水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

日吉大社-2 西本宮

2019-05-29 | ├ 滋賀(ひとり旅)


日吉大社つづき。









殿上輿の列を追いながら日吉大社の境内へ。

参道では行列と並行しつつ、途中で先回りします。



赤鳥居では、行列を待つ神職さんの姿が。



山王祭の記事にも書いたけど、
夜行われる宵宮落し神事をいつか見てみたいな。




山王鳥居



天台座主を乗せた殿上輿がやってきました。



粛々と、厳かに進められていく神事。





西本宮 楼門(重文)




神輿が居並ぶ拝殿(重文)。

前日の宵宮落し神事の最後に奉安された
山王七社の神輿7基です。





神事中は周囲に400名程の参列者のみなさんが座っていらっしゃって、
とても拝殿周りをウロウロなんて出来ませんので、
神事終了後の片付け時に撮影しました。






拝殿前にある本殿(国宝)。

1586年建造の桧皮葺の社殿で、
「日吉造」という日吉大社特有のものです。




日頃は柵がしてあるようで本殿を正面から見ることは叶いませんが、
この日は作業を行う短い時間だけ開け放してあり、
有難くも御前で手を合わせることができました。

(詳細は例祭記事)



西本宮の御祭神:大己貴神

668年、
大津京鎮護のため、奈良の大神神社の神が勧請され、
その後、大比叡大明神と称されました。

明治7年には、それまでの社名「大宮」から、
「摂社 大神(おおみわ)神社」へ改称。

昭和2年に、現在の「西本宮」となりました。

なお、西本宮は、比叡山延暦寺の『東塔』の守護神でもあります。
(東本宮が『西塔』、宇佐宮が『横川』の、それぞれ守護神です。)



1571年の比叡山焼き討ちにより、日吉大社も境内が全焼しており、
現在の社殿はその15年後から再建されたものです。

安土桃山時代の建築物が、
なんでこうも自分の中に入り込んで来るのか分からないけど、
とにかく、理屈抜きに大好き。



境内の21社のうちで、「上七社」にあたる西本宮・本宮・宇佐宮・
白山宮・樹下宮・牛尾宮・三宮宮は、それぞれが「山王御輿」を有しています。
また、このように“拝殿前に本殿”という構成になっています。

さらに本殿内部の床下には「下殿(げでん)」と呼ばれる空間があるんですよ。



毎度おなじみ、個人的好みの床下アングルですが、
一般的に床下はこういった柱のみで、何もありません。

が、ここは内部に祭祀用の空間があるのです。



今でこそ日吉大社は神社ですけれど、
神仏習合が常だった江戸期までは神事と仏事が同居しており、
この床下の下殿において僧侶が仏教儀式を行っていました。

きっと下殿に本地仏(西本宮は釈迦如来)が祀られ、
心柱でつながったその先の上部で、
神(西本宮は大己貴神)を拝んでいたんだろうなー。

ちなみに、現在は下殿での仏事などは行われておらず、
特別祈祷(下殿特別祈祷)の場となっています。



これだけ神社参拝していながら、
実は一度も自発的な御祈祷を受けたことがない私。
(※子供の七五三などは除く)

修験・天台宗・桃山建築というキーワードがちりばめられた神社における、
基本的に一般人が立ち入ることが出来ない本殿内での祈祷・・。

これ以上のシチュエーションがあるだろうか。


人生初祈祷の場は、もしかしたらここかもしれない。




拝殿そばの御神木。

よく見ると幹あたりがネジネジです。



足元には双葉葵。



桂の祭りとされる、日吉大社の山王祭。

桂と葵は、古来より縁起の良い組み合わせとされており、
比叡山東麓の山王祭の翌日が、比叡山西麓の京都葵祭りとなっています。



これは、
巫女さんが授けてくれた
、例祭の桂奉幣で使われた桂の小枝です。

さすがに葉は落ちて枝だけになっちゃいましたが、
2年経った今でも大切にとってあります。




その3へつづく。







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