水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

大矢田神社 3 拝殿 <岐阜県美濃市大矢田>

2015-09-11 | ├ 岐阜(ひとり旅)

 

大矢田神社つづき。

 

 

 

 

 

ふと地面をみると、体長80センチぐらいのみーさんが。

 

 

一瞬、マムシだったらどうしようとビビりましたが、どうやらシマヘビっぽいから大丈夫。

写真とるからちょっと待っててねーと近づく。

カメラにおさめたところで、蛇はゆーっくりと草むらに消えていきました。

 

 

手水舎のあるスペースと、拝殿への石段。

 

 

手水舎

 

 

御神紋は木瓜紋です。

 

 

 

龍さんの口元はご愛嬌。

 

水ナシ手水舎も多々あるなか、水があるだけでも有難い。

山の中での水確保は何かと大変でしょうから・・。

 

 

拝殿

1671年再建 (国の重文)

 

 

階段のぼって開けた場所にある拝殿。

しかも、切妻・妻入り・開放型・・ 美濃にもあるなんて嬉しいかぎり。

愛知県にとても多く、個人的に大好きなタイプではありますが、
美濃市内では他に例を見ないということです。

 

 

 

御祭神:須佐之男命、天若日子命、阿遅志貴高日子根命

 

 

創建は孝霊天皇の時代。

 

 

社伝によると・・

 

山にすみついた悪竜に困った里人が、
大矢田神社を中心とした一帯である喪山の、天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈る。

建速須佐之男命を祀るよう夢告があったため勧請を行う。

建速須佐之男命が現れて悪竜を退治してくれたので、
建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てる。

 

 

716年、泰澄大師が天王山一帯を開基。天王山禅定寺と号した。

建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠はその一部となり、牛頭天王として習合。

7坊を有する禅定寺だったが、1556年に戦火により焼失。

その後、2坊のみが再興される。

1870年の神仏分離・廃仏毀釈により、牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀。

大矢田神社に改称。

護摩堂・鐘楼・観音堂などの仏教施設は廃されたが、楼門のみ残された。

 

という流れのようです。

 

 

かなり風化してますが、立派な天井絵。

 

 

楼門とおなじく、拝殿の屋根も桧皮葺です。

 

 

葺き替えとか大変だろうなあ。

 

 

 

こちらも子取り玉取りペア。

親狛さんの前足でムギュっとなってるタイプですが、
しっかり前向いて頑張ってるチビ狛さん。健気だ。

 

 

 

拝殿から本殿へ。

 

 

 

これも渡殿でいいのかな?

この渡り廊下部分も、個人的に大好きな場所。

 

 

 

中門の屋根も桧皮葺です。

 

 

 

誰もいないんで、もう思う存分に写真とりまくる。

 

 

社殿でもなんでも、背面側から撮るのが好きです。

神さまの視点になるからなのか、解放感がより感じられて良いからなのか、
理由は分からないけれど。

 

 

右手にあるのが社務所(たぶん)。

閉まっていて無人のようなので、御朱印は諦める。

御朱印は毎度必ずいただくという訳ではなく、気が向いたらという感じなので、そこはあっさりと。

 

おそらく紅葉シーズンは開いているのでしょうね。

 

 

 

ここは全体的にとても穏やかな空気の流れる場所で、優しいおじさん的な神社ですね。

 

 

終始、笑顔の宮司さんがウロウロしてるように感じましたが、
一人で歩いてきて2時間も居ついている奇特な奴を見て、
境内の案内でもしてくれてたんでしょうか。

宮司さんの格好だったから、たぶん神仏分離令より前の人ではないと思うけど。

 

 

 

たまーに山頂から人が降りて来て、拝殿で手を合わせて降りて行きます。

でもすぐ居なくなっちゃうので、常に境内には自分だけ。

 

 

上ってきた石段を、拝殿側から振り返るとこんなかんじ。

 

 

こうして見ると、さほど大変な坂でもなかったかな?

 

 

その④へつづく・・。

 

 

 


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