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水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

伏見稲荷大社6 ・・一ノ峰~三ノ峰・・

2016-03-07 | ├ 京都(ふらり旅)

 

伏見稲荷大社つづき。

 

 

 

 

 

さて、さきほどの御劔社長者社神蹟)を過ぎたあたりから、
なにやら急に坂がキツくなってきました。

 

 

けっきょく頂上まで約200数十段の石段を一気に掛け上がることになったのですが、
これがもう、しんどいなんの。(-д-;)

後ろを歩いていた男性もゼーハー息を切らしていました。

 

 

そんなときでも振り返って写真を撮ることは忘れない(笑)。

あとで知りましたが、
この坂道は稲荷山で一番の急勾配だそうで、
あの清少納言も枕草子のなかでその大変さを書き記しています。

これ、四ツ辻から右に行ったほうが、
最後の急勾配を経験しなくて済む分、体力的にはラクかもしれないね。

 

 

 

呼吸困難になりかけながらも(いや、ほんとに。)、頂上に到着ー!

 

 

一ノ峰 (末社 上社神蹟

御祭神:末廣大神/大宮能売大神 (=稲荷三神のうちの一柱)

 

 

末廣大神って?と素朴な疑問が湧いてきましたが、
親塚を建てた以前から、その名で崇められていたのだそうです。

 

 

ここでは皆さん、手を合わせてお参り。

 

 

この形は、はじめて見たなあ。

 

 

背後へ回る。

 

 

ここも塚がいっぱいです。

 

 

・・あ、すっかり記述を忘れてました。w(゜ロ゜)w

 

御祭神:稲荷大神(以下の五柱の総称)

 稲荷三神
  ・主祭神: 宇迦之御魂大神 - 下社
  ・配神: 佐田彦大神 (猿田彦神)- 中社
  ・配神: 大宮能売大神- 上社

 配神: 田中大神
   
- 田中社(下社摂社) ---1499年に本殿に合祀。

 配神: 四大神
   - 四大神社(中社摂社) ---同上。

以上、五柱の神を一宇相殿(1つの社殿に平等)として祀る。

 

創建は和銅年間(708年-715年)で、
鎌倉時代に神仏習合がすすみ、それまで三座だった御祭神(稲荷三神)が、
上記の五座となったそうです。

 

 

 

神体山の最高峰、一ノ峰。

よくわかんないけど、
やはり頂上にお塚を設けるのが一番のステイタス?なのだろうか・・。

 

 

稲荷山の3つの峯(一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰)は、
古代の古墳とも、祭祀場の跡とも考えられているそうです。

荒神峰田中社神蹟や山麓には古墳(4世紀後半~5世紀前半)が点在しており、
この古墳の主であった豪族が、山頂にて祭祀を行っていたのではないかとも。

お塚が群在する様子はまるで霊園のようだと感じましたが、
まあ、あながち間違ってはいないか・・。

 

 

個人が思い思いに建てたmy稲荷(お塚)は、その多くが神社の管轄外だそうですが、
稲荷山という広大な神域に、古代と現代の信仰が混ざり合って、
この独特の空気感を生みだしているのでしょうね。

 

 

 

では、頂上で一息ついたあとは、ようやく下りです。

 

 

ひたすら下ります。

 

 

下りばっかじゃ何なので、ふりかえって一枚。

千本鳥居あたりは写真を撮る人でいっぱいでしたが、
さすがにここまで来て道中を撮りまくる人は見当たりません。(笑)

みんな黙々と歩く。

チビっ子に至っては、「もぅいややー(。>д<)!!」と半泣きだった。

中楽しくてしょうがない私みたいなのはたぶん少数派で、
ひたすら続く山道と、いつ終わるとも知れない石段と鳥居の連続なんて、
特に小さい子にとっては苦行でしかないよね・・。

 

 

 

二ノ峰 (末社 中社神蹟

御祭神:青木大神/佐田彦大神(猿田彦大神) (=稲荷三神のうちの一柱)

 

 

 

 

こちらの佐田彦大神が、猿田彦大神であると考えられていることから、
一ノ峰(上社)に鎮座する大宮能売大神(末廣大神)は、
一説には猿田彦神の妻の天鈿女命ともされています。

であれば、一ノ峰(上社)の御祭神(大宮能売大神)と、
二ノ峰(中社)の御祭神(猿田彦大神)は、夫婦神ということになるんですかねー。

 

 

 

参拝もそこそこに、再び下ります。

 

 

あぁ狛さんだ。

君たちがいると、やっぱ落ち着くわー。

 

 

 

三ノ峰 (末社 下社神蹟

御祭神:白菊大神/宇迦之御魂大神 (=稲荷三神のうちの一柱)

 

 

ここ下社の御祭神は、
伏見稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂大神(倉稲魂命)ですが、
本来は上・中・下の三社のうち、中社に遷座するとされていたらしく、
下社とされるようになったのは江戸後期からだそうです。

(さきほどの上社・中社の御祭神の神名については、文献によって異同があって、
上社=大宮能売大神、中社=猿田彦大神 と決まったのは
明治になってからだとか。)

主祭神が下社(三ノ峰)?って一瞬考えてしまいがちですが、
境内の本殿においては、下社=中央座なので、
お山での配置をそのまま当てはめるとちょっと混乱しそうですね。

※本殿では、
向かって左から「田中大神」「佐田彦大神」「宇迦之御魂大神」「大宮能売大神」「四大神」。

 

 

どうしてメインが中社(=本社)だったのが、下社=本社になったんだろーか。

なんて考えつつ、さらに下へ。

 

その7へつづく・・。

 

 

 

 

 


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