瀧原宮つづき。
しばらく歩くと、社殿が見えてきました。
・・の前に、まずは古殿地(新御敷地)。
古殿地とは、
式年遷宮(伊勢神宮で20年に一度行う遷宮)に伴い、
旧社殿が建っていた土地のことです。
(式年遷宮のための空き地)
瀧原宮でも、伊勢神宮に準じて20年ごとに遷宮が行われます。
現在小さな小屋(覆屋)が建っていますが、
ここに遷宮前の御正殿(本殿)が建てられていました。
すなわち、次の遷宮では再びここに社殿が建てられ、
現在社殿が建てられている場所が、今度は更地になるのです。
それまで社殿が建っていた土地は、
遷宮から約半年間は「古殿地」と称され、
それ以降は「新御敷地(しんみしきち)」と呼び名が変わります。
※猿田彦神社の古殿地◆
ちなみに、伊勢の内宮・外宮の御正殿の下、及び、
古殿地にある覆屋の下には、
直径約30センチ・長さ180センチほどの「心御柱」が埋まっています。
古来、きわめて神聖視され、
別名を「忌柱」「天御柱」などとも称する心柱。
遷宮後もそのまま古殿地に残され、
次の遷宮において、旧心柱の位置が踏襲されて、
立てられる御正殿の中心位置と一致させていたようなので、
宗教上の神性と、
建築上の目印(正殿の中心位置)の、
両方の意味を持つ、
重要な神籠・依り代なのでしょう。
ただし、この心柱は伊勢の両宮にのみ立てられており、
瀧原宮や、同じく別宮の伊雑宮には存在しないそうです。
御船倉(みふなくら)
瀧原竝宮と古殿地の間にある、横長の建物です。
納められているのはご神体を入れる御船代とのことですが、
倭姫命が使用した御船とも、天照大御神の御神体とも。
なお、御船倉を持つ別宮はここだけです。
色の違う玉砂利が、参道・結界の役割を担っているのが
見た目にも素敵。
では、社殿へ。
同じ形の別宮がふたつ鎮座していますね。
他にも所管社が2社ありますが、
それぞれ参拝順序があるようなので、
その通りに手を合わせます。
まずは、向かって右手から。
内宮(皇大神宮)別宮・
瀧原宮(たきはらのみや)
御祭神:天照坐皇大御神御魂
天照皇大御神の和御魂とされますが、
「倭姫命記」における御祭神は、水戸神(別名:速秋津日子神)。
内宮の雛型になったという説もある、瀧原宮。
神宮で感じた、「ここは特別だ」という感覚が、
再び蘇ってきます。
体の中から風が吹き抜けていくような、
爽快感にも似た、すがすがしさ。
こんな場所、ちょっと他にないよなあ・・
この後、お伊勢さんを再訪する予定なんだけど、
ここがあまりにも心地よすぎて離れられない(笑)。
社殿の造りで一番好きなのは、尾張造り。
他に、習合色の強いものや、桃山・室町期の建築も大好きです。
でもやっぱり、神さんを一番感じられるのはこの神明造りですね。
神明造りのうち、内宮・外宮の正殿(本殿)は「唯一神明造り」となっており、
他の神社では同じ建築様式にすることはできません。
「唯一神明造」の定義はいろいろありますが、
神宮の正殿は一般に写真くらいでしか見ることができません。
ただ、内宮の参道にある御稲御倉も、実は「唯一神明造」。
なので、
さりげなく参道に立っているので見逃しがちですが、
正殿の姿を窺い知ることのできる貴重な社殿だったりします。
滝原宮の本殿は、
内宮に準じた造り。(唯一神明造ではないですが。)
千木は内削ぎ、鰹木は6本(偶数)ですね。
瀧原宮の鳥居横に立つ木に目をやると、
ずいぶん遠くまで伸びた根が、
玉砂利から顔を出していました。
つづいて、お隣へ。
内宮(皇大神宮)別宮・
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
御祭神:天照坐皇大御神御魂
天照皇大御神の荒御魂とされますが、
「倭姫命記」における御祭神は、水戸神の妃神・速秋津比賣神。
瀧原宮が、天照皇大御神の和魂を、
瀧原竝宮が、天照皇大御神の荒魂を祀っているというわけです。
どちらも同じくらい清らかで、
眠ってしまいそうになるほど気持ちがいいです。
あらためて思う。
伊勢関係ってすごいなあ・・
神さんがすごいのか、
そこに積み重なってきた人々の崇敬の念がすごいのか。
きっと、
天照皇大御神の神性と、
人が同神へと馳せる崇高な思いや祈りが、
神宮や別宮を、最強の神域として造り固めていくんだなぁ。
綺麗すぎて、尊すぎて、
邪なものは寄ってこれないね。
この場所に、来てよかった。
もっと早く来ればよかった。
社殿を前にして、
感謝の念しか浮かんできませんでした。
その4へつづく・・。