撫子的な日々

どーってことない日常の魂のつぶやき

エディット・ピアフ  ~愛の賛歌~

2007年10月18日 | 映画
”エディット・ピアフ”を観て来た。
「ちょっと暗いけど、いい映画だから見た方がいいよ。」と、フランス人の先生に勧められ観たのだが、この前TVの映画で、エミール・ゾラ原作の「居酒屋」を見て、今までに無い衝撃を受けたばっかりだったので、暗いフランス映画か…と最初、躊躇はした。
が、越路吹雪さんで身近に感じている”愛の賛歌”を歌った人なので、観に行く事にしたのだ。

話はそれるが、実に「居酒屋」は、それまでの私の映画観を、見事に叩きのめしてくれた。
19世紀中頃のパリの下町での話なのだが、何の落ち度もなく、懸命に健気に生きている主人公の子持ちの女性を、これでもかという風に不幸が次々と襲い、一かけらの救いも無く、破滅に追い込んでしまうのだ。
最後には、少しの幸せでも主人公にやって来るかと、思いながら見続けたのだが(原作を読んでないので)
甘かった…。最後が一番キツイ。
ハッピーエンドが当たり前の米国人が、「宇宙戦艦ヤマト」のラストを観てショックだったらしいが、私も彼らの気持ちが、よお~く分かった。
「なんで、この結末!? 普通、”おしん”をホームレスにするか?」

その夜は気分がドヨ~ンと落ち込み、その日の事、いや、二三日前の楽しかった事なんかも、全部吹っ飛んでしまったんだから、恐ろしや「居酒屋」

そんなこんなで、暗いと聞き、あの「居酒屋」を条件反射的に思い出し、身構えて行ったのだが、さすが21世紀。大丈夫でした。

ピアフの幼い頃の生活、路上歌手からスターへと駆け上がっていく様、愛する人との出会い、別れ等が、現在と過去をクロスする演出だった。
ピアフの事は知らなかったので、エディット・ピアフを、調べてから行ったのが幸いし、ストーリーを混乱する事なく観る事が出来たのは良かった。

父方の祖母の経営する娼舘で育てられた幼い頃や、貧しかったパリの下町時代も、「居酒屋」で免疫が出来ていたのか、不幸に感じなかった。
幼少時のピアフは、本当は悲惨な環境なのに、孤独なピアフを愛してくれる娼婦ティティーヌの愛情のお陰で、むしろ幸せに思えた。
一時は失明したピアフの目が、ティティーヌの聖テレーズのお祈りで奇跡的に回復する。
ピアフが、父親に連れて行かれる時のティティーヌとの別れは、胸にせまるものがあった。

その後、紆余曲折はありながらも世界的に成功し、最愛の人となるボクシング世界チャンピオンのマルセル・セルダンと出会う。
しかし、彼は出会ってから2年後、飛行機が墜落して帰らぬ人となってしまう。
その時の映画の演出が好きだった。涙がこぼれた。
マルセルを待っているピアフの元に、彼がやって来たという幻覚を見ているピアフ。
周りの人のただならぬ様子で現実に返り、真実を知る。
泣き叫ぶピアフが、もう一度マルセルのいたはずの部屋に行ってみると彼はいなくて、そこは劇場の舞台。客席に向かって一人立っているピアフ…。
そして流れる~愛の賛歌~

映画の中での歌は、ピアフ本人の声であるし、知っている曲もあり劇場で観て良かったと思った。

そして何より、ピアフを演じたマリオン・コティヤールの演技が素晴らしかった。
この映画を引き込まれるように観たのは、彼女の演技のたまものかも。
映画では、47歳で亡くなる時のピアフは60歳にも見え、孤独の中で亡くなったように見えたが、幼い頃はティティーヌから愛され、又、20歳年下の二人目の夫からも愛され(彼は彼女の残した膨大な借金を返済した)、ピアフと同日に亡くなったジャン・コクトー他、多くの人に愛された人生のように思った。