日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

”僕が死んだら・・・”ソフト!

2007年12月25日 19時44分45秒 | 残日録
大阪のIT企業「シーリス」(有山圭二(27)社長)が、「僕が死んだら・・・」(無料ソフト)を公開すると評判になっている(窓の森)。

もし、僕(私)が死んだときに、家族がパソコンを立ち上げた時に、パソコンの初期画面に特定の個人あてのメッセージを流すプログラムのアイコンがある。
このアイコンをクリックすると、あらかじめ書き込んだメッセージ(今までありがとうなどのメッセージ)が表示され、その影で、指定されたファイルが削除される。
実際は、見られたくない(秘密の)ファイル削除ソフトです。「僕が死んだら・・・」(ダウンロードサイト)

しかし、公開されている「ホームページ」や「ブログ」などの削除は当然出来ないので、閲覧記録や写真やプライベートメモなどが対象となるでしょう。

対照的な俳句を一句「裏を見せ 表も見せて 散る紅葉」「うらをみせ おもてもみせて ちるもみぢ」良寛  (寝たきりになって、下の世話まで面倒をみてもらっているからには、紅葉がはらはらと散るように、なんの隠し事もなく、死んでいきます)
良寛さんの、清貧な飾り気のない人生で、汚物を垂れ流す惨めな晩年でも、見よ!この人徳を!

良寛:良寛さんは70歳の時に歌の繋がりで「貞心尼(30歳)」と知り合います。良寛の死亡するまでの短い間ですが、心の交流はすばらしいものでした。
弟子というか世話してくれる人達には「かたみとて 何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじば」と詠んでいます。なにも残すものはないのが実情でした。晩年は寝たきりで、朝になって、汚れた着物や垂れ流した汚物を貞心尼が掃除してくれるため、早く夜が明けないかとそればかり考えていました。しかし、良寛さんの死亡は感動的なものでした。
それは生前の言動が人間らしく、なにびとに対しても優しく接したからにほかありません。
全ての貧しい人々に食を乞うて生きてきた一介の頭陀僧(ずたそう)のために多くの人々が集まりました。亡くなったのは雪の降りしきる正月6日の夕方でした。1日おいた8日の夕方の「野辺送り」には、150年前の情報の伝わらない時代にも拘らず、「良寛死亡」のニュースは口伝えで、越後全土を駆け巡りました。それを聞いて、取るものも取らず、雪の降りしきる中を、駆けつけました。みんなが貧者にも拘らず、少なからぬ香典やろうそく、香、お斎米(おとぎまい)を持って、駆けつけて来た人々は木村家(葬儀をだした家)から3町(109m*3)も続いていました。
貧者のお供えはお米一石六斗(一握りのお米が集まって4俵)にもなりました。6ヶ寺の印法寺院、12ヶ寺の随喜寺院、285人の会葬者などこまごまと書きとめられている文章が残っています。(木村家に残る「良寛上人 御遷下(ごせんげ)諸事留帳」)
ありがたくて、涙があふれてきます。合掌。

やっぱり隠し事があろうと無かろうと、ありのままで死に行くのが自然でしょう。最後の瞬間に隠し事をする気力があるなんて、この世に未練を残しているのかな?