水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

長野県 1 諏訪大社(上社 本宮-2) <長野県諏訪市中洲宮山>

2015-05-12 | ├ 長野(ひとり旅)

 

諏訪大社つづき。

 

 

 

 

 

 

諏訪大社は、全国にある諏訪社の総本社です。

祭祀が始まった時期は不詳ですが、
日本書紀の持統天皇5年(691年)に「信濃須波」の神という記述があります。

 

境内上段の入り口から、拝所のほうへ。

 

 

 

上社・下社全体で祀る主祭神は、
建御名方神(上社・本宮の主祭神)と、その后神である八坂刀売神(上社・前宮と、下社の主祭神)の二神。

 

 

建御名方神は、大国主命の御子神とされる神で、
土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされています。

 

 

 

社殿6棟が、国の重要文化財。

社叢の自然林は県の天然記念物に指定されています。

 

 

拝所

拝殿から斎庭を隔てて位置しています。

 

一見、ここが拝殿でその奥にあるのが本殿のような気がしてしまいますが、奥にあるのは拝殿。

 

 

拝殿(重文)

 

拝殿の後ろに幣殿、左右に片拝殿が続く「諏訪造」と呼ばれる独自配置。

本殿は設けられておらず、御山/宮山(≠守屋山)を御神体として祀ります。

奈良の大神神社 などと同じ形態ですね。

(※本宮とかつて本社・摂社の関係だった前宮は、本殿を有しています。)

 

 

勅願殿(祈祷所)

元禄3年(1690年)建立。守屋山に向かって祈願するための建物。

 

 

御神紋は、諏訪梶の葉です。

 

 

下へ降りて、境内左側に行ってみます。

 

 

まず、目に入ってくるのが大きな神楽殿(市指定文化財)。

 

 

文政10年(1827年)造営で、殿内には龍神の描かれた大太鼓があります。

 

 

太鼓は一枚皮で作られた立派なもの。

 

 

ところで御神体である「御山(宮山)」ですが、
上社の神奈備山が、社の南に位置する守屋山なのかどうかは不確かなのだそうで。

たしかに、拝殿は守屋山のほうを向いていないし、
公式サイトでも御神体は御山となっているだけだし・・。

 

 

古事記の記述によれば、

葦原中国の国譲りにおいて建御雷神に敗れた建御名方神が、信濃へと逃亡し、
「この地から出ないから殺さないでほしい」として、建御雷神に服従したとされています。

しかし諏訪大社の伝承によると、古来、諏訪地方を統べていた洩矢(もれや)神は、
侵入した出雲系の建御名方神を迎え撃つも敵わず、
その地位を建御名方神に譲り、仕えることになったという。

出雲とおなじく、信濃版の国譲りがあったであろうという事ですね。

 

 

それから既述の『信濃須波の神』について。

諏訪事情に明るくない私なんかは、単純に、『諏訪神』=建御名方神と思ってしまったのですが、
調べてみるとどうやらそう簡単な話ではないようで・・。

 

 

もともと『諏訪神』とは、

縄文からつづく信濃古来の土着神、「御社宮司神(みしゃぐじ神=狩猟神)」、
「洩矢神(もれや神=石神/木神)」、「そそう神(=蛇神)」、「ちかと神(=狩猟神)」
などのことであり、これらは次第にみしゃぐじ神に習合され同一視されていく。

社で行われる神事も、その多くが御社宮司神に関するもの。

一方、建御名方神は出雲から侵入してきた“外来神”であり、『大明神』という。

 

 

流れとしては、

 

プレ大和王権に圧迫された出雲の建御名方 (大祝:諏訪氏の祖) 一族が、東進して諏訪に侵入。

そこは『諏訪神(みしゃぐじ神)』を信仰する洩矢氏 (神長官:守矢氏の祖) らの治める土地だった。

建御名方VS洩矢で、建御名方の勝ち。

新たな支配者となった建御名方は協調的な政治を行い、

地位を譲った洩矢を筆頭神官にして、ともに国政をおこなった。

 

こんな感じかー。

ただ、洩矢氏(守矢氏)と物部守屋との関係については何とも言えない。

いろいろと調べてみると、時代的にちょっとどうかなーという面が無くはないから。

 

 

そういえば、この日お話した地元の方々は、
建御名方神のことを「よそから来たやんちゃな神さん」とか「明神さん」って表現してたな。

崇拝する神とはあくまで『諏訪神』であり、
建御名方神は、それとは別の神さん。

そんな感じがしました。

 

 

諏訪に入ってからもう二千年ちかく経つのに、
建御名方神はいまだに「よその人」。外来の神なんだなぁ。

それはどの地方でもおなじで、
神名をおもてに出せないから、名を変え主祭神を変え、
そうやって秘して祀るしかない縄文の神が鎮座している神社は数多くある。

縄文のころから連綿とつづいてきた信仰というか、人々の心の奥底にあるものっていうのは、
そう簡単には覆らない、尊くて深いものなんだろう。

 

 

 

 

ちょうどお昼の時間帯だったからか、
近所の方や、近くで仕事されているのであろうスーツ姿の方などもちらほら。

 

 

 

神社は、参拝客だけでなく、
地元の皆さんにとっても憩いの場ですものね。

 

 

そんな地元の方にとって、上社に2時間30分もいた私はよほど奇特な奴に見えたようで、
何人かの方が声をかけて下さり、境内の案内とか市内の見どころを教えてもらったりとか・・。

それはそれは色々とお世話になりました。

 

 

みなさん本当に親切で、ありがたかったです。

ここは観光客にとても優しい土地なのだなぁ。

いろんな場所で地元の方にお世話になりますが、
ここは何ていうか、総動員で親切にして下さる。

 

 

 

摂社

出早社(御祭神:出早雄命)

御祭神の出早雄命は、建御名方神の御子神。

 

 

贄掛けの欅

 

 

境内最古の樹木の1つで、樹齢1000年。

 

 

幹がすごいですね。

近年、訪問客が根元を踏み荒らして根が弱ってしまったので囲いを設けたそうです。

 

 

 

おなじく楡の木。

地元の方のお話によるとこの古木は樹齢800年ほどで、住民からは「神さまの木」と称されており
毎朝手を合わせる方も多いのだとか。

 

 

こちらの根もすごい事になってます。

 

 

 

そしてこれは、「龍の木」。

根元が横たわる龍に似ているから。

 

 

写真を撮っていく人が結構いるそうです。

 

 

樹木マニアのわたしにとっても、ここは楽園でございます

 

 

 

上社筒粥殿跡

 

 

現在は下社春宮の筒粥殿で催されている「筒粥神事」が、かつて行われていたところ。

筒粥神事って、毎年1月に豊作とその年の世相を占うあれですよね。

テレビで見たことあります。

 

 

天流水舎

どんな晴天の日でも、屋根上の穴から雫が3滴は落ちるといわれ、
「諏訪の七不思議」のひとつとされているもの。

この水を青竹に入れて持ち帰り、雨乞いの祭りをすると必ず雨が降るとの言い伝えがあります。

 

 

彫り物が見事です。

屋根の下面にある細かい木が組み合わさった部分(名称わかりません)なんかも

すごいの一言。

 

 

 

神馬舎

中には二頭の神馬さんがいます。

写真には写りそうになかったので、画像なし。

木製の白馬(祈天)と、銅製の黒馬(祈雨)の組み合わせ。

 

 

 

その③へつづく・・。

 

 

 


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