宮島つづき。
この日のメインである、安芸国一宮 式内社の厳島神社へ。
潮の関係で参拝の時間をずらし、15時ちかくにお邪魔しました。
まずは、なんと言っても沖合200メートルの海上に浮かぶ大鳥居。(国の重文)
宮島のシンボルであり、日本三大鳥居の一つでもあります。
(あとの二つは、奈良の春日大社と、敦賀の気比神宮)
主柱はクスノキの自然木で作られていて、
高さ約16メートル、主柱の周囲は約10メートルという巨大なもの。
現在の大鳥居は1875年に造営されたもので、
平清盛の造営時から数えて8代目と言われています。
実はこれ、柱が海底に埋め込られてはおらず、鳥居自身の重みだけで建っています。
なんで倒れないの??って不思議に思うのですが、
上部にある島木と笠木(上の2本)が箱形になっていて、
この中に玉石を約7トンも詰めて、重しにしているのだそうです。
加えて、柱6本の両部鳥居なので安定感もよく、
動きやひずみなどを自然に吸収する作りが施されているなど、
様々な工夫がなされています。
どっちも玉乗りしてる狛さんがお出迎え。
あまり見かけないパターンなので、ちょっとうれしい。
人力車に群がり、おじさんの邪魔をしてしまう鹿さんたちもいました。
うわあ。お昼より人が増えてる気がする。
もう次から次へと、ツアーの団体さんとか小学生の集団とか、
それからとにかく多い外国人観光客とか・・。
人の流れをぶった切るのも申し訳ないので、写真を撮るのすらはばかれます。
それでも何とか人が途切れるのを待って、カメラにおさめます。
最初のまとめ記事でも書いたように、参拝した当初は地面に水がない状態。
16時過ぎあたりから潮位が上がって来て、ようやく水に浮かぶ社殿が現れてきたので、
写真には水アリと水ナシが混在しています。
あしからず御了承ください。(*_ _)
東廻廊の入り口がスタート地点。
大好きな切妻屋根と廻廊を目の前にして、テンションmaxでございます。(☆ω☆)
(御朱印を頂いた際に渡されるパンフより。)
厳島神社は、全国におよそ500社ある厳島神社の総本社で、
古くは「伊都岐島神社」とも記されました。
・御本社の「本殿-弊殿-拝殿」
・御本社の「祓殿」
・客神社(摂社)の「本殿-弊殿-拝殿」
・客神社(摂社)の「祓殿」
・「西廻廊」
・「東廻廊」
以上の6棟が国宝という、国宝オンパレードな神社です。
(ほか、高舞台、平舞台、右楽房・左楽房、右門客神社・左門客神社、火約前も国宝。)
その他、摂末社8、橋3、塔2、鳥居1の、合計14棟が重要文化財に指定されています。
入り口からすぐ、まずは客神社の祓殿へ。(国宝) <地図の1>
挿してある串を、左・右・左と振ってお祓いしてから参拝します。
この祓殿は、とても優しくて穏やかなところ。
厳島神社の中では、御本社の祓殿に次いで好きな場所です。
世界文化遺産という性質上、参拝客があまりにも多すぎて、
ゆっくりと空気を感じるゆとりすらありません。
次から次へと人が押し寄せて来ます。
早朝の静かな時ならいいのでしょうが、
日中は人の気配に押されて直観的なものを感じにくいかもしれません。
なので、
神社そのものから何かを受け取るというよりは、
要所要所でピンポイント的に神気を感じ取ったほうが早いかなあと思いました。
摂社 客神社 (国宝) <地図の1>
御祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命
創建は本社と同時期で、現在の社殿が建築されたのは1241年。
手前から奥にかけて、拝殿 → 弊殿 → 本殿の順に一棟続きになっており、
東廻廊をはさんだ正面に、さきほどの祓殿があります。
客神社と書いて、「まろうどじんじゃ」と読みますが、
まろうど神(客神/客人神/門客神)とは、その神社の主祭神に対し、言葉通り「お客さん」の神。
よそからやって来て、祀られるようになった神さんです。
ただ、地主神(先住の神)が、
あとからやってきた神に取って替わられて「客人神」とされたケースもあると思われるので、
必ずしも後続の神とは言えないようです。
(客人神というと、アラハバキ神が思い起こされます。)
この入母屋造り・妻入りの建物は、
廻廊からみた祓殿の姿です。
訪問当初はこんな風にすっかり干上がっていた足元も・・
1時間も経つ頃には、美しい姿を水面に映していました。
平安時代の寝殿造りの粋を極めた、荘厳華麗な日本建築。
寝殿造りっていいわー
厳島神社は、
推古天皇の時代、佐伯鞍職により創建されたと伝わっています。
1149年、平清盛が安芸の守に任官して平家一族の崇敬が始まり、社殿の基礎が確立。
1168年には現在と同規模の社殿が整えられ、平家の氏神となります。
しかし、その後2度の火災で社殿のすべてが焼失し、
現在見られる社殿は仁治年間(1240年~1243年)以降に造営されたものです。
(よくみたら、右側手前の祓殿の屋根に白鷺がいた。かわいい)
神社が浜に創建されたことで、
「水面に浮かぶ社殿」 という他に類を見ない景観が生まれたわけですが、
浜につくられたのは、
御神体とされた宮島そのものを神聖視したからとも、
平安時代の浄土信仰に基づく極楽浄土をあらわしたからとも言われています。
たしかに、ここが極楽浄土ですよって言われたら、素直に頷いちゃうわ。
あぁ、この光景を見に遥々やって来たのですよー。感無量。(T_T)
約275メートルの廻廊で結ばれた海上社殿の美しさといったらもうね。
美麗すぎて思わずため息がでます。
雅やかな朱塗りの社殿が往古の姿を偲ばせ、
なんだか平安時代に舞い戻ったような気になりました。
優雅さ以上に惹かれるのは、
この社殿が、「造り直すことを前提として建てられている」 というところ。
弓状に広がる遠浅の浜(御笠浜)に立っているため、
潮が満ちれば床柱は海水に浸ります。
当然浸食しやすいので、定期的に修理再建しなければいけませんし、
場所柄、高潮の影響や台風の直撃などの被害も免れません。
それを承知の上で造営する というのが、男前というか何というか。
まだ現役で頑張れる社殿をあえて取り替える式年遷宮の性質とは、少し違いますね。
はかなさと潔さが混在するその姿に、
何故だかとても惹きつけられるのでした。
帰りがけに改めて撮った、客神社 祓殿の写真。
西に傾いた太陽の光が、境内に美しい影を作り、
神気漂う光景を描いていました。
厳島神社その2へつづく・・。