大矢田神社つづき。
ふと地面をみると、体長80センチぐらいのみーさんが。
一瞬、マムシだったらどうしようとビビりましたが、どうやらシマヘビっぽいから大丈夫。
写真とるからちょっと待っててねーと近づく。
カメラにおさめたところで、蛇はゆーっくりと草むらに消えていきました。
手水舎のあるスペースと、拝殿への石段。
手水舎
御神紋は木瓜紋です。
龍さんの口元はご愛嬌。
水ナシ手水舎も多々あるなか、水があるだけでも有難い。
山の中での水確保は何かと大変でしょうから・・。
拝殿
1671年再建 (国の重文)
階段のぼって開けた場所にある拝殿。
しかも、切妻・妻入り・開放型・・ 美濃にもあるなんて嬉しいかぎり。
愛知県にとても多く、個人的に大好きなタイプではありますが、
美濃市内では他に例を見ないということです。
御祭神:須佐之男命、天若日子命、阿遅志貴高日子根命
創建は孝霊天皇の時代。
社伝によると・・
山にすみついた悪竜に困った里人が、
大矢田神社を中心とした一帯である喪山の、天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈る。
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建速須佐之男命を祀るよう夢告があったため勧請を行う。
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建速須佐之男命が現れて悪竜を退治してくれたので、
建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てる。
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716年、泰澄大師が天王山一帯を開基。天王山禅定寺と号した。
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建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠はその一部となり、牛頭天王として習合。
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7坊を有する禅定寺だったが、1556年に戦火により焼失。
その後、2坊のみが再興される。
↓
1870年の神仏分離・廃仏毀釈により、牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀。
大矢田神社に改称。
護摩堂・鐘楼・観音堂などの仏教施設は廃されたが、楼門のみ残された。
という流れのようです。
かなり風化してますが、立派な天井絵。
楼門とおなじく、拝殿の屋根も桧皮葺です。
葺き替えとか大変だろうなあ。
こちらも子取り玉取りペア。
親狛さんの前足でムギュっとなってるタイプですが、
しっかり前向いて頑張ってるチビ狛さん。健気だ。
拝殿から本殿へ。
これも渡殿でいいのかな?
この渡り廊下部分も、個人的に大好きな場所。
中門の屋根も桧皮葺です。
誰もいないんで、もう思う存分に写真とりまくる。
社殿でもなんでも、背面側から撮るのが好きです。
神さまの視点になるからなのか、解放感がより感じられて良いからなのか、
理由は分からないけれど。
右手にあるのが社務所(たぶん)。
閉まっていて無人のようなので、御朱印は諦める。
御朱印は毎度必ずいただくという訳ではなく、気が向いたらという感じなので、そこはあっさりと。
おそらく紅葉シーズンは開いているのでしょうね。
ここは全体的にとても穏やかな空気の流れる場所で、優しいおじさん的な神社ですね。
終始、笑顔の宮司さんがウロウロしてるように感じましたが、
一人で歩いてきて2時間も居ついている奇特な奴を見て、
境内の案内でもしてくれてたんでしょうか。
宮司さんの格好だったから、たぶん神仏分離令より前の人ではないと思うけど。
たまーに山頂から人が降りて来て、拝殿で手を合わせて降りて行きます。
でもすぐ居なくなっちゃうので、常に境内には自分だけ。
上ってきた石段を、拝殿側から振り返るとこんなかんじ。
こうして見ると、さほど大変な坂でもなかったかな?
その④へつづく・・。