撫子的な日々

どーってことない日常の魂のつぶやき

着付け教室

2005年04月04日 | Weblog
これから一年、着付け教室の講座に通う事になった。今日が初日。
16名の生徒さん達の年齢はバラバラで、年配の人が多いかと思っていたら、さにあらず、
案外若い人が多く、私は結構年がいってる方だった。
今日は、長襦袢の襟を抜いて着るため、背中に紐通しを作り、裾よけの着方、長襦袢の着方など、
ごく基本を習った。

着付けなど、母などを見ていたら、誰に習うわけじゃなく普通に着ていたので、
一年も習えば充分と思っていたが、最近の着付けは、着ればいいってもんじゃなさそう。
裾よけ一つ着けるにしても、「 はい、下3本の指でこう紐を持って、こう手を動かして、
このように交差して、紐を持った両手を真横に持ってきて、はい引っ張り、前の上を折り返し……」と、
まるで茶道のように動作が決まっている。 長襦袢もしかり。
そして、確かに、その動きは合理的にして、かつ綺麗に着られる。

なるほど~。
知らない間に、日本人の日常の着物がいつの間にか特別な物となり、このように進化していたのか~。

綺麗に着るには下着が大事ということで、世の常識である、
胸を “よせて上げて” の全く逆をいく“つぶして広げて” と胸をペタンコにする着物用下着を付け、
また、セクシーさに必要な腰の窪みには、タオルを充てズンドウに。
およそ今の世界の女性美に逆らったツチノコスタイルに、がっちり固めてから着る着物というもの、
スタイルのぐちゃぐちゃになったオバサンにとっては、救世主になるかもと、ちょっとうれしい。

習った年月順に並んだ着物を着た3人のお手伝いの生徒サン達 (やっぱり習った年数で着こなし美が歴然) を横にして、 先生が、
  「習い事には、始まりはあっても終わりはありません。皆さま、頑張って精進して下さい。」
と気合の入った挨拶をされた。

お嫁に持って来た着物や母の残した着物を、着ないでこのまま箪笥の肥やしとなるのは、
もったいないという、マータイさんの「もったいない精神」の軽い気持ちで始めた撫子としては、
着付けにも茶道のように、延々と奥あるのかと、ちょっと目からウロコでございました。