日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

松井秀喜選手のこと

2009年07月15日 16時57分41秒 | 松井秀喜
松井秀喜選手の懐刀「広岡勲さん(42)」(ヤンキース広報部が)、14日の阪神対中日戦を観戦した。

大スクープだ。(サンケイスポーツ西部版)

なぜ、個人的な観戦が、スクープされたのだろうか?

【広岡勲:早稲田中学校・高等学校を経て、1991年アメリカ合衆国ハワイ州のハワイ・パシフィック大学社会学部卒業。 報知新聞社に入社して、長嶋茂雄、松井秀喜と巨人担当記者として7年間勤務後再渡米。 ニューヨーク市立大学大学院修士課程(ジャーナリズム論、思想・哲学)修了。報知新聞社を退社。 2003年ヤンキース広報担当に就任。 2006年から環太平洋担当を兼務する。松井秀喜選手に請われて「報知新聞記者」から球団広報に転身し、渡米からひたすら陰で支え続けている。】

松井秀喜選手と広岡広報の関係は、報知新聞を退社してヤンキース広報に移ったことは、松井選手とヤンキースの契約に明記されている程強固な関係で、もう8年にも及ぶ。MLBオールスター・ゲームの合間を縫って日本にいる意味は大きい。
なぜスクープされたのかは、松井も了解している節がある。広岡広報が、弟のサンケイスポーツ記者「広岡浩二」に話さないと、42,378人の中からアルプススタンドにいる写真を撮れないだろう。
甲子園の改装されたスタンドや愛する土のグラウンドや設備が報告されるでしょう。

巨人は、「55番を松井に返す」と言ったが本質ではない。屋根を取っ払って、天然芝には出来ないでしょうから。出来るなら保障されるが・・・。
その前提も、ヤンキースとの交渉が不調で、他のMLBとの交渉も成立しなかった場合だけだが。

大好きな球団に帰った星野仙一は英雄だが、清原選手は・・・追われた。偉大な王選手は、もう帰ることはない(生涯ソフトバンク)。

松井の55番は、新人大型スラッガー「大田泰示」が付けている。

松井は、卒業の前年、阪神のドラフト1位で入団した大阪桐蔭の「萩原誠」が、あこがれだった「掛布」の31番を着けることを非常に悔しがった。来年「ぼくがつけるつもりだった31番を・・・」
また、ドラフト指名挨拶に自宅を訪れた「佐野仙好」スカウトに、「佐野さんが来た、佐野さんが来た」と大喜びし、優勝決定(対ヤクルト)の佐野の犠牲フライを、細かに語った。

そして、運命のドラフトは、長島監督が当たりくじを引き当てて、運命が決まった。前途洋々たる出発だった。王を追うという意味の55番を背に付けた。

あの日に帰れない・・・・!



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