京都つづき。
櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)。
橋を渡り終えるとすぐ、右手に神社方面への道があります。
石段の上に一の鳥居。
昔はそれぞれに独立した社殿をもち、
・櫟谷神社=式内社(御祭神:奥津島姫命)
・宗像神社=国史見在社(御祭神:市杵島姫命)
となっていました。
御祭神:櫟谷神(奥津島姫命)、市杵島姫命
二柱は、筑紫の宗像から668年に勧請されたものと伝わります。
ともに宗像神(水神)であり、
当地の地主神として祀られたことに由来すると考えられているそうです。
また、御祭神については両社が逆であるともいわれ、
櫟谷社に至っては事代主神とするとも。
両社とも大堰川(桂川)の水運の安全を祈って祀られたと思われ、
明治10年に松尾大社の摂社となりました。
戦後に廃止されたものの、
律令体制が整って以降、神社には「式内社(官幣社・国幣社および二十二社)」、
「式外社(国史見在社など)」といった、社格がありました。
式内社(しきないしゃ)とは「延喜式神名帳」に登録された神社で、
当時、国家が祭祀した神社(官社)のことです。
全国に2861社あり、そこに鎮座する神の数は3132座。
一方の式外社(しきげしゃ)とは、
平安以前すでに存在していたのに、「延喜式神名帳」に記載がない神社のことです。
朝廷の勢力範囲外の神社や、独自勢力の神社(熊野那智大社など)、
神仏習合により仏を祀る寺となった神社、僧侶が管理した神社、正式な社殿がなかった神社
などが含まれます。
歴史ある式内社と同等に、由緒のある格式高い古社となります。
この宗像神社は、国史見在社(こくしげんざいしゃ)と言って、
「式外社ではあるが、『六国史』に記載された神社」にあたります。
『六国史』とは、
奈良・平安時代に編修された、六つの官撰国史の総称のこと。
=「日本書紀」・「続日本紀」・「日本後紀」・「続日本後紀」・「日本文徳天皇実録」・「日本三代実録」
そこに載っている神社のほとんどは式内社(延喜式神名帳に記載あり)なのですが、
うち400社前後の神社ついては、延喜式神名帳に記載がありません。
このような、
六国史に載っているのに式内社ではない神社のことを、
「国史見在社」と呼びます。
延喜式神名帳に記載がないのだから、要は式外社なのですが、
六国史に載っていない式外社もあるので、国史見在社≠式外社。
ちなみに高千穂神社(宮崎県)、香椎宮(福岡県)、石清水八幡宮(京都府)なども、
国史見在社です。
穏やかな景色を眺めつつ、櫟谷宗像神社をあとにします。
つづく・・。