日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

昭和天皇の意志

2006年07月20日 20時05分05秒 | 残日録

老人の域に達したkunio_nikkiは、今日、今上(昭和)天皇の意志を知って大変驚きました。同時に身近になった「人間天皇(戦後自ら宣言された)」を感じ、尊敬すべき何かを感じました。
身近な人たちが、戦場で「天皇陛下万歳」を叫んで、戦死しました。若い命が「特攻隊」で、敵艦に突入しました。勿論、非戦闘員の多くの国民が、空襲で、原爆で命を落としました。京都、奈良や多くの文化財を空爆しない余裕のあるアメリカに挑んだ責任は、なぜか日本の国民からは糾弾されませんでした。昭和天皇は、戦後('45~'75)に8回も「靖国神社」に参拝されましたが、これらの戦死者のことを思って参拝されたのを知りました。そして、'78年の「A級戦犯」合祀以後参拝されなかったのは、天皇の御意志だったのですね。
子供の時期に、天皇が地方行幸される時に、小学生でしたが、日の丸の小旗を持って振りました(学校からの動員)。あっという間に通り過ぎて、なんの感慨もありませんし、遠い存在でしかありませんでした。今ほど昭和天皇を、偉大に感じたことはありません。
元々、靖国神社は、国のために(陛下のために)死んだ兵士を奉る施設ですから「靖国で逢おう(神になろう)」と死んでいった英霊(天皇陛下の軍隊で死亡した隊員)は、戦争を主導したA級戦犯などが、奉られるようになったことを知った時、「一緒にしないでくれ」と叫んだかも知れません。
戦争については、兵士や国民の間で「九段の母」が大ヒット。「国(天皇陛下)の為に死ぬ」は、戦争を主導した者達が利用した言葉でした。
【九段の母】
作詞:石松秋二  作曲:佐藤富房  唄:塩まさる
1
上野の駅から  九段まで
かってしらない  じれったさ
杖をたよりに  一日がかり
せがれきたぞや  会いにきた
2
空をつくよな  大鳥居
こんな立派な  おやしろに
神とまつられ  もったいなさよ
母は泣けます  うれしさに
3
両手あわせて  ひざまつき
おがむはずみの  おねんぶつ
はっと気づいて  うろたえました
せがれゆるせよ  田舎もの
4
鳶(とび)が鷹(たか)の子  うんだよで
いまじゃ果報が  身にあまる
金鵄勲章が  みせたいばかり
逢いに来たぞや  九段坂

A級戦犯だった「岸信介」は、なぜか東京裁判で不起訴(猶予だったかも)となり、総理大臣に登りつめ、戦争犯罪者を許す風潮が、B、C級戦犯の合祀、そして、A級戦犯の合祀となりました。その岸信介の娘と安倍晋太郎が結婚して産まれたのが「安倍晋三」ですから、彼の(官房長官)の右傾化は止むを得ません。
靖国問題は、複雑ですが、今の天皇陛下も参拝されていませんから、新しい施設や分祀を真剣に考える勢力も必要でしょう。A級戦犯などによって主導された「太平洋戦争」は、多くの犠牲を伴って「戦後は終わっていない」状態です。「天皇陛下の為に」と死んだ人々を天皇陛下が参拝できますように、早く状態が整うよう願っています。
益々「先制攻撃論」が台頭する前に!