石上神宮ラスト。
これで一通りの参拝は終えたかなーと思い、廻廊あたりをふらふらしてみる。
廻廊の東に隣接する長生殿(平成9年に改築)。
「んぁ?」って言ってるみたいな飛び獅子さんと鬼瓦のコンビがいました。
境内のはずれに何となく足を運んでみる気になったのは、裏側に回ってみるのが好きなのと、
なぜか無性に行ってみたくなったから。
この先は、神社のパンフには「山の辺の道」としか記述がなく、
見たところ何も無さそうな雰囲気ですが・・。
さらに東へいってみると、
トラックのそばの樹(あとで調べたら、樹齢300年の大銀杏)あたりから、何やら空気が違うような。
曲がってみたら・・
注連柱で結界を張られた横道がありました。
道の向こうまで注連縄がつづいている禁足地らしく、この先に何があるのかはわからない。
ただ、鬱蒼とした木々の中だからか、ここだけ明らかに他とは違う雰囲気。
でも重くはない。
清々しさともまた違う。
静かな水の中にいるような感覚になる。
この先は時間の流れが違うというより、時間が止まってるかんじです。
家に帰って調べたら、道の先にあるのは末社の祓所神社と禊場でした。
ネットで調べても御祭神はわからなかった。まぁ普通に考えたら祓所四神だよね。
うーん、由来とかも知りたいなあ。
・・ということで、気になったので後日お電話でお尋ねしました。
宮司さんから御教示頂いた内容は以下の通り。
『御祭神=祓所四神』
『社殿の建築=戦後』
『場所の由来=古くから信仰の対象となっていた場所で、祭祀のあとの土器などを捨てた場所』
『禊場と祓所神社の由来=かつては布留川の滝のほとりで禊をしていたが、
戦後に水質が悪化したため祓場を現在の場所に移し、社殿を建てた。』
(※現地は小川の川上であり、水が湧き出ている。)
『禁足地にしている理由=①祓場であるため ②マムシが出るため』
お忙しい中、丁寧に教えて頂きありがとうございました。
摂末社のある高台からみる楼門。
黒アゲハが飛び交ってそばに寄ってくるし、鶏は相変わらずコケーーーーって鳴いてるし、
のんびりしてて本当に良いところです。
御祭神が神剣で、大和王権の武器庫で、軍事氏族である物部氏の氏神で・・。
もう、強そうな要素満載の場所ですけれど、神域は意外にもおだやか。
凛とした強さはあるんだけどね、とても落ち着く場所なのです。
昔の人は、この美しい景色をみて何を感じたんだろう。
穏やかな陽の空気に包まれながら感じる畏敬の念。
時代が違っても、日本人の心に生まれる感情はきっと変わらない。
明るい境内に漂う、潜在的な強さ。この感覚、どこかに似てるなーと思ったら、そうだ。
地元の熱田神宮 だ。
あちらも神剣関係だからそう思うだけなのかな?
神宝を守り、鎮めるためにつくられた空間。その独特な雰囲気。
神社の空気がとてもよく似ていると感じました。
ていうか、同じだわ。うん。
よく、その神社のご神徳とは関係のない部分で何かしらの恩恵を受けることがあるんですが、
この日も同じ。
参拝の翌日から、いろんな意味でやたら運がいいのが続いてる。
ほかに矢田坐久志玉比古神社、志貴御縣坐神社にもお邪魔したので何とも言えませんが、
矢田坐久志玉比古神社と石上神宮の強さが、色々と引っ張ってきてくれてるような気もします。
さて、ゆっくり2時間の滞在を終え、再度タクシーで天理駅へ向かいます。
そのまえに、境外すぐのところに鎮座する神田神社も参拝。
御祭神:高倉下命
鳥居の足元にある烏帽子岩は、布留川でとれる珍石だそうです。
では、最後は志貴御縣坐神社へ・・。
(国宝の七支刀(ななつさやのたち)がほどこされたお守り)
(石上神宮の御朱印)
つづく・・。