桜井市ラスト。
最後に、今さらですが山の辺の道について。
山の辺の道は、奈良と桜井を南北に結ぶ古代道路のひとつです。
日本書紀に記録が残る、日本最古の道として知られており、
7世紀末~8世紀にはすでに道が出来ていたと推測されています。
詳細な道程は確定されていないものの、
三輪山麓から、石上・布留を通って奈良へと通じる、
南北およそ35キロの小道のことを言います。
(そのほとんどが東海自然道と重なる。)
天理市石上神宮を境にして北と南にコースが分かれており、
石上神宮(天理市)⇔春日大社・興福寺(奈良市)が北コース、
石上神宮(天理市)⇔大神神社(桜井市)が南コースと呼ばれています。
とくに、南コースの石上神宮・大神神社間のおよそ16キロは、記紀や万葉集にもたびたび登場し、
道沿いに古墳・陵墓・遺跡・古社など、数多くの史跡が残るルート。
ハイキングコースとしても親しまれており、
私が歩いた、平日の大神神社-檜原神社間(約1.1キロ)ですら、
3回ほど人とすれ違いました。
ちなみに赤が行きのルートで、青が帰りのルートです。
大神神社から石上神宮までは16キロもあるわけですから、
私が歩いた檜原神社までの1キロちょっとなんて、山の辺の道のほんの一部分ですよね。
なお、大神神社-檜原神社の間は、青ルートで立ち止まらずひたすら歩けば、
20分もかかりません。
『いにしへに ありけむ人も わが如か 三輪の檜原に 插頭折りけむ』
柿本人麻呂歌集 巻7-1118
(昔の人も、私のように三輪の檜原でヒノキの枝を折って髪に挿したことだろう。)
道中、出会った生き物たち(蝶(黒・黄・白)、トンボ、ヘビ)を目で追いながら歩いていると、
檜原神社の南入口に立つ注連柱が現れました。
せっかくなので正面から。
ぐるっと回って、境内西側に立つ注連柱からおじゃまします。
大神神社 摂社
式内社 檜原神社(巻向坐若御魂神社)
社号標。
あれ。
境内に入った途端、前方へ引っ張られる感覚が。
おもしろーい。
こんな神社は初めてだ。
この檜原神社には、大神神社とおなじく本殿がありません。
というか拝殿すらなくて、目の前の三つ鳥居から三輪山を拝するかたちとなります。
(山中の磐座が御神体。)
再建されたばかりの三つ鳥居は、陽の光に照らされて輝いておりました。
御祭神:天照大神若御魂神、伊弉諾尊・伊弉册尊
国内にいくつか存在する「元伊勢」伝承地のひとつ。
崇神天皇の御代、皇宮外で祀られるようになった皇祖神が、
最初に遷った地と言われています。
大神神社 末社
豊鍬入姫宮
御祭神:豊鍬入姫命
崇神天皇の皇女であり、初代斎王です。
境内から注連柱の外を望む。
ここから見る夕陽はさぞ美しいことでしょう。
このあと再び大神神社へ戻り、
人のいなくなった境内で、日暮れ時の静かな時間をゆっくりと愉しんだのでした。
予定通りの時刻に、三輪駅到着。
次はいつ来ようかなーと漠然と考えながら、帰途につきました。
(檜原神社 御朱印)
大好きな奈良。
また近いうちに行きますねー