水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

吉野山 紅葉ひとり旅④脳天大神龍王院-2

2018-12-20 | ├ 奈良(ひとり旅)

 

脳天大神つづき。

 

 

 

 

 

ひたすら下って、ようやく到着でーす。

 

 

金峯山寺 塔頭 脳天大神龍王院

 

 

 

神社なのかお寺なのか、最初よくわかりませんでしたが、
こちら、「龍王院」というお寺になります。

 

 

お寺に、蔵王権現の化身である神さんが祀られているのです。

 

 

 

着くなり、護摩祈祷はじまりました。

わーい。

 

 

社寺で蛇や蝶に出会うのは“ごく普通のこと”なので、
特に目出度くもないし、深い意味もありません。

が、もらい祈祷とか修祓は別。
ありがたーく受け取っておきましょう。
(七五三はちょっと違うけど)

私のように平日参拝がメインでもよく遭遇するので、
休日ならもっと確率が高くなるのでしょうね。

 

 

 

こちらに鎮座するのは白龍さん。

至る所ほんとに龍だらけで、もう幸せすぎる。

 

 

 

御祈祷の声が心地よく響く境内。

 

 

 

ここにも倶梨伽羅竜王が。

お隣は白龍さんかな。

 

 

手水舎さえも、倶梨伽羅竜王。

写真からはちょっと分かりづらいけど、
ちゃんと剣に巻きついてるのよ。

ちなみに、龍さんから湧き出る水は、
飲めば首から上の病が平癒すると言われる
ありがたい御神水なのだそうです。

 

 

 

境内に漂う空気はとても優しくて穏やか。

ふわっとして、とても温かい。

 

 

でも、神気はピシっと強くて凛としている。

 

 

相反する気が調和しつつ共存してる聖域というのも珍しいなあと
個人的に思いました。

 

 

こちらの場合、お寺に神さんが祀られているわけだから、
色んな気が混在しててもおかしくはないか。

 

 

とりあえず、
強くて優しい神さんのいらっしゃるところ。

ということで。

 

 

 

わぁ。

こちらの龍さんも素敵。

 

 

というか、強いなー。

人の負の部分を吸い上げて、昇華して下さるタイプのようで、
御前に立ってしばらくしたら、心身がとても軽くなった。

除去したマイナスなものをこの場に留めず、
即、消滅させてしまうのがすごい。

だから、人の念で場が淀んでしまうという事がないんだろう。

 

 

 

 

おもむろに、カエルさん。

 

 

子沢山な狛蛙です。

 

 

あ、よく見たら吽さんじゃん。

 

 

こっちは阿さんだ。

 

 

同じく背中にお子がいっぱい。

かわいいなあ。

 

 

 

御朱印をお願いしたところ、おさがりのゆで卵を戴きました。
帰りの電車内で美味しくいただきました
神さんが蛇なんで、生卵のお供えが絶えないんでしょうね。

玉子とともに写っているのは銀の「指輪守り」です。
これも、目にした瞬間にお買い上げ決定。

金峯山寺の鏡&念珠は、あらかじめ災難を除去してくれる系ですが、
こちらは来たものを跳ね返す系かな。

至近距離でよーく見ないと蛇さんの彫り物だと分からないので、
普通に模様の入ったシルバーリングとして、つけていても違和感ないです。 

 

 

滝行場

 

 

天龍の滝とあります。

 

 

どなたかいらっしゃる。

 

 

 

結界不動さんでした。

おじゃまします。

 

 

と言っても神聖な行場ですし、
足元に水が流れ続けているので、チラっと覗くだけ。

 

 

水は岩場の下へ流れ、

 

 

小川の流れとなってさらに奥へと続いていました。

 

 

鬼塚

 

 

鬼とは、役行者に従っている前鬼・後鬼のこと。

人々に災いを成していた山の鬼夫婦が、役行者に諭され改心。
以後、夫は前鬼、妻は後鬼となって仕えたのだそう。

 

 

この前鬼と後鬼には五鬼と呼ばれる5人の子がおり、
(※役小角の五大弟子と言われる義覚、義玄、義真、寿玄、芳玄の5人と
同一視されるとも。)
“大峯に来る修験者を守るように”との役行者の言葉により、
修験者のための宿坊を営みました。

で、凄いのが、
この五鬼を祖とする子孫が、
五鬼継、五鬼熊、五鬼上、五鬼助、五鬼童
という名の5家となって
ちゃんと実在していること。

明治はじめの修験道禁止令により修験道が衰退すると、
そのうち
何家かが廃業とともに里を出、
後に断絶した家もあるようですが、
唯一、五鬼助家の営む宿坊が、今も吉野にあるのです。

1,300年前に、役行者と交わした約束を守るべく、
61代目当主が営む宿坊。
素敵すぎる。

鬼好きとしては、ぜひとも泊ってみたいところですが、
公共機関一人旅の自分にとって、
前鬼の里は場所的に少々ハードルが高そうです・・。

 

 

 

 

さて、『金峯山』と『蛇』といえば、
醍醐寺(真言宗醍醐派総本山)の開祖、
聖宝の逸話を思い出します。

 

 

修験道の開祖・役行者が修行した吉野の金峯山ですが、
いつしか大蛇が棲みつき、修行者が入れず長く閉ざされていたとのこと。

真言宗開祖の聖宝がこの大蛇を退治し、大嶺を修行の場として再興したといいます。

まあ、
どこの蛇さんも大概はこうして斬られちゃうのよね・・。

 

 

蔵王権現の変化身であり、
天台宗金峯山搭頭寺院に神として祀られている、
頭を割られた蛇。

 

 

方や、修行者を苦しめたため、
聖宝に斬られてしまった大蛇。

 

 

同じ金峯山を舞台に、扱いが真逆の蛇さんたち。

 

 

 

日本各地に残る、蛇(龍)にまつわる伝説や逸話は、
その多くが 『蛇=人々を苦しめる悪者』 として描かれています。

蛇退治が表すものは、
単純に生物としてのヘビ駆除、
川の氾濫を大蛇に見立てたケース、
そしておそらく一番多いであろう、
先住民や他部族を駆逐することの比喩。

吉野の蛇が、そのどれに該当するのか定かではありませんが、
悪者扱いされて退治・封印された何かが、時を経てすくい上げられ、
神の化身としてここで祀られていたなら、
その無念も少しは晴れるんだろう。

 

 

境内で感じた、優しくて温かい空気の出所をたどると、
そこにあるのは強くて冷たいひとつの塊。
地の深い所で、静かに目を見開いてる。

微動だにせず真正面を見据える目。
その眼差しは、しかし優しく穏やかでもある。

守護神とはこういうものを指すんだろうと、
ふと思いました。

 

 

温と寒。柔と剛。
その正反対の二つの空気に戸惑ってしまう人は、
ここに長居できないかもしれない。
そういう意味では、合う合わないがハッキリしてるかな。

だた、
本当の優しさは強さを備えた者からしか生まれないので、
それさえ分かっていれば身構えなくても大丈夫だと思います。

 

 

 

そうそう、脳天大神さんは首から上の守り神ということで、
頭痛をはじめとする頭部の疾病、あるいは学業などの、
願い事を成就して下さるとの事です。
 

じゃ、首から上なら、顔だっていいよね??てことで、
美肌なんぞをお願いした私は、場違いでしたでしょうかw

 

 

名残惜しいけど、まだまだ予定があるので
このあたりでお暇します。

脳天大神。
すごい場所だったなあ。
次回の吉野行きでもまた必ず参拝しますね。

今も鮮明に思い起こされる、あの目に会いに。

 

 

 

つづく。

 

 

 

 


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