水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

2018年 初参り -- 田峯城址・長篠城址・田峰観音・舟多神社 --

2018-01-07 | ├ 愛知(ひとり旅)

 

2018年の初詣は、ご先祖の地 三河で。
(2018/01/07参拝)

 

 

 

 

 

 

純粋な初詣は近所の氏神さんでしたが、
社寺巡りとなると、これが最初。

 

 

この日訪れたのは、

田峯城址(愛知県北設楽郡設楽町田峯字城)
田峰観音(愛知県北設楽郡設楽町田峯字鍛治沢)
長篠城址(愛知県新城市長篠)
舟多神社(愛知県新城市乗本長筋)

 

城跡なんかも入ってますが、
各所いずれも、ご先祖さん方が関わっている
深い縁のある場所。

 

 

JR飯田線の本長篠駅で下車し、豊鉄バスに乗りかえ。

30分後に田峯バス停で降りたら、
山の中を歩くこと約15分で、
田峯城址に到着です。

 

 

愛知県北設楽郡。

ここは、父方祖母の先祖一系統が根付いていたところ。

 

 

 

田峯城址に長居したあとは、
すぐ近くにある道善畑(今泉道善が処刑された場所)に寄り、
そこから10分ほど歩いて田峰観音へ。

 

 

田峯城址と同じく、本記事はいずれ改めて。

 

 

 

境内では、有名な田峰田楽(2月)の準備がもう始まっていました。

 

 

ご先祖さんも代々舞手だった田楽。

いつか見てみたいなあ。

 

 

 

見た途端に目が釘付けにっ。

寺院はあまり行かないせいもあるけど、
こんな子沢山なの、初めて出会いました。

 

 

奉納された額や天井絵の数々。

 

 

 

っかくなのでと、おみくじ引いたら、
新年早々大吉でラッキー

年に一度ぐらいしか引かないし、
基本、クジ運ないんでとーっても嬉しかった。

 

 

・・ていうか、よく考えたら、
引く回数に比べて大吉率は高いかもしんない。

 

 

2014年(10月) 大神神社・・・・・・大吉
2015年(10月) 厳島神社・・・・・・向吉
2016年(2月) 伏見稲荷大社・・・大吉
2017年 (---おみくじ引かず---)

2018年(1月) 
田峰観音・・・・・・大吉

 

 

年に一度のおみくじで、8割近くが大吉って、
あ、もしかしてここでクジ運使い果たしてるのか?私。

 

 

そう考えると複雑。(笑)

 

 

 

田峯には3時間ほど滞在し、
山中を歩いてバス停まで戻り、再び本長篠駅へ。

 

 

長篠もまた、ご先祖さんの地です。

 

 

要は、父方直系が三河なんで、
父方祖父・父方祖母の家系をさかのぼった分だけ、
縁ある土地が増えるのです。

 

 

舟多神社

ちなみにここは、ひーばーちゃんの氏神さん。

お参りしてるひーばーちゃん家系を思い浮かべながら、
手を合わせました。

 

 

そして別所街道を西に進み、長篠城址へ。
(※こちらも、本記事は後日また改めて。)

長篠合戦で討死したご先祖さん達に思いを馳せながら、
帰りの電車の時間までのんびり過ごしました。

 

 

晴天で風の無い、穏やかな冬の日。

初詣というよりは、先祖を偲ぶ半日旅だったかな。

 

 

4ヶ所とも、いずれちゃんと記事にしますが、
今回のメインといって良い、
田峯城址のことだけ先にちょっと触れておきます。

自分にとっては、供養というか墓参り的なものだったので・・。

 


(入口から本丸を見上げたら、龍みたいな雲があって嬉しかったり。)

 

 

田峯城(再現)

別名:蛇頭城

笹頭山の中腹に位置する、菅沼家の本城(設楽町指定史跡)です。

 

 

 

遺構は残っていますが資料が極めて少なく、
中世城郭を参考に、書院造りの様式で復元し、田峯歴史の里に再建されました。

 

 

本丸御殿(復元

 

 

 

物見台(復元

 

 

 

前述通り、父方の先祖は、
戦国時代より奥三河・東三河に代々住んでおりました。

 

 

直系は、長篠・設楽原の戦いのあった場所に、
いくさ直後から住んでいますが、
傍系は600~1000年代や戦国期前など、時期は様々です。

いずれにせよ、先祖の多くは戦国期前後からの三河国人。

 

 

徳川家臣だった先祖(父方直系)は桶狭間合戦後に三河に定住し、
同じく
関ヶ原合戦後に定住した先祖や、
600年代から定住し、長篠合戦で討死した奥平家臣の先祖
その長篠合戦後に帰農した武田家臣の先祖など、
奥三河という場所柄、戦国史と地味~に絡んでくる。

あと、長篠合戦時に
武田勝頼敗走の身代りとなった笠井満秀を
討った先祖とか。

(こういうご先祖さん達がいると、
神主とか禰宜とか住職やってた先祖とかも当然出てくる。)

三河というか、「設楽・長篠の戦い」が一番のキーワードかな。

 

 

で、田峯城。

長篠合戦に出陣した田峯城主の5代菅沼定忠は、
敗退した武田勝頼を一時休息させるため、
同じく参戦していた
首席家老の城戸道寿とともに、城の開門を命じました。

しかし、城内にいた叔父(菅沼定直次席家老(今泉道善により
入城を拒絶されてしまいます。

 

 

この、主君に背いた今泉道善ご先祖さん。

 


大手門跡 この扉を閉められたため、入城できなかった)


「叔父と家臣の謀反」 には、
戦国の世にありがちな事情があるのですが、
これについては、田峯城の本記事をUPする時に改めて・・。
(記事上げるのは、たぶん1年以上後だろうなー(-_-; )

 

 

なので詳細は省きますが、謀反の裏には、

城主&首席家老=親武田
叔父&次席家老=親徳川

という、複雑な状況が存在していました。

そんな背景があって起きたのが、長篠合戦後の「城主締め出し」です。

 

 

世の流れが徳川に傾いている中で、
ここで武田を迎え入れれば、田峯の村と人々は間違いなく滅びる。

どうあっても城を開けるわけにはいかなかったのだろうと、
身内びいきを差し引いても、個人的にはそう思います。

 

 

結局、勝頼定忠らの先導もあって無事に甲州への帰還を果たしますが、
定忠にとっては謀反を起こされたに他ならず、
1年後に田峯城を急襲して、城内にいた老若男女問わず96名を惨殺しています。

 

 

定忠たちの恨みはすさまじかったようで、
自身らを死んだように見せかけて油断させた上で、城の守りが手薄になる盆時期を狙い、
寝込みを襲って一族郎党皆殺しにしています。

 

 

特に次席家老の今泉道善に至っては、
土に埋めて首から上だけ出し、生きながらノコギリ挽きにしたと言います。

 


(今泉道善処刑の地)

 

 

じゃあ道善一家も全滅させられたんじゃ?と思いきや、
落城時、足軽の一人が道善の幼子を抱いて城外へ密かに逃げてくれました。
(長篠合戦に出陣したもう一子は以後他所に移住。)

めでたしめでたし。
おかげで、今私がここに生きています。

 

 

父方も母方も全て、
自分につながる家系のうちの一人でも欠けていたら、
先祖の誰かがほんの少し違う人生を歩んでいたら、
今の自分は生まれていない。

道善さんの供養石祠を前にして、
人がこの世に生を受けるというのは、
本当に奇跡に近いことなんだなぁと改めて思いました。

 

 

 

反武田のほうが多かった父方先祖だけど、
武田残党もちゃんと家系の中には居るんで、
前も書いたけど、どっちもいい具合に混ざり合って今の自分がある。

同じ一族、親子・兄弟どうしで骨肉の争いして殺しあい、
敵と婚姻関係結んじゃう。
だから子孫の時代になったらもう敵も味方もない。

道善さんにしても、
彼の母方祖父(雨堤城主)は、城所道寿の叔母さんを妻に娶ってるから、
お互い親戚関係にあるわけだし。

 

 

母方祖母のその祖母の・・とか、枝状に追ってったら、
それこそもうカオス。

の墓所でもどこの史跡でも、
私が何の躊躇もなく行ける理由はそれで、
皆そうだと思う。

今更、「先祖が氏だから~」とか「先祖が武将の誰々だから~」とか、
変に考える必要なんてない。

 

 

敵対した者の子孫・縁者どうしの交流もあって、
お互いに供養し合ったり。

 

 

そうでなくとも、
後世、色んな人が手を合わせて成仏を願ってくれてるしね。

 

 

あの人もこの人も、先祖のうちの一人。
みーんなちょっとずつ自分に絡んでる。

端の端までさかのぼったら、もう全部アリ。

 

 

・・とは言え、当人たちが大変な人生を歩んだのは事実なわけで、
その辛さと痛みを思い、供養の気持ちを持つことは大切なことです。

 

 

 

墓参り的な気持ちで赴いたものの、
供養石祠を前にすると、やはり涙が出てきました。

生きながら、なんてさ。
苦しかっただろうなあ。

村と民を想ってここで絶命したのであろうご先祖を悼み、
感謝と供養の思いで手を合わせました。

・・と同時に、
現代に生きる人間の苦労もそれなりにあるわけで、
日頃の出来事や、他愛もない話、愚痴やお願いなんかもしたりして、
久々に会った祖父母に話しかけるかのごとく、
しばし語っておりました。

 

 

 

今回、参拝旅というより先祖の足跡探しの意味合いが強かったですが、

神社参拝やルーツ巡りの良いところは、
それだけで幸せな気持ちになれること。

神社は願い事をするんじゃなく、感謝をする場所だと常々思ってるけど、
それは先祖を追う旅も同じです。

 

 

ご先祖さんや神さんに感謝の気持ちを伝えるとき、
人は、“幸せな何か”に対して、感謝を述べる。

家族を見守ってくれてありがとう。
ご縁をありがとう。
今年も健康でいられますように・・。

ありがとうを言うときに思い浮かべるのはすべて、
自分に起こった幸せなこと。嬉しいこと。

 

 

願い事が叶うことはもちろん幸せだけれど、
自分が持っている素晴らしいものに気付くのも、また幸せ。

 

 

今年はちょっと大きなことにチャレンジするので、
例年のように時間が取れなくなる気がしますが、
可能な限り、“縁のある神社巡り”をしたいと思っています。

 

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 



 

 

 

 


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