こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、目黒太鼓橋(たいこばし)からの雪景撮影です。
以前のブログ「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」からの続きにもなります。
前回のブログで書きましたように、雪でJR線が泊まる程の大雪の為、東京メトロ地下鉄を使用して、
前回の浅草(あさくさ)から目黒(めぐろ)に到着しました。
お昼に家を出発してから思うように移動できなかったので、目黒駅に着いた時には暗くなりかけていました。
以前のブログ「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」の後半で説明しましたが、
目黒駅から目黒太鼓橋のある目黒雅叙園(めぐろがじょえん、民営の結婚式場・ホテル・レストラン)の坂を降りて行く途中に天台宗大円寺(だいえんじ)があります。
境内には、多くの石仏群(都有形文化財)が並び、釈迦三尊像、五百羅漢像などがありますので、時間も余りありませんでしたが、雪と石仏の景色を撮影したかったので、立ち寄る事にしました。
赤い提灯(ちょうちん)に書いてある様に、この寺は目黒七福神の大黒天(だいこくてん)が祀られています。
(絵画調)
この頃には、雪もみぞれ交じりとなりました。
下の写真の手前の赤い布をまとった大きめの黒いお地蔵さんが「とろけ地蔵」です。
その後ろに並んでいるのが、都有形文化財にもなっている石仏群です。
(絵画調)
江戸三大火(振袖火事、車町火事、行人坂火事)の一つである明和9年(1772年)の行人坂火事は、
この大円寺が火元と云われ、強風で北東方面に広がり、白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす大火となりました。江戸城中の櫓(やぐら)までも延焼したので、大円寺は以後76年間も再建を許されなかったのです。
石仏群はこの大火の犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成したと云われているものです。
釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る520体ほどの石仏群です。石仏一体ごとに豊かな表情が並んでいます。
「とろけ地蔵」は、顔や手が溶けたような異様な地蔵です。江戸時代に漁師が海から引き上げたものだそうです。
昔から悩み事をとろけさせてくれる、ありがたいお地蔵様として信仰されてきたとの事でした。
境内の七福神も雪化粧です。
(絵画調)
太鼓橋に着いた時には、かなり暗くなっていました。広重の絵と同じように太鼓橋を入れて、目黒雅叙園の方を見て撮影しましたが、雪を写真に入れられませんでした。
(絵画調)
太鼓橋まで移動して、橋の雪を入れてました。雪も降り終わり、木や欄干の雪が無いのが残念ですが、
この写真を、広重の名所江戸百景「第111景 目黒太鼓橋夕日の岡」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
下の絵は、広重の名所江戸百景「第111景 目黒太鼓橋夕日の岡」(冬景)です。
絵の説明は、「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」でしましたので、省略させていただきます。
目黒・恵比寿方面の過去のブログは、以下の通りです。
「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」
「名所江戸百景133 第24景 目黒新富士 恵比寿ガーデンプレイスからの夕景」
この時間帯になると、雪が解け始めて、水たまりになり、歩いている時に隣を通る車に水をかけられたりと大変な撮影となりました。翌日からは仕事があり、降雪後の撮影はできませんでした(残念)。
今回は、これで終了とさせていただきます。
前回のブログで書いたように、最近では何日も雪が都会に残る降雪は珍しくなりました。
「くまドン版」で確定していない残りの景は、雪景の4景だけなのです。
12月に雪が降ったにも関わらず、今年の正月も暖かく、雪が積りそうもありません・・・・・(汗)
雪が降らなかったり、「くまドン」の休日と合わなかった事を考えて、代わりの仮景を作ることにしました。
(雪が降れば降ったで、交通傷害になったり、死傷者がでるので、あまり勝手なことは言えませんからね。)
とりあえず、正月に作成した分のブログは、全て揃いました。仕事や残景の撮影で時間もありませんし、無理をすると続かないので、残りの景の話は、ゆっくりペースで作っていこうと思います。
次回は、別の景の話になります。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)
今回は、目黒太鼓橋(たいこばし)からの雪景撮影です。
以前のブログ「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」からの続きにもなります。
前回のブログで書きましたように、雪でJR線が泊まる程の大雪の為、東京メトロ地下鉄を使用して、
前回の浅草(あさくさ)から目黒(めぐろ)に到着しました。
お昼に家を出発してから思うように移動できなかったので、目黒駅に着いた時には暗くなりかけていました。
以前のブログ「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」の後半で説明しましたが、
目黒駅から目黒太鼓橋のある目黒雅叙園(めぐろがじょえん、民営の結婚式場・ホテル・レストラン)の坂を降りて行く途中に天台宗大円寺(だいえんじ)があります。
境内には、多くの石仏群(都有形文化財)が並び、釈迦三尊像、五百羅漢像などがありますので、時間も余りありませんでしたが、雪と石仏の景色を撮影したかったので、立ち寄る事にしました。
赤い提灯(ちょうちん)に書いてある様に、この寺は目黒七福神の大黒天(だいこくてん)が祀られています。
(絵画調)
この頃には、雪もみぞれ交じりとなりました。
下の写真の手前の赤い布をまとった大きめの黒いお地蔵さんが「とろけ地蔵」です。
その後ろに並んでいるのが、都有形文化財にもなっている石仏群です。
(絵画調)
江戸三大火(振袖火事、車町火事、行人坂火事)の一つである明和9年(1772年)の行人坂火事は、
この大円寺が火元と云われ、強風で北東方面に広がり、白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす大火となりました。江戸城中の櫓(やぐら)までも延焼したので、大円寺は以後76年間も再建を許されなかったのです。
石仏群はこの大火の犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成したと云われているものです。
釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る520体ほどの石仏群です。石仏一体ごとに豊かな表情が並んでいます。
「とろけ地蔵」は、顔や手が溶けたような異様な地蔵です。江戸時代に漁師が海から引き上げたものだそうです。
昔から悩み事をとろけさせてくれる、ありがたいお地蔵様として信仰されてきたとの事でした。
境内の七福神も雪化粧です。
(絵画調)
太鼓橋に着いた時には、かなり暗くなっていました。広重の絵と同じように太鼓橋を入れて、目黒雅叙園の方を見て撮影しましたが、雪を写真に入れられませんでした。
(絵画調)
太鼓橋まで移動して、橋の雪を入れてました。雪も降り終わり、木や欄干の雪が無いのが残念ですが、
この写真を、広重の名所江戸百景「第111景 目黒太鼓橋夕日の岡」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
下の絵は、広重の名所江戸百景「第111景 目黒太鼓橋夕日の岡」(冬景)です。
絵の説明は、「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」でしましたので、省略させていただきます。
目黒・恵比寿方面の過去のブログは、以下の通りです。
「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」
「名所江戸百景133 第24景 目黒新富士 恵比寿ガーデンプレイスからの夕景」
この時間帯になると、雪が解け始めて、水たまりになり、歩いている時に隣を通る車に水をかけられたりと大変な撮影となりました。翌日からは仕事があり、降雪後の撮影はできませんでした(残念)。
今回は、これで終了とさせていただきます。
前回のブログで書いたように、最近では何日も雪が都会に残る降雪は珍しくなりました。
「くまドン版」で確定していない残りの景は、雪景の4景だけなのです。
12月に雪が降ったにも関わらず、今年の正月も暖かく、雪が積りそうもありません・・・・・(汗)
雪が降らなかったり、「くまドン」の休日と合わなかった事を考えて、代わりの仮景を作ることにしました。
(雪が降れば降ったで、交通傷害になったり、死傷者がでるので、あまり勝手なことは言えませんからね。)
とりあえず、正月に作成した分のブログは、全て揃いました。仕事や残景の撮影で時間もありませんし、無理をすると続かないので、残りの景の話は、ゆっくりペースで作っていこうと思います。
次回は、別の景の話になります。
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