撫子的な日々

どーってことない日常の魂のつぶやき

ピピ 9歳になりました

2022年07月06日 | pipi

半年前になってますけど…

 

早くケーキが食べたいピピ

 

お誕生ケーキを余りにも美味しそうにパクリと食べてしまったので、1週間後に又買って貰ったピピ。

一心不乱にケーキを見つめています。

食いしん坊のピピは、押さえていないとすぐに駆け出してしまいます。

 

 

 

今年は寅年なので、トラのコスプレを。

嫌がらずに着てくれました。

 

 

お出かけした先にて

 

 

【犬もダメにするクッション】

              

”人をダメにするクッション”というネーミングのクッション。

人間をダメにする前に、ワンコをダメに。

今やすっかりピピのものとなってしまいました。

 

 

【ワンコの温泉】

腰痛持ちになったピピ、源泉かけ流しのワンコの温泉に通っています。

 

 最初にシャンプーをします

 

 

シャンプーの終わった後に温泉に入ります

 

 

 

気持ち良さそうに温泉をかけてもらうピピ

浮力で浮いてしまうので、お座りが出来ません。

 

こちらは大型犬用の湯舟

 

 

隣の部屋でドライヤーをして完了

 

 

【病院にて】

8種混合接種

何度受けても怖い

 

病院は嫌いです

 

【牧場体験】

 

お馬さんを背景に

 

「可愛い~~!」と言われ子供達に抱かれるピピ

本人のテンションはイマイチ…

 

 

     

乗馬体験してみました

 

 

【ピピの日常】

 

耐えるピピ

孫がやって来、むりやり寝させられ、なんだかんだ乗せられても、グッと耐えてるピピ。えらいぞ!

 

 

 

孫にむりやり服を着せられて ↑ ↓

 

 

 

 

散歩の途中

いつも繋がれている猫ちゃん達にシャーシャーされてます

 

 

  

ヒート中のピピ。なんだか投げやり…

 

 

 

最近は暑いのでぐんにゃり

 

 

リアルな鯖を買って貰ったピピ。

興味があったのはこの日だけ。

やっぱり猫ちゃん用は無理か…

ちなみにお腹のファスナーの中にはマタタビが入ってました。

 

 

花とパグ

庭に咲いた芍薬と

 

 

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【サクちゃんとブッチの思い出】

1月、ブッチたんと仲良しだったサクラちゃんが18歳になる数日前に、虹の向こうに旅立ってしまいました。

     

奈良公園にて。私の一番お気に入りの写真

 

    

大阪のドッグカフェに行く途中の地下鉄にて

 

ドッグランでサクちゃんとブッチたん

お出かけした時、いつもブッチたんを気遣ってくれ、

お互いにドッグキャリーから降ろされると、すぐにブッチの所に来て、

「大丈夫だったか?」と、いう風に、気遣ってくれたサクちゃん。

いつも歩道を歩く時は、後ろを歩くブッチを何度も振り返ってくれ

「ちゃんと、ついて来てるか?」と、気にしてくれてた男前のサクちゃん。

サクちゃんの方が半年弟だったけど、お兄さんのようだったね。

今頃はお空の向こうでブッチたんに会い、仲良くしてくれているだろうな。

ありがとうね、サクちゃん。

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2022年 三朝温泉からスタート

2022年01月02日 | 温泉

今年のお正月は、昨年末は吹雪いたものの、去年のような度重なる変更もなく、お正月に温泉に浸かる事ができました。

いつもの宿

 

 

ワンコと泊まれる部屋へ。離れの廊下

 

 

粗相をしないように、おむつもはいています。

 

 

サークルでまったりのピピ

 

 

二階の寝室に寝具が用意されていますが、いつも使用しません。

 

 

ピピと一緒の方がなぜか落ち着く我々

いつも頼んで一階に布団を敷いてもらってマス

 

 

雪景色の本館

 

ロビーにはお酒の樽

 

毎年、似たような献立ですが、このお料理を前にすると、ようやくお正月がキターー!と思います。

 

館内はカートに入って移動するピピ

 

コロナ渦の中、今年も温泉でスタートできました~♪

 

 


3度目の正直状態で温泉へ 2021March

2021年03月14日 | 温泉

予約してから3度目にしてようやく温泉へ行けた。

【宿の庭 池には能の舞台】

1度目は恒例のお正月の予約。今年のお正月は大雪で電車も運休するとTVで放送していたので、車での運転に恐れをなして急遽キャンセル。

コロナ禍の連日の報道に恐れをなしてはいたが、何としても蟹を食べたい一心で予約するも、ワンコの泊まれる部屋は既に満室。

家人の休める日の土日だと激戦。だってペット泊可の部屋は2部屋しかないんだもん。

で、ようやく予約出来た日は3月6日。しかーし、

緊急事態宣言のせいで宿は閑散とし12日まで休館すると連絡があり、今回の13日と相成りました。

蟹のシーズンの終わる3月末までには何とか…とおもっていたので目的は一応達成

通された部屋は、いつものワンコと泊まれる部屋ではなく、初めて泊まる一戸建ての広い離れの部屋でした~。

 

廊下には美空ひばりの大きなサインが飾られていました。

 

和室の部屋の畳は、新しくてイグサの良い香りがしました。

天井は絣模様の布は貼ってありました。

多分、この宿で一番スペシャルな部屋なのかも。

 

 

寝室

 

洋間の一角にサークルが設置してあり、ピピはそこで過ごしました。

 

 

ピピはこの時だけ抱っこで畳には下りず、ずーっとサークルで過ごさせられました。

宿の方の心遣いは分かりながらも、

つい、いつもの柔道場のような荒い畳のワンコ専用の部屋の方が、気楽でいいなぁと思ってしまったり…

 

 

温泉に何度も入り、蟹も食べれて満足でした。

 


ピピ8歳になりました

2020年11月03日 | pipi

今年の誕生日はカニさんコスチュームで。

ケーキの土台はピピの大好きな紅はるかのさつまいもです。

クリームは水気を切ったヨーグルトにりんごとトマトのトッピングです。

 

 

大山の参道にて

 

 

 

いつもネコさんのように香箱座りをし

 

 

ネコさんのようにストーブに張り付きます

 

 

 

7歳のお正月にはいつもの温泉旅館へgo

ホテルの部屋以外はワンコ用キャリーバッグに入れられて移動

 

お正月なのでロビーにはふるまい酒の樽

ワンコも泊まれる宿はここしかないのでいつも同じ宿です

ピピは三度目の宿泊

部屋では自由。場所が変わってもいつもの気分でいられるように、ぬいぐるみ、ベッド、フードボール、フードを持参

サークルはホテルのものです。ワンコへの気配りも申し分ないです

ピピもリラックス

 

 

桜満開

ピピもお花見へ

 

 

 

  

コロナ渦で動物病院もソーシャルディスタンス。

今日は狂犬病の予防接種。もちろんテンションは下がってマス。

 

 

 

お出かけの車の中にて。ウキウキゼーゼー。

 

女の子なのにいつも左足を上げて…失礼

 

 

 

お気に入りのぬいぐるみを自分で持って来て

ハスキーの後ろ足をチューチュー吸っています

 

 

夜はお母さんのベッドで寝ます

 

 

 

人をダメにするビーズソファに埋まってしまったピピ

ピピには快適ではなさそうな…

 

 

 

 

家人の服や靴下が大好き。

脱ぎ捨てられたズボンのサークルにネコさんのようにハマってまったり。

行動がな〜んかネコちゃんなんだよなー


PiPi 8種混合接種で異変が…

2020年10月14日 | pipi

いつもの動物病院へ、8種混合接種に行って来ました~。

ここの先生は優しいので、余裕で診察台の上へ

 

 

「えっ?注射?」  でも無事終了!

 

 

今日は爪切りもあります。

大嫌いな爪切りが直接見えないように、エリザベス装着

 

 

気分は最悪

緊張で指は開きっぱなし

 

動き回るので抱き上げられ

完全に観念状態

 

 

この日の混合接種は無事に終わりました。

が、次の日、あれほど食いしん坊のピピの食欲が全く無くなりました。

お散歩より何より、一番の楽しみのフードを一切食べません。

信じられない事に、大好きなおやつも口にくわえるだけで食べようとしません!

しかし元気なので、いつもと同じように午前中の散歩もしました。

 

午後、ソファでTVを見ていたら、どこからか「ピーゴロゴロ……ピーヒャララ…ぐにゅぐにゅ…」 誰かが独り言を言ってるような音が聞こえて来ます。

「えっ、この音は何?どこから?」

耳をそばだててみると、音源は隣に座っているピピのお腹の音でした~。

こんな大きなお腹の音は聞いた事がありません。

 

そういえば、混合接種が終わった後で先生が

「今まで接種して来た薬は製造が終わったので、今年から新しい薬になりました。もし何か症状が出たなら、すぐに連れて来て下さい。」と仰っていたのを思い出しました。

午後の診察開始時間すぐに病院へ駆け込み、診察してもらうと急性胃腸炎と言われました。

「多分、薬が変わったせいでしょう」との事で、点滴と注射2本を射ち(可哀そうなピピ……)、3日分の薬を貰って帰りました。

薬が効いたのか悪化する事なく、今は元気で食いしん坊のピピに復活しています。

 

来年の混合接種の時は、初めに抗体を調べ、持っていない抗体のみ接種するそうです。

今年はアンラッキーなピピでした。

   


漢長安城未央宮遺跡 大雁塔 空海0番礼所青龍寺

2019年12月13日 | 中國 西安の旅

美味しい中華料理もふんだんにあるアメリカン式バイキング朝食の後、バスで西安郊外の漢長安城未央宮遺跡へ向かう。

未央宮遺跡は、前漢時代の高祖・劉邦が皇帝となった後、AC.200年に建設を開始。その後7つの王朝で360年間使用された城跡である。三国志好きな家人に「項羽と劉邦」で有名な場所に行くのか~」と、羨ましがられたが、行ってみると何もなかった。

前漢時代の宮殿跡【漢長安城未央宮遺跡】

 

我々のバスは裏側から城跡に到着。ガイドさんはこの近道を行く予定だったらしいが、ゲートの係員に阻止され、ぐるっと廻って別の方面から入るように言われる。しかしそうすると渋滞に会うし、観光時間の事もありガイドさんがこのまま通りたい旨の交渉を始める。数分の交渉の末、村長さんが許可すれば入場させるとの事。日曜日で休んでいる村長さんを呼び出し許可を得る。何事も上司に伺いを立てなければ事が進まない中国のシステムを垣間見る思いだった。

入口ゲート。村長さんの到着を待つ。

 

裏側の小道から行く

 

セメントで整備された城跡

 

整備途中の城跡

 

 

未央宮跡はとても広い。「何もないなあ~」と皆で言っていると、ガイドさんが「5年後にまた来て下さい。今とは随分違っていると思いますから」と返答。のんびり凧揚げをしている地元の人を見ていたら奈良の平城京跡を思い出した。あそこも此処ほどの広さではないが、何もなかった平地に大極殿、朱雀門、南門と次々と建った。この未央宮跡もあのようになるのだろうか。しょっちゅう平城宮跡でブッチを遊ばせたのを思い出した。

 

美央宮を後にして興教寺に向かう。途中、長い交差点の信号の時、突然運転手さんが外に出る。しばらく経って信号が青に変わる直前に車内へ。何をしていたのだろうと思っていたら外でタバコを吸っていた。あまりの手際の良さに思わず皆が拍手。運転手さんは運転しながら片手を上げてガッツポーズ。この日も、皆、和気あいあいと観光が進んで行く。

 

 

【興教寺】

三蔵法師の遺骨が納められている寺院。669年創建。

三蔵法師の塔

 

手前は弟子の塔。「三蔵塔」の両側に弟子の「基師塔」「側師塔」塔が建っている。

 

中国の線香は長い

 

 

 

 

この通路の向こうに三蔵記念館がある

 

 

三蔵記念館

 

 

市内に帰り昼食のレストランへ

 

レストラン外観

 

レストラン館内。

昼食も夕食も当たり前だけれど全て中華料理。毎回美味しかった。テーブルには食事以外に試食のお酒やお菓子が置いてある。日本語の上手な愛想の良い売り子さんがやって来て商品の説明をする。朝鮮人参入りのお酒が美味しかったので購入。他の人も次々とお酒やお菓子を購入。中国人は商売上手。

別々のレストランで買った朝鮮人参入りのウヰスキー。32度と38度。どちらもスキッとした味わいだった。

食事の後は小雁塔へ

 

 

【小雁塔】

大雁塔より小さいから小雁塔と名付けられた。仏教の経典、経図を保存する為に建てられた。

小雁塔 

ツアーの若い三人組の男性が地面に寝転がって撮ってくれた画像。一番の撮影ポイントは、普通に立って撮ると頂上の塔まで撮れない狭さの場所だった。親切な三人組はこれ以外にも、一人参加で方向音痴の私が迷子になっていないかと、気にかけてくれる明るくて優しい人達だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

馬の手綱をつなぐ像

 

釣り鐘 打つのは有料

 

日本のおみくじ?らしきもの 

 

 

 

 

 

 

 

 

【青龍寺】

空海がここで恵果法師を師として密教を学んだお寺。四国88カ所にちなみ0番札所となっている。日本人が多く参拝するお寺。四国の真言宗の信者さんの寄付で運営されていると言っていた。ここに来る為にこのツアーに参加したという方も数名。四国88ヶ所全部お参りが終わった方もいた。

 

 

門を入って行くと公園があり遊具が設置されている

 

 

 

 

 

青龍寺

 

空海記念碑

 

空海記念堂

 

恵果と空海の像

 

 

 

 

このツアーでは青龍寺の朱印も貰えました。平成で朱印帳はいっぱいになったので、令和最初のページは青龍寺の朱印に決定。

 

旧市街に入ると急に高いマンションやビルばかりになる。「○○酒店」と書かれているビルがあちこちにある。ガイドの劉さんに「西安はお酒屋さんが多いですね~」と言うと、「いえいえ酒店はホテルの意味ですよ」と言われる。中国はこうした違いはあるけれど、漢字なのでな~んとなく意味が分かるのが嬉しい。近いし、観光地のお寺も日本が模倣したので似ているし、容姿も同じ平たい族の顔だし、ホントに海外に行っている気がしなかった。

 

【大雁塔】

大雁塔と小雁塔の違いが大きさ以外分からないまま、この旅のフィナーレ大雁塔へ。

大雁塔の門

 

 

門を入ると広い

 

 

 

大雁塔の前で記念撮影

 

 

大雁塔の階段。小雁塔と違い内部に入れます

 

塔から見た外の景色

 

反対側の景色

 

大雁塔の観光を終え、レストランで四川料理を頂く。味は美味しいけれどなにせ辛い。本場の四川料理はと~っても辛かった。

 

 

ホテルに帰る途中、バスから見えたライトアップされた大雁塔

 

ホテルに着いた後は、市内散策へ。少し行った所にある回族街に行って見たかったが、劉さんから露天で売っている食べ物は絶対買ってはいけない、日本人の多くはお腹を壊すとアドバイスされる。回族の所よりホテルから1ブロック先のデパートを薦められ、オバちゃん数名で出かける事となった。途中の大通りの広場では、夜だというのに数十人の中国の方達が大音量のCDスピーカーに合わせてダンスをしていた。TVでよく見る朝の公園の太極拳の夜バージョンかな?と思い、せっかく来たのだからと混じってダンスをする。皆の振り付けを真似しながらリズムに合わせ楽しい。私達が日本人とは思っていないようだ。

その後デパートへ。難波の高島屋のようなデパートだが広々としていた。ブランドコーナーを経て地下の食品売り場でお土産のお菓子やホテルに帰ってから飲むジュースを買う。日本製品が多かった。値段は日本の二倍。英語は通じなかったが我々が欲しがっている商品を皆で探してくれたりと、店員さん達は親切だった。

 

翌日の朝、ホテルを出発して関空へ。

西安空港で受付をする間、ツアーの皆で一緒に記念撮影をし、それぞれがラインの交換などもし、楽しかったこの旅を終えたのでした~♪


西安 兵馬俑・秦の始皇帝陸墓・安定門

2019年12月11日 | 中國 西安の旅

日程では兵馬俑は次の日に行く予定だったが、日曜日だと凄い沢山の観光客が来るというので、本日、土曜日の朝早くから集合し兵馬俑へ出発。この日は5万人の来場者だった。朝早く出て開場前から並んだが既に多くの観光客でいっぱいだった。外国人は優先的に入場出来る配慮があったので、ほとんど最初に入場出来た。この日の入場者は5万人。日曜日は6万人だったとの事。

秦の始皇帝像

 

一号抗入口

 

【世界遺産 兵馬俑】

今から2200年以上も前に、こんなに大きく1つ1つが違った顔・服装の傭が作られていた事を目の前にし、中国の歴史の深さを再認識させられた。

1号抗

1号坑は歩兵部隊と言われている

 

1号抗の後方には壊れたままの傭が。

 

抗の最後尾にはこれから修復される兵傭が並べてあった。

 

2号坑へ

 

2号坑

2号坑は射手・戦車隊と言われている

 

  

跪き射手俑

 

 

 

 

将軍の傭

 

  

将軍の像は特別な靴を履いている。靴先がカーブになっている靴を履けるのは将軍だけである。後日、令和の「即位礼正殿の儀」の儀式時、平安時代の装束をされた天皇陛下の履物だけがこの将軍と同じようだったのを見て、中国から伝わった2000年前の装束が今も日本に伝えられているのに驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

立ち射手俑

 

 

3号坑へ

3号坑

3号抗は司令部と言われている

 

 

 

 

 

壁には傭の説明のパネル

 

 

 

 

【銅馬車館】

 

 

 

   

 

 

 

兵馬俑を見終わり、カートに乗って秦の始皇帝墓へ。緑の公園の中を風に吹かれながらの移動は心地よかった。

 

【世界遺産 秦の始皇帝陵】

広い広場に建っている塔と「秦始皇帝陵」と刻まれた墓石しかないが世界遺産。

 

秦の始皇帝陵

地下には巨大な宮殿があるとか。発掘の時期は明らかにされていない。

 

 

丘に登れば西安が一望できるらしいが、現在は登れなくなっている。

 

昼食は楽しみにしていたびゃんびゃん麺でした。きし麺のような手打ちの平たい麺。作る時びゃんびゃんと麺を引っ張る音がするからとか。目の前で作ってくれると思っていたが、円形テーブルの数種類の中華料理と同じようにお椀に入れてあった。漢字が凄い。58角。

 

 

午後は旧市街に戻り安定門へ。それにしても車の多さにはびっくりする。片道6車線を10台もの車が普通に走っている。道幅は車でキチキチ。皆すぐにクラクションを鳴らし、我先にと少しでも前に行こうとする。事故が起きないのだろうかと思ったがそれなりにスムーズに動いている。こんな所絶対運転できないわーと思う。中国は人も車も多いがパワーも凄い。ちなみに我々の運転手さんは、少しの隙間を見つけるとガンガンクラクションを鳴らし、強引に割り込み、他の車よりズッと速かった勝者。

 

唐時代の【唐長安城大明宮遺跡】

新しく再現された大明宮

 

 

 

館内

 

 

 

何かのイベントなのだろうか。古代の中国の服装を着た若い人達があちこちに。

 

【西安碑林博物館】

石碑の中に「平成」の文字がある事で日本人には知られている博物館。昭和から平成に代わった時、注目を浴びていた碑林博物館。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公園の途中にある建物、鐘などを抜けると広場に出ると碑林の建物が現れた。

 

碑林の看板の下にある石碑

1087年に建てられ古代石碑が収蔵されている。書道芸術の宝庫と言われており書道家にとっては憧れの場所とか。ツアーの中の書道をさている方はとても感激されていた。

第1室から第4室まであった。

 

石碑の下部には動物の像が。

 

   

 

 

 

西門【安定門】

城壁の中で一番大きな門。安定門は創建当時シルクロードの発着点となっていた。

 

 

 

 

城壁の周囲は14Km。自転車が借りられ1時間位で回れるらしい。

 

   

城壁の上の道には昔の道具が再現されて展示。

 

城壁から見えるマンション群には、古都の景観に相応しいようにと屋根を付けるようにと、最近定められたらしい。

 

 

 

【唐歌舞ナイトショー】

ナイトショーの前に同じ建物の部屋で夕食。ナイトショーを見ながら食事も出来るが我々は別室にて同じメニューの中華料理を頂く。丸いテーブルを囲んでの食事はお互いに親近感がわき、この頃には皆が仲良くなる。夫婦参加がほとんどだったが12人という人数もちょうど良かったように思う。

 

 

 

 

楽器演奏も舞踊も思っていたよりずっとレベルが高かった。雑技団並みの男性陣の身体能力もかなりなもの。

 

 

 

 

 

ホテルへ戻る途中の道が渋滞していた。運転手さんは我々が退屈しないように気を使ってくれ、彼のiphoneにバスのマイクを付けて大音量にし、日本の歌謡曲やアニメの歌を次々流してくれた。「アタックNo.1」を流してくれたのは、我々の年齢を察してだろう。

 

10月1日の国慶節の休暇前であることや、中国成立70周年を祝っている事もあり、街中いたる所に祝70週年の看板と赤い提灯が点灯しライトアップも加わり、街中がとても明るい。

 

 

 

 

ホテルに帰ってから近くを散策。泊まったホテルもライトアップされている。


中國 西安の旅 初日

2019年10月15日 | 中國 西安の旅

9月20日から23日まで西安に行ってきました。

西安はシルクロードの起点地でもあり京都が模倣した唐の都(長安)でもある事から、いつか訪れてみたいと思ってい場所だった。そんな時、ちょうど西安のみ観光するツアーがあり一人参加。西安で行きたい所は西安の城壁と兵馬俑だけだったので短い日程は好都合であった。

9月20日2:00pmに関空からフライト。4時間ほどで西安へ到着。西安空港は想像以上に大きく近代的だった。だが航空機からエアーポートまではバスで移動、拡張途中だった。イミグレーションを経て空港出口を出ると、現地コンダクターの劉さんがツアーの名称を書いた紙を掲げて待っていてくれた。このツアーに参加する人、12人と初めて会う。

西安空港

西安と日本の時差は1時間なので、まだ5時過ぎ。小型バスの乗りホテルへ。ホテルは南城門前の「グランドパークホテル」。元はANA経営の5星ホテルだったらしいが日中関係悪化の影響でANAは撤退。現在は中国のホテル経営になっている。近年、少しずつ日本人の観光客が戻って来ているとの事。何はともあれ設備も良く、朝食のバイキングも美味しく、何処に行くのも便利なロケーションだった。

 

夕食の前にシルクロード起点群像を観に行く。

シルクロード起点群像

群像の先頭

 

夕食は「徳發長」という中華レストランへ。ここは習近平も来たお店だとコンダクターの劉さんが言っていた。

   

 

6人ずつに分かれて食事。餃子で有名なのか凝った餃子も。 

  

 

食事を終えて外へ出ると、街中ライトアップされ多くの人があちこちに集っていた。

 

 

この後は、次の日は早朝の出発という事でホテルに帰る。


長岡花火大会2019

2019年08月07日 | Weblog

8月2日、日本三大花火の一つ、新潟県の長岡花火大会を観に行って来ました。
毎年8月2日、3日に行われますが今年は108万人の人出でした。

後ろにも前にも人人人。


 当初はプライベートtripを計画していましたが鑑賞チケットが取りづらく、ツアーで行く方が何かと便利と判断し、ツアー参加で行きました。
京都からサンダーバードで金沢へ、そこから富山まで北陸新幹線。富山から長岡までバス。
 我が家が参加したツアー会社は全国で8000人の参加人数。バス400台でした。観覧席は升席前方。真上に次々と上がる巨大な花火は初めての体験でした。

 

信濃川の川幅1Kmの中央で花火は打ち上げられ、川幅も川沿いも広いので直径650mの三尺玉が打ち上げ可能となるそうです。花火は幅2Kmに次々と打ち上げられるので視界に全ての花火が入りません。首を左右に動かさなければ全て見えませんでした。頭上に上がるので首が疲れました。

 

余りの巨大さとこれでもかと打ち上がる花火にただただ圧倒され、花火が迫ってくるようでした。TVで観たのと迫力が全然違います。

プログラムは40あり、どの花火も大きく派手で普通の花火大会のフィナーレを何度も見ているようでした。

 

音楽に合わせての花火、天地人花火や、尺玉100連発等、どれもこれもスケールが大きく、今まで見た事のない素晴らしい花火でしたが、圧巻はやはり平原綾香さんのジュピターの歌声と共に上がるフェニックス。歌声ととても良く合い、思わず涙がこぼれる位感動しました。

シャッターチャンスも遅れ、画像も上手く撮れません。ドーンという花火の音も鼓膜に響き、最後の方は火薬の匂いも漂い、ものすごい臨場感でした。

 

正三尺玉はさすがに大きかった~。

花火が終わった後、駐車場からでるのに1時間以上かかりました。

 

次の日3日は、湯沢高原へ。

 

 

 

ワンコは連れてはいけないので、ピピは動物病院のホテルに4日間預けられました。

意気消沈しているピピ。


ピピ 6歳になりました

2018年12月21日 | pipi
6歳になっても、相変わらずの甘えん坊さんです。
最近は歳のせいか、ダイエットフードを食べていても体重がなかなか落ちません。


カチューシャを付けられ、テンションだだ下がりなピピです

リンゴが大好きで、「リンゴ」と聞くとワンワン鳴き叫ぶので「アップル」と変更したら、アップルもリンゴだと覚えてしまいました。
で、最近は「ポム(フランス語)」と言ってますが、それもリンゴと分かって来たような…


ウサギさんのコスチュームが何故かアザラシ風になってしまうピピ



【健康診断と8種混合接種を受けるピピ】


歯の検査




注射におびえながらも、いつもお利口さんで接種




お昼寝




散歩途中のブルンブルン




ワンコなのになぜかいつも香箱座り




まったり~




たまにはキリっとしています


【お出かけ編】


姫路城前で




紅葉の大山



大山にて
子供達に「パンパースをしてる-」と言われながら観光




公園でお友達のワンコと

ウズベキスタンの旅 「タシシケント」

2018年11月21日 | ウズベキスタンの旅
5日目、9月7日
今日は、サマルカンドからタシケントへ移動。

本来のツアー予定では、高速鉄道アフラシャブ号で2時間の所要時間でタシケントに到着予定だったのだが、
急に政府高官の一行が我々の乗る列車を貸し切る事になり、急遽バスへと変更を余儀なくされた。
日本では考えられない事だが、まあ仕方ない。

午前中は、トイレ休憩を取りながらの移動のみ。
5時間かかってタシケントに到着

【ティムール広場】



ティムール像




ティムール広場より地下鉄に乗る








ウズベキスタンは街も綺麗で整然としており、ゴミなども見かける事はなかった。
ホテルもレストランもヨーロッパと同じで快適だった。
なのに1つだけ不思議だったのは、トイレには無関心な事。
休憩に寄ったドライブインや街中のトイレは、スムを払う有料なので掃除はしてあるのだが、今まで見た事もないようなトイレもあった。
どっちを向いて用を足していいのか分からなかったトイレでは、用はしたくてたまらないのに体は拒絶するという何ともいえない体験をした。





スーパーマーケット




スーパーマーケットの中


バザールで干したメロンやハチの巣の付いたはちみつを買う
蜂蜜は切り売りだった。ドルが使えた。



また、ガイドさんにバザールから離れているお酒を売っている店に連れて行ってもらい、ウオッカを家人へのお土産に買う。
バザールから離れているのは、ウズベキスタンは禁酒のイスラム教徒が多いから。
でもウズベクスタンでは厳格だったヨルダンなどとは違い、お酒は飲めた。
ソ連に併合されていた影響か、それほど厳しくないようだ。
食事の度に飲んだワインは、白も赤もとても美味しかったです。



両方とも8回精製してあるウオッカ
ガイドさんお勧めは「ROYAL」
これは彼が政府関係の通訳をする時によく見る、海外の人に出しているウオッカだそうです。
もう一つの方もウズベキスタンでは最上級のお酒だそうなので、重いけど両方購入。
この後、ガイドのベックさんが両方で3kgのこのお酒達を持ってくれて有難かった。
こちらの店もドルで支払い。


ウズベキスタンではほとんどの店でドルが使えた。
3000円分のスムは、ペットボトルの水と有料トイレ、レストランでの飲み物だけにしか使わなかった。




メドレセ



【ナボイ劇場】

第二次世界大戦で捕虜になった日本人兵達が建設した劇場。
大地震が起きた時もこの建物だけ倒壊しなかった。


ナボイ劇場








建物の壁に日本語で書いてあるプレート




【日本人墓地】


日本人墓地
一人一人の名前が刻まれていた



こんな遠くの国なのに、こんなに丁寧に葬られている事に感謝の気持ちでいっぱいだった





今回の旅は、交通機関の変更が多かった。
この日の突然の列車からバスへ移動もそうだが、関空が台風で閉鎖になり着陸できなくなった。

夜11時の飛行機に乗り仁川で乗り換えて関空に到着予定が、仁川で1泊し名古屋空港へと変更になった。
この後、タシケントの空港で1時間30分ほど待ち、エアーに乗り込む。眠い。
でも、数学者のピーター・フランクルさんも同じエアーで、同じように長時間並びフランクに周りの人達と話しをしていた。
私はあの方が好きなので会えて嬉しかった。



6日目 

【ソウル観光】

仁川空港に30分近く遅れて到着。
空港に着くと韓国人のガイドさんとバスが待っていた。
そのままスーツケースをバスに乗せ、ソウルの観光に繰り出す。
ホントはそのままホテルに行きたかったけど仕方ない。



昼食のビビンバ
久しぶりの慣れた味、完食しました。




景福宮
私は番組を見た事が無いのでよく分からないが「イ・サン」というTVドラマの舞台となっている。








北村の街
ガイドさんによると最近人気が出てきた街らしい





仁寺洞ショッピング


この後、ようやくホテルへ帰り近所のロッテマートで夕食を買い、ホテルで食べる。
焼肉を食べに行こうと誘われたが、とてもそんな元気はなくホテルで休む。




7日目、9月9日

ホテルを朝6時に出発。
日本語の上手な昨日のガイドさんがホテルに来てくれていた。
そして、一緒に仁川空港へ行き最後まで見送ってくれた。
アシアナ航空に乗り込み、名古屋空港到着。


名古屋セントレア

ここでツアーは解散。
各自、新幹線に乗り込み帰宅の途へ。

今回の旅は突然のソウル延泊になったが、そのホテル代・観光費用・スーパーで買った夕食代の費用、大阪までの新幹線の交通費も、帰宅後にO-157かと思うばかりのお腹の不調に数日苦しめられたが、その病院の費用も、台風の影響が知りたくて(普段はWi-Fiのある所でしか使用しなのだけど)、使ったiphoneの超過料金も、全て保険でカバー出来ました。
海外旅行保険はいつも入っていくが、ロストバゲッジとかしか想定していなかった。
こんな事もあるのだと、海外旅行保険の必要性をしみじみ感じたしだいです。

ウズベキスタンは旅行中も帰国してからも、私には体力的にはキツかった旅でしたが、行って良かったと満足のいった旅でした。
人々は親日で、明るく人懐っこく親切で、旅をしていてとても心地良かった。
歴史があり中世のまま残っているブハラの建物、他では見られないサマルカンドブルーの壮大で美しいメドレセ群、眩いばかりの内部、どれもこれもとても魅せられた旅でした。

ウズベキスタンの旅 「サマルカンド」

2018年11月20日 | ウズベキスタンの旅
4日目
この日は、一日中サマルカンドに滞在する。
今回の旅では、このサマルカンドを一番楽しみにしていた。



まず最初にサマルカンドペーパーの紙すき工房へ



紙すき工房

白樺の木を潰して紙を作る、昔の紙すき方法を実践して見せてくれた。




ポストカードや紙で出来たバッグなどを販売していたが、木の味わいがある厚みのある紙だった。



ポストカードを購入する


次にウルグベク天文台へ


【ウルグベク天文台】


1424年にこの天文台を作ったウルグ・ベクの像


天文台の全容
入口を入ると一部しか残っていない地下のアーチ部分がある




地下のアーチ部分
壁は大理石
500年以上前に今の天文学と少ししかずれない太陽暦を導き出したという、最先端の天文学研究が行われた。



天文台遺跡の前にある博物館



ウルグベク天文台を復元したもの










こんな風に向かい合って博物館と天文台が建っている
円形文台跡のカーブの土台も再現されている




天文台の高台から見た景色
この辺りでは一番高い



考古学博物館】


建物の看板







昔の釜土や壺などが展示されているが、
紀元前7世紀頃の「ソグド王の宮殿跡」で見つかった高松塚古墳のような壁絵が東西南北に描かれて残っているのが素晴らしいと思った



















ウズベキスタンは文化の発展した素晴らしい国だったのだな~としみじみ思った




いよいよサマルカンド・ブルーと呼ばれるシャーヒズィンダ廟へ

【シャーヒズィンダ廟】

美しい青いドームの壮大な霊廟建築群
11世紀から20世紀にかけて建てられました。
ティムールゆかりの人々の霊廟が一直線に並んでいたが、こんな美しいブルーの廟は今まで見たことが無かった。



霊廟への階段
階段を上がる前に願いを祈り、上がりながら数えた階段数と、降りる時に数えた数が一致したら願いが叶うと言われている
一致しました~♪


入口を抜けたらこのブルーの光景が広がった


















廟に入ってみる














内部















女の方に自分の写真に入って欲しいと言われ、「こんなオバちゃんの私でいいのかいな?」と、思いながら彼女と一緒にホーズを取る。
「じゃあ、私も」と、私のiphoneで一緒に撮ってもらうと、
「私、日本人の携帯に一緒に写っているよ-!」と、この画像を周りの皆に見せて回る可愛いらしい方でした。















サマルカンドの街は信号がほとんど無い、そして皆さん運転はとても上手だ。
道路はとてもキレイに整備されている所と、昔ながらの道が混合している。
走っている車は、ほとんどがウズベキスタン製の車。
日本車は全く見かけなかった。


昼食の後、グリ・アミール廟~ビビハニムモスク~レギスタン広場を徒歩で観光する。







【グリ・アミール廟】
















ブルーと金の内部
3Kgの金が使われている




















【ビビハニムモスク】
1399年から建設が始まり、1404年完成。イスラム圏最大規模のモスクだったそうです。











巨大な大理石のラウヒ(コーラン書見台)





内部は補修工事をしていました







途中の景色






近くの学校
ウズベキスタンは30歳以下が60%の若い国だそうだ。
子供達がすれ違うたびにニコニコしながら「こんにちは」「ハロー」等と、声をかけてくれる。
どの子も可愛らしい。
これからウズベキスタンはどんどん発展していくだろうなと、思った。


ウズベキスタンが70年間ソ連連邦だった頃、アラル海から河川で豊富な水を引き込み、国家から綿花栽培が割り当てられた。
9月になると学校も1ヶ月休みになり、国民全員が朝から晩まで綿花摘みに駆り出されたという。
今ではアラル海は干上がり、10分の1に縮小してしまっている。


【レギスタン広場】

とても行きたかったレギスタン広場









真ん中のティラカリ・メドレセ
ティラカリは金という意味

内部に入って納得
溜息が出るほどの豪華さ美しさでした。






















右側のシェルドル・メドレセ。
上部に顔が書かれている






左側のウルグベク・メドレセ



メドレセの中









メドレセの中庭






メドレセの中にはお土産屋さんもある









 
夕食のケバフ
目的のサマルカンドのシャーヒズィンダ廟とレギスタン広場のメドレセを観たので、後はどうなってもいい気分になり夕食を少し食べた。
これが後に響いてくるとは…

ウズベキスタンの旅 「シャフリサーブス」

2018年11月14日 | ウズベキスタンの旅
3日目

この日は英雄ティムールの生誕地、世界遺産のシャフリサーブスへバスで移動。


ティムール像


ホテルの朝食はアメリカンスタイルで、メニューもバラエティに富んでおりパンも飲み物も果物もとても種類が多く美味しそうだった。
美味しそうだったと言うのは、パンとケーキ、コーヒー以外食べなかったから。

事前に聞いていた話では、ウズベキスタンの油は綿油で日本人のお腹には合わないと。
普段から胃腸が丈夫でない私は、調理された料理は食べないように日本からカロリーメイトやスナック類、お茶のペットボトル、粉末ポカリ等々、どっさり持って行っていた。

そんな中、初日の食事時にモロッコに4月に行って来たというオバちゃんが、そのツアー全員が下痢になったという恐ろしい話をトクトクと話してくれたものだから、野菜や果物も一切食べれなくなってしまった。

それはさておき、朝食の後、午前中はバスでブハラからシャフリサーブスへ4時間のバス移動。
ここも7世紀に三蔵法師が訪ねた地であります。


着いたらすぐに民家レストランで昼食


民家レストランの庭


美味しそうだが食べなかった


【ドルティオヴァット建築群】

モスクは1436年にウルグベクによって建てられた。











向こうに見えるのは宿坊




コク・バンクス・モスク
入ってみます



内部




天井




墓石









ガイドのウルグベックさんと
親切でイケメンの彼は、日本人かと思うほど日本語が上手で、”イッテQ ”の撮影の時にガイドを務めたのも彼だった。(チラッと映っていた)
彼のガイドのお陰でウズベキスタンの事がよく分かった。






右の建物はジャハンギール廟
ティムールが戦死した長男ジャハンギールのために建てた廟






ジャハンギール廟の入口





内部





【アクサライ宮殿跡】

アクサライ宮殿はかつてのティムール朝の宮殿で1405年にティムールによって築かれました。

ティムール像の向こうにアクサライ宮殿の2つの塔が見える








アクサライ宮殿跡まで歩いていると、あちこちに四角い簡易ハウスがあった。
次の日に55ヵ国が参加する音楽祭があるため、伝統的な生活などを見せる為に地方から来ている人達らしい。






私達を見かけると陽気に踊ってくれるオバちゃん達
ツアーの人達も一緒に踊る。
ウズベキスタンの人達は陽気で笑顔が素敵な人が多かった。











二つの塔が見えて来ました
















この後、バスにて2時間50分ほどかけてサマルカンドへ移動。


サマルカンドのホテル



ホテルもブルーのタイルで飾られている








この夜、台風が関西空港を襲い滑走路が水浸しになった事を知る。


ウズベキスタンの旅 ”タシケント・ブハラ・シャフリサーブス・サマルカンド”

2018年09月18日 | ウズベキスタンの旅


9月3日から9日まで、ウズベキスタンに行って来ました。
ずっと前から、いつかシルクロードを訪ねてみたいと思っていたところに、BSNHKでのウズベキスタンの放送や、日テレの”イッテQ”のイモトのレポートなどの中で、サマルカンドブルーのタイルで彩られた建物を観て、実際に見たくてたまらなくなりました。

友人が数年前に一人でウズベキスタンに行っており、詳細を聞いてみると、向こうでは英語は通じず、結局現地ガイドを雇って観光したと言い、ツアーを薦められました。
そうした時、一人限定参加のツアーを見つけたので行って来ました。

サマルカンドブルーはとても素晴らしかったです。
TVで観たよりも、豪華で今まで観た事のない景色でした。
いろいろあったトイレ事情もお腹に合わなかった食べ物の事情も、すべてを忘れさせてくれた圧巻の美しさでした。



9月3日、関西空港から10:50am発のアシアナ航空で出発し仁川で乗り換え便にてタシケントへ。
タシケントの空港に着いたのは、現地時間夜の9時頃。
スーツケースを受け取り、何だかんだでタシケントのウズベキスタンホテルに着き、自分の部屋に入ったのは夜11時を過ぎていた。
日本とウズベキスタンの時差は4時間だから、体内時計では夜中の3時頃の感覚。
翌朝、5:30からの朝食、6時ホテルを出発して7:30分タシケント発ブハラ行きの高速鉄道アフラシャブ号に乗車。

このツアーは、”コンパクトに巡る”と表記してあるとおり、コンパクトな日程に世界遺産の見所を満載に入れてあるので、かなりキツい行程の旅。
初日からそれを実感する。
しかし、それは事前に分かっていたので、日本から持参した”リポビタンゴールド”を毎日飲み、この旅を乗り切った。


9月4日朝、リポビタンを飲んで、いざ出発。


タシケント駅



<アフラシャブ号



約4時間弱の列車移動を経てブハラ到着。


ブハラ駅


到着してすぐに昼食です。

  
レストラン





1ヶ月は保存出来ると言われているウズベキスタンのナン
美味しかったです



この後、ブハラ観光へ

9月とはいえ30度以上ある気温の中、バスから降りて徒歩で観光。
しかし、湿度が少ないのでカラッとしており、日陰に入ると涼しい。


【世界遺産 ブハラ旧市街】

ブハラはローマと中国を結ぶシルクロードの中間点にある商業都市として栄えた都市だった。
イスラムの庇護のもと優秀な哲学者や科学者が集まって一大都市を形成しましたが、1220年チンギス・ハンの襲撃によって滅ぼされました。
後の16世紀、ブハラはウズベク人のハンにより復興し、多くのメドレセやモスクが建てられました。
ちなみに三蔵法師も訪ねた都市です。




ウズベクメドレセ



【マゴキアッタリモスク】

このモスクは、チンギスハンが攻めて来た時に、ウズベキスタンの人々が地中に埋めて破壊されるのを防いだモスクです。



右端のマコギアッタリモスクは、地面に埋まっていたので土地が他より低くなっている。




【タキバザール】
タキとは、丸い屋根の意味


バザール入口 屋根が丸い












綱ではためいている布は、一見日本の矢絣と似たような模様だが、これがウズベキスタンの伝統的な柄なのだそうだ。





コウノトリのハサミの店の店長さんと
地球の歩き方にも載っている有名人?店長さん
ハサミを買った人だけ一緒に撮影出来る。



名物のコウノトリの金のハサミを$25で買いました。
金・銀いろんな種類のハサミがありました。
帰国してから使ってみるとよく切れました。





ブハラのシンボル 【カラーン・ミナレット】
カラーンとは大きいという意味だそうです




ミル・アラブ・マドラサ(神学校)











【イスマーイール・サーマーニー廟】
中央アジア最古のイスラム建築(892年から943年にかけて建築)
干しレンガを積み上げた9m平方の小さな霊廟。
この廟もチンギスハンが攻めて来た時に地中に埋められ1926年に発掘された。





イスマーイール・サーマーニー廟の内部




絨毯工房

壁には一枚2千万円以上の絨毯が数枚かけてありました。



隣の工房では若い女の子達が絨毯を手作業で織っていました。
絨毯織の仕事は厳しいとイメージしていた私は、イヤホンで音楽を聴きながら作業する子、中にはiphoneをそっと見ている子もいて、何やらホッとしたのでありました。




カラーンモスク





歩いて最後のアルク城へ
アルク城は歴代のブハラ・ハーンの居城だった。




アルク城の外壁


正面


中には昔の牢獄







屋上のこの穴のような入口から1階の王様の部屋近くに通路が続いている





玉座と王様が着ていた衣装 

玉座はレプリカで、本物はエルミタージュ美術館にあるという。
以前エルミタージュ美術館に行った時、ピョートル大帝などの玉座を観たが、どれもふんだんに金で彩られ、背には鷹などの刺繍が施された豪華な玉座ばかりが展示されていた。
これはとても素朴な玉座。
しかし、20世紀70年間ロシアに併合されていたウズベキスタンだが、現在偉大だったウズベクハンをとても誇りに思い、自分たちのアイデンティティーと思っている風に思えた。
ガイドさんの説明を聞きながら、展示しないのなら返してあげればよいのにと思った。




屋上の天井


天井の模様




夕食のレストランへ
ショーを観ながらディナー

昼間は30度以上あったのに夜は10度。羽織る上着を持って行って正解。
日中は、暑い日差しの中、大きなぼうし、顔マスク、日除け手袋、サングラス、薄い長袖を羽織り観光したのに、夜は薄いダウンが欲しい寒暖の差だ。

ショーはダンスとなぜかファッションショー










モデルの方は中東系・ロシア系・モンゴル系の方がいて、どのモデルさんも美しい。
ウズベキスタンは多民族国家なのだと実感する。





夜のラビハウズ






”植村直己冒険館”とチョコの”マウンティン”

2018年08月12日 | Weblog
兵庫県豊岡市にある”植村直己冒険館”と福知山市の”マウンティン”に行って来ました。
洋菓子の店「マウンティン」は2007年に”ワールドチョコレートマスターズ”で世界一を受賞したお店です。
数か月前にNHKで放送していたのを見てから、いつか行きたいと思っていました。


マウンティンの外観



店内
階段を上ると二階は喫茶コーナー





ケーキコーナー



チョコレートコ―ナー




マカロンも沢山ありました




世界一になった「杏と塩のチョコレート」
買って帰りました。
中はしっとりと濃厚なチョコと杏の味で外からの塩の味が加わり、今まで体験したことのないチョコの味で思わずためいきが出ました。さすがです。



二階の喫茶コーナーで桃の紅茶とケーキを頂きました。
美味しかったです。そして値段もリーズナブル。



外のチョコとムースと中の冷たいスポンジや果物のサワーとの調和が絶妙でした。



テラスに通じる通路
テラスは暑いのでこの日はClose



【植村直己冒険館】
京都の福知山市から車で30分ほどの所に兵庫県豊岡市があります。
ここが植村直己さんの出身地です。



道の側に肖像画があるのですぐに分かります。




とても暑い日だったのに移動している間に降ってきた通り雨で濡れている前庭。




入るとこのような廊下



待合室にあった犬ソリで使った鞭と手袋




展示室




植村さんの映画や彼の残した日記や展示品にふれるにつれ、冒険家で国民栄誉賞を受賞した華やかなイメージと違い、とても謙虚で粘り強く慎重な方だったのだと思った。


 



体験してみました。