厳島神社つづき。
廻廊(国宝)
東廻廊~西回廊まで、全長275メートル、幅4メートル。
今ある床板は、明治末期あたりに張り替えられたものだそうです。
床板には「目透し」という隙間があって、
高潮時に下から上がってくる海水の圧力を弱め、水を海へと流す役目を果たしています。
たしかに、隙間がなかったら水の逃げ場がなくなるもんね。
考えられてるなあ・・。
【境内地図】
境内には、「鏡池」と呼ばれる池が3つあります。
ひとつ目が、客神社社殿そばにある鏡の池(鏡池)。 <境内地図3>
真水が湧き出ています。
手鏡のように見えることから、鏡池と呼ばれており、
潮の引いた干潮時にしか見られません。
神社の裏側から見たところ。 <島内地図↓の6>
右の建物が客神社(手前が本殿)、左が朝座屋で、
中央の水が溜まっている部分が鏡池。
※朝座屋(重文)
東廻廊の突き当たりにある建物で、桃山時代に再建。
【島内地図】
廻廊から見たところ。
引いた海水が窪みに残っているんじゃなくて、
真水が湧き出ているっていうのが、何とも不思議。
その名のとおり、鏡のようにきれいです。
でも潮が満ちてくると・・
全体に水が広がって池は見えなくなりました。
真水と海水が混ざりあうこの場所は、とても神聖なところと考えられていたようです。
小さな鏡が大きな鏡になり、五重塔を美しく映し出しています。
なんて趣のある光景なのかしら。
怪我の功名とでもいいますが、
干潮と満潮を同時に体験できる日に参拝したおかげで、
神秘的な姿を目にすることができました。
もうひとつ、卒塔婆石のある鏡池。 <境内地図5>
囲われた中にあるのが卒塔婆石です。
鬼界島(硫黄島)に流された平康頼が、
千本の卒塔婆に母を慕う和歌を二首書いて海に流したところ、
そのうちの一本がこの石に流れ着いたと伝わっています。
「思いやれしばしと思う旅だにも 猶故郷は恋しきものを」
「薩摩潟沖の小島に我ありと 親にも告げよ 八重の潮風」
ここは、干潮時には水は無かったのですが、
満潮になると隙間から海水が引き込まれてこのような池になりました。
てことは、先述の鏡池とは違い、
真水が湧き出してるわけじゃ無いのかな??
最後に、天神社そばの池。 <境内地図15>
参拝したときはこの3つ目の池のことは知らなかったので、
唯一残ってた写真といえば、神社の裏側から撮ったこれだけ↑。
(<島内地図の8>あたり)
大国主神社(右)から天神社(左)へとつづく渡り廊下の前あたりに、
チラっと池が見えています。
この写真は干潮時に撮ったものですが、この時点で池の中に少し水があるから、
こっちも最初の鏡池と同じく、真水が湧き出してるパターンかな。
(※境内の裏側からは中に入れないので、橋(長橋)を渡って大国主神社へ行くことはできません。)
廻廊に囲まれたこの部分は「枡形」と呼ばれ、
毎年行われる「管絃祭」では、御座船や曳船がこの場所で船を3回廻すのだそう。
すっごく見てみたいけど、お祭り時期は凄い人出なんだろうねー。
ふと見ると、水面に水の輪がたくさん出来ていました。
そばに居た人の話によると、どうやらカニらしい。
あっちでもこっちでも、ぶくぶくなってました。
東廻廊の北部分から見た大鳥居。
潮が満ちると表情も一変。ほんとにきれい。
この穏やかで優美な景色は、
清盛の時代から、いったいどれほどの人たちを魅了してきたんだろう。
厳島神社その3へつづく・・。