壁」が見えます。
男女別々で祈り、左の人数の多い方が男性。右は女性。
渡り廊下を終え、しばらく進むと広場に出ます。


岩のドームが観られる広場では、物々しい警備隊の人たちが待機していました。

兵士さんに、これ以上近寄っては駄目と言われた地点で黄金に光る「岩のドーム」を背景に撮影。

写真を撮った後、しばらくすると外から大きな歌声が聞こえて来た。
すると、岩のドームの門の辺りに人々が集まり始めた。
この歌声は、ユダヤ教徒の若い男性がエルサレムディを祝福して歌っているもので、この後もあちこちで歌いながら行進する彼らに遭遇した。
エルサレムディとは
1967年の第三次中東戦争(6日間戦争とも言われる)で、イスラエルがヨルダンから旧市街を含む東エルサレムを奪い統合したことを記念する日です
現地のガイドさん曰く、こうした派手な行動に出ているユダヤ人は入植地に新しく来た若者が多く、イスラエル建国当時から住んでいるユダヤ人は大人しくて、パレスチナの人達と共存しているそう。

ホントに、イスラム教徒とユダヤ教徒は隣合わせなんだなと実感。
何やら不穏な空気になってきたので、我々は次に移動。
夜、TVを見ていたらこの後のバトルの様子を放映していた。
門から出て嘆きの壁へ

女性の方の嘆きの壁へ入ってみた

壁に近づくと、皆さん壁に手をあててズ‐っと祈っている。
何人もの若い女性が、頬に涙をつたわせながら長い祈りを捧げていた。
当初、神社の絵馬感覚で、お願い事を紙に書いて壁の隙間に入れてこようなどと気楽に思っていたが、彼女達の涙を見たら厳粛な気持ちになり、祈りの重さの違いを感じて自分の願いなど書けませんでした。
壁に手を当て、ただひたすら平和を願って来ました。

皆さん本を持ち静かに歌を歌っていた。

本の貸し出しもある模様。

苦難の道に行く途中のトンネルで、頭にキッパを乗せた幼稚園児の団体に会う。
イスラエルディに皆で参加しているみたい。
あちこちで若い団体を見かけたが、イスラエルの人口は日本と違ってピラミッド型だそうだ。
若い人の愛国心も旺盛なようだし、人口増加で今後の国力も増すだろうし、イスラエルは東エルサレムを手放さないだろうなと思った。
ビアドロローサ 「苦難の道」
第1留~第14留
イエスが裁判を受け、鞭打ちの刑を受け十字架を背負って歩いたとされる道。
1~9留(ステーション)までは旧市街にあり、10~14留までが聖墳墓教会にある。

イスラム地区の道を進んでいく


第2ステーション「鞭打ちの教会」

教会内のイエスが磔を背負わされた絵

教会の後ろの席にローマ時代の床があった。

第3ステーション
黒い目印の中にⅢの数字が刻まれている

第4ステーション
ここでマリア様と会ったとされる

ここは入場


マリア様とイエスが抱き合っている像

第5ステーション
イエスの代わりにシモンが十字架を背負った場所

イエスの手形……らしい

第6ステーション
ベロニカがイエスの顔を拭いた場所

第8ステーション
ラテン十字架がはめ込まれている。


皆でぞろぞろ行進してイスラム地区を出て、キリスト教地区へ行き、10~14ステーションのある元カルタゴの地に建つ聖墳墓教会へ。

聖墳墓教会
聖墳墓教会は、イエスが十字架に架けられ処刑されたコルタゴの丘の上に建てられており、イエスの墓があります。



ガラスの中はイエスが処刑された時に入ったとされる亀裂がある。

第11ステーション
イエスが十字架にはり付けられる

第12ステーション
イエス息をひきとる

イエス像の下に祭壇があり信者の方がひざまずいてキスをしていました。

13ステーション
香油の石
十字架から降ろされたイエスの遺体は、この石の上で香油で清められました。
皆さん熱心に香油を体につけたり、ハンカチにつけてそれで自分の体を清めたりしています。
現地ガイドさんが、香油を付けるとそこが良くなると言われたので帽子に香油をたっぷりつけました。
これで帽子を通して、少しでも頭が良くなるかもと。

第14ステーション
イエスの墓
この聖堂の中のお墓の部分には入ることも出来るので、長蛇の列が出来ていました。
外に出てレストランに向かいます

道の上にはローマ法王を歓迎する垂れ幕


途中ダビテ王の塔が見えます
ランチ

ユダヤ料理は、イスラムと同じように豚は食べないが、牛・鶏肉を食べる時は必ず親子の状態で食べてはいけない戒律があるとか。
例えば、牛肉&ミルク、鶏肉&卵といった組み合わせは無し。
この後、ホテルでも牛肉の出ている時にはコーヒーのミルクも無かった徹底ぶりだったし、卵がある時には鶏肉のかけらも見かけなかった。
日本の親子丼なんて、もってのほかなんだろうなあ。美味しいのに。

大きな鍋からひっくり返した、パエリアのようなご飯。
名前を聞いたら、「ひっくり返しご飯」とそのまんまの名前が返ってきました。
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