2ヶ月振りの更新ということで、
ずいぶん間があいてしまいましたが、
続いては、三河三観音のひとつ、田峰観音へ。
(※2018年と2021年の写真が混在しています。
(2019・2020は写真なし))
道善畑からのんびり歩くこと10分弱。
谷髙山 高勝寺 田峰観音
1470年、菅沼定信により田峯城が築城され、
その城鎮護のため、高勝禅寺が建立されました。
現在は「田峰観音」と呼ばれています。
参道脇の木々は鳥居杉と言って、
樹齢500年弱だそうです。
右手に手水舎。
そのお隣には、『田峯観音祭祓水』という名水の、
水取り場がありました。
国の重要無形文化財『田峯田楽』(※後述)の奉納の際に、
役者が身を清めるご神水でもあります。
人気の名水ということで、結構な人だかりが。
(2021年再訪時は、コロナにより正月期間の水汲み不可でした。)
木々の鳥居。わーーーい♪すてきーーー(☆ω☆)
時折書いてますが、
“坂の先に青空” という光景がとにかく好きなので、
もうニヤニヤしながら上ってます。(不審者)
狛さんおじゃましまーす。
階段を上がりきると、境内には何やら柱がいっぱい。
田峰観音の例大祭・奉納歌舞伎で使用する、
芝居小屋の基礎となる柱を立てているところでした。
1月下旬には、地域のみなさんが総出で
屋根部分を作る「小屋掛け」を行います。
釘を1本も使わず、竹やヒノキを縄で組み上げて、
ドーム状の屋根を設けるという、独特な技法で作るのだそう。
江戸時代より続くこの技法は、設楽町指定文化財に指定されています。
(※2021年再訪時は、コロナにより例大祭一般公開が中止となったため、
柱は立っていませんでした。)
歌舞伎を行う舞台(県指定有形民俗文化財)
1863年築。
梵鐘(1481年)
拝殿・本堂
美しくて立派な拝殿。
やっぱ素木造りはいいわあ・・。
高勝寺は、明治期の廃仏毀釈で廃寺となったため、
日光寺の境外仏堂(大悲閣高山観音堂)として管理されました。
昭和初期には、段嶺村の村営となり、現在に至ります。
あちらは社務所。
授与品や御朱印などいただけます。
おもむろに、どーん。
先の写真が2018年。
こちらは2021年バーション。
年に一度のおみくじ。
せっかくなので引いてみました。(2018年)
大吉☆
以前記事にした、大吉まつりの3つ目です。
毎度おなじみ、
神さん目線ならぬ、観音さん目線。
お寺でとくに惹かれるのがこれ。常香炉。
たぶん「四方吹き放しの柱+屋根」という、
舞殿形態が好きな私に、めっちゃ刺さるんだとおもうw。
あと、こちらでも書きましたが、
ここで膝痛改善のお願いをしたところ、
ウソのように完治してしまったよw。
いや、ほんとに。
額堂
奉納された絵馬でいっぱい。
社寺で奉納されたものを見ると、
氏子や檀家でもないのに、一瞬この土地の仲間に入れてもらえた気持ちになります。
奉納物に込められた人々の思いと、
長く崇敬され続けてきた神仏とのつながりを垣間見た気がして、
瞬間的に、その土地がとても身近なものに感じるから。
多くの人たちが大切にしてきた空間に、
身を置かせていただく幸せ。
それが先祖の地ならば尚のこと。
ただそこに居るだけで、土地とつながれた気がする。
社寺と縁を結ぶというのは、
そこに込められている思いや、時の積み重ねを、
尊重し感じ取ることじゃないかなと思います。
田峰観音は、
例大祭で行われる奉納歌舞伎と、田峯田楽で有名なお寺です。
田峯田楽は、五穀豊穣を祈願する伝統芸能で、
国の重要無形民俗文化財。
毎年2月の第2土曜日に開催されます。
菅沼定忠が1559年の例大祭に取り入れたことから始まったとされ、
「昼田楽」「夜田楽」「朝田楽」の三部構成で、
一日がかりで行われます。
田楽の主要な役は、現在も世襲制を維持しており、
役柄によって数日前から精進潔斎に入ります。
何百年ものあいだ、大切に受け継がれてきた田楽。
2021年はコロナで神事のみとなったようですが、
いつかこの目で見たいと思っています。
何世代にもわたり舞ってきたご先祖さんを偲びつつ、
しばし境内に佇んでおりました。
さて、そろそろ帰らなくては。
最後に、お腹がすいたのでちょっと立ち寄り。
2021年再訪時、五平餅をいただきました。
これがねー、もうすごく美味しくて、
もう1本頼みたい気持ちをぐっと抑えてましたよ。
五平餅は各所で味わってきたけど、
個人的に、ここの五平餅がいちばん好きです♪
こちらは売店に隣接している休憩所。
一枚板のテーブルがすごい。
1月の寒い時期だったので、
風が凌げてとても有り難かったです。
田楽の歴史には、こんな言い伝えが残っています。
田峯菅沼氏の菩提寺として再建された日光寺が、
1644年の火災により焼失。
再建にあたり、誤って幕府領有の御林の木をしてしまった村人達は、
「田峯を救って下さるなら、たとえ村が3軒になっても歌舞伎を奉納します」
と田峯観音堂に三日三晩籠って祈願しました。
おかげで、真夏にも関わらず大雪が降り代官一行は現地に入れず、
村から罪人を出さずに済んだのだとか。
以来、戦時中でも休むことなく奉納歌舞伎を続けてきたそうですが、
さすがのコロナ禍では、それも叶わず・・。
観音さまも、許してくれるでしょう。
ワクチンに治療薬の承認と、少しずつ前進はしているはず。
予防と治療法が確立して、
早くただの風邪の一種になりますように・・。