くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景288 第22景 広尾ふる川 渋谷ヒカリエ(1) ブルーライトアップ

2016年11月16日 19時00分32秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 前回までの2回分は、スカイツリーの特別ライトアップが続きましたが、今回は、渋谷(しぶや)駅前の渋谷ヒカリエの特別ライトアップです。名所江戸百景の渋谷区は「広尾ふる川」ですが、名所江戸百景「くまドン版」では、東京タワーからの風景に持って行ってしまいましたので、「くまドン」の名所江戸百景では、渋谷は初登場です。
 ヒカリエの上部が青く光っていますね。11月14日は、「世界糖尿病デー」らしく、日本各地でブルーライトアップしています。


 糖尿病とは、全く無縁の感じですが、クリスマス・イルミネーションもすでに始まっています。
 なにも調べないで行きましたので、何も考えないで撮影していましたが、今年、2016年(平成28年)は「塔の上のラプンツェル」の世界観をイメージして飾りつけたツリーだそうです。
(絵画調)

 建物内の写真ですが、ディズニー・アニメのイメージでしょうか?
(絵画調)


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第22景 広尾ふる川」(春景)です。

 あまり、渋谷には関係ありませんが、渋谷区の絵ということで題名にしましたので、入れておきます。
 一応、歴史関係の話を少し入れておきます。
 渋谷ヒカリエのある所に宮益坂(みやますざか)と呼ばれる坂道がありますが、江戸時代は富士見坂(ふじみざか)と呼ばれていました。江戸時代の「江戸名所図会」にも紹介されていますので、一部を抜粋します。
 「富士見坂(ふじみざか) 渋谷宮益町(しぶやみやますちょう)より西に向かひて下る坂をいふ(言う)。斜めに芙蓉(ふよう)の峯(=富士山)に対(むか)ふゆゑに、名とす。相模街道(さがみかいどう)の立場(たてば)にして、茶店酒亭(さかや)あり。麓(ふもと)の小川に架(わた)せる橋をも、富士見橋と名づけたり・・・・」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 ただいま、江戸川の渡しの残り1カ所を作成中です。とりあえず、最近撮影した写真で、間をつなぎます。

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名所江戸百景287 第31景 吾嬬の森連理の梓 スカイツリーのシャンパンツリー

2016年11月15日 12時25分36秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 前回のブログで、福神橋の特別ライトアップの写真を載せましたのが、以前、福神橋から、シャンパン・ライトアップの逆さツリーを撮影したのを懐かしく思い出しました。
 今回は、江戸川区と江東区の境を流れる旧中川に架かる「ふれあい橋」からのシャンパンツリーを、仕事の帰りに撮影してみました。手持ち撮影なので、写真が傾いていますが・・・・

 平成28年11月14日の週は、シャンパンツリーとキャンドルツリーのライトアップを交互に時間限定で点灯しているみたいです。
(絵画調)


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第31景 吾嬬の森連理の梓」(春景)です。

 上の写真では、福神橋から、北東側(右後方)にある吾妻神社(あづまじんじゃ 吾嬬権現社)の方向を見た絵です。

 以前のシャンパンツリー撮影時のブログは、
 「名所江戸百景102 第31景 吾嬬の森連理の梓 シャンパンツリー(逆さツリー)」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 ただいま、江戸川の渡しの残り1カ所を作成中です。とりあえず、最近撮影した写真で、間をつなぎます。

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名所江戸百景286 第104景 小梅堤 スカイツリ・パープル・ライトアップ

2016年11月14日 12時25分20秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 前回のブログを作成してから、日数が空いてしまいました。江戸川の渡しの話を作るのに、もう少し日数が必要なので、直近で撮影したばかりの写真を間に入れておきます。
 たまたま、今年・平成28年11月12日(土)に、スカイツリーの特殊ライトアップがありました。今回は土日が仕事日でしたが、1日しかないので、夜間に仕事に影響のない範囲で、珍しく撮影に行ってきました。

 今回のライトアップは、 「女性に対する暴力をなくす運動」のシンボルカラーである紫色の特別ライティング「パープル・ライトアップ」を点灯したそうです。
 (「パープル・ライトアップ」とは、女性に対する暴力根絶のシンボルカラーだそうです。)

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第104景 小梅堤」(冬景)です。


 写真をもう一枚入れておきます。北十間川(きたじっけんがわ)の福神橋からのスカイツリーです。
(絵画調)


 今日、平成28年11月14日は、スーパームーンの日(地球と月の最接近日)ですが、天気予報があまり良くないので、がっかり気味の「くまドン」です。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 前回のブログで、オリンピック関連の問題点を書いた後に、11/4まで東京オリンピックの会場選びで4者会談があったり、11/8にアメリカ(U.S.A.)大統領選挙で、トランプ候補が、ヒラリー・クリントン候補に勝利するなど、書く内容に困りました・・・
 状況の変化に注目していますが、今の内に、江戸川の渡しの残り1カ所を作成してしまおうと思います。

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名所江戸百景285 第93景 にい宿のわたし 旧松戸徳川家・戸定邸(国重要文化財)

2016年10月21日 23時15分28秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、前回の「松戸の渡し」の金町側に続き、千葉県・松戸(まつど)側の「旧徳川家住宅 松戸 戸定邸(とじょうてい)」の話です。
 10月に金町側の撮影後に、あちこちに回り過ぎて、夕方までに松戸にたどり着けなかったので、平成22年(西暦2010年)梅雨(つゆ)時に撮影した写真を使用します。この日も曇りでした。

 水戸藩(みとはん)最後(11代)藩主・徳川昭武(とくがわあきたけ)が、松戸に造った別邸(明治17年完成)です。
 徳川昭武は、江戸幕府・最後の15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の弟にあたり、父親が同じ水戸藩・9代藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)です。明治維新の混乱の中、慶応4年(=明治元年)に兄にあたる先代の水戸藩10藩主・徳川 慶篤(とくがわよしあつ)が死去した為、フランスのパリ留学中から戻った翌年・明治2年になってから、水戸藩主を継ぐことになります。

 「戸定が丘歴史公園」の中にありますが、「日本の歴史公園100選」の一つとなっています。
 (色々あって、後から追加した分も含めて、250カ所が選択されているのですが)

 松戸・戸定邸は、近年になって、国の重要文化財と名勝(めいしょう)の指定を受けています。

 公園入口の階段を登ると門がありました。

 歴史館もあるのですが、この日は資料整理中で、休館日でした・・・・・・

 公園内の通路を通り、戸定邸に向かいます。

 明治17年に完成し、実際の生活の場として使用されていたようです。

 日本の建築様式のひとつである欄間(らんま)の模様は色々ありました。

 縁側の廊下(ろうか)の天井です。

 明治時代になってから作られたので、庭に芝(しば)になっており、和洋混在の庭園です。


 下の図は、前回も載せました明治13年の測量で作成されたフランス式彩色図の中にある「松戸の渡し」周辺です。迅速測図(じんそくそくず、簡易地図)のですが、彩色が美しい地図です。この頃は、まだ戸定邸はありませんが、その場所は、前回説明した「松戸の渡し」のすぐ右(東)側に丘の上にあります。(△印の測定点のある所です。)

 「江戸名所図会(えどめいしょずえ、江戸時代の地誌紀行図鑑)」のおいては、「松戸の津(つ、船着き場)」が紹介されています。「常陸街道(ひたちかいどう)にして駅舎あり。」から始まり、
 平安時代中期の女性日記文学として有名な更級日記(さらしなにっき、作者:菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ))の「産後の乳母(めのと)を見舞う」の中に、
 「太井川(ふといがわ)といふが上の瀬、松里の渡りの津にとまりて、夜一夜、舟にてかつがつ物など渡す。」
と書いてあるが、「松里」とは「松戸の渡し」のことであろうかと推察しています。「太井川」は、現在の江戸川です。

 下の写真のように、この庭から江戸川と葛飾橋を見下ろせます。戸定邸のある場所は、「松戸の渡し」正面のすぐ近くにある丘の上です。のこの庭から眺める景色は、明治から変わりゆく時代を映し出していたのでしょうね。

 明治30年代には、兄の元将軍・徳川慶喜も何度か訪れ、弟の昭武と共に趣味の写真撮影などを楽しんだそうですが、当然、この庭から移り変わっていく明治の松戸や金町の街並みや、道行く人の往来を眺めていたのでしょうか・・・・・・
 広間の上座にあたる床の間(とこのま)です。


(1)前回までの「逆井の渡し」「平井の渡し」「にい宿の渡し」「小岩・市川の渡し」「今井の渡し」「矢切の渡し」「松戸の渡し」のブログは以下の通りです。
 「名所江戸百景277 第67景 逆井のわたし 平井諏訪神社と旧中川」
 「名所江戸百景279 第93景 にい宿のわたし 蛇行する中川の流れと歴史」
 「名所江戸百景280 第94景 真間の紅葉手古那の社継はし 元佐倉道と小岩市川の渡し」
 「名所江戸百景281 第71景 利根川ばらばらまつ 今井の渡し」
 「名所江戸百景282 第67景 逆井のわたし 旧中川のシラサギ」
 「名所江戸百景283 第67景 逆井のわたし 旧中川のふれあい橋」
 「名所江戸百景030 第93景 にい宿のわたし 矢切の渡し」
 「名所江戸百景031 第93景 にい宿のわたし 柴又帝釈天」
 「名所江戸百景284 第93景 にい宿のわたし 「松戸の渡し」金町関所」

 最後に、関係ない方向に話が脱線しますので、そのまえに、邸以外の公園内の写真でも区切りとして、入れておきます。

和風に合わせての雰囲気がありますね。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 急に厳しい話になりますが、特に何のしがらみもない小さな個人ブログですので、自由な考えで脱線させていただきます。上の話と別になりますので、せっかくの気分を壊しかねないので、話の外に置きます。
 この戸定邸は、実は「富士見百景」に指定される富士山展望の好所だったのですが、最近、正面にタワービルが建って、富士山が見えなくなってしまったそうです。
 「くまドン」も、名所江戸百景の撮影でタワービルの展望台も利用してはいますが、なんとなく、あちこちに乱立していくタワービルは好きになれません。
 景観の問題とは別に、日照権(にっしょうけん)の問題回避の為に、タワービルが細長だから、一定時間以上、地域の日光を遮らないので合法と言う考えが、どうしても納得できないのです。(それ以外にも、過去には借地による建ぺい率のゴマカシ問題がありました。)
 現在のバブル経済の時のような都心のビル建設ラッシュも、いつまでも続きませんから、バブル崩壊後の負の遺産と同様になるのは目に見えていると考えています。ごまかしの建ぺい率緩和などを止めて、過剰なビル建設を抑止して欲しいと思っています。
 舛添要一(ますぞえよういち)・前東京都知事が問題になった「違法にならなければ、税金を勝手に使用できる」というような、現在の政治全体に蔓延(まんえん)している身勝手な考え方に反感を感じ、今の政治を叩き直して、健全な方向に向けて欲しいと思っています。その意味でも、舛添氏が、色々な問題で失職して、良かったと思うし、さらには、他の政治家の税金の使い方についても、しっかり叩き直して欲しいと思います。

 「くまドン」としては、現在の小池百合子(こいけゆりこ)・現東京都知事の「都民ファースト」の考えを応援したいと思います。オリンピック予算削減(競技場の見直し)を始めとして、税金のムダ使いや公共事業の私物化・散財を終わらせて、都民の為の健全な都政と財政を構築して欲しいと思っています。
 その意味でも、明後日の10/23(日)衆議院2選挙区の補欠選挙日で、選挙区外で直接投票には関係ないのですが、衆議院・東京都第10区では、小池氏を応援する若狭勝(わかさまさる)候補に当選して欲しいと思っています。
 逆に、いたずらな公共事業ばかり唱える放漫経営で、中国や韓国に媚売っているよう二階俊博(にかいとしひろ)・自民党幹事長は、さっさといなくなって欲しいと思います。こういう人達がはびこるから日本がダメになると思っています。
 その為にも、福岡県第6区では、自民党の世襲の2候補よりも、不満票を他候補に入れるべきだと思っています。農村部で自民党の強い選挙区ですが、農業関係者もTPPが反対であれば、しっかり反対の意思表示して、自民党に圧力をかけるべきだと思いますよ。基本的に民主主義の世界ですから、後任者は、しっかりした人を住民の中から育て、選んで行くのが基本なのですから、「弔い合戦(とむらいがっせん)」と言う言葉にゴマかされて、世襲制を肯定している時点で、完全に間違っていると思います。
 なお、初めて見る人はびっくりしていると思いますので、念のため書いておきます。
 「くまドン」は反中反韓ということを、最初の「あいさつ」書いて始めて、何度も批判していますので、特に何か変わったという分けではありません。
 (ただし、元々は写真・旅行・歴史のブログを作りたかっただけで、余り政治の話はしたくないのも本心です。3月以降、現在の政治を見て、「ろくでもない事をやっている」と思っても、政治がらみ問題を書くと、体力的にも精神的にも、余計な負荷がかかるので、家の用事や仕事もありますので、言わないで我慢していました。)

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名所江戸百景284 第93景 にい宿のわたし 「松戸の渡し」金町関所

2016年10月18日 20時40分15秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、昔の江戸川にあった渡し船の話の続きで、葛飾区・東金町(ひがしかなまち)と千葉県・松戸市の間にあった「松戸の渡し」の話です。
 下の写真は、葛飾区・東金町(ひがしかなまち)にある「金町関所跡の碑」です。「松戸の渡し」の葛飾区側にありました。江戸川の堤防が後ろに見えていますが、関所は堤防下の河川敷一帯にあったそうです。

 説明板によると、水戸街道が江戸川(江戸時代の利根川)を渡る地点に置かれた江戸の東の関門でした。
 普段は渡し船による渡船でしたが、徳川将軍が鷹狩り(たかがり)に出かける際には、川に高瀬舟を並べて、仮設の船橋が架けられたそうです。

 逆に、江戸川の堤防から、「金町関所跡の碑」方向を見た現在の風景です。隣に東京都・下水道局の金町ポンプ所があります。
(絵画調)

 ここより、もう少し上流に行くと、埼玉県・三郷市(みさとし)です。この付近は東京都・千葉県・埼玉県の境界に近いです。

 下は江戸時代の地図の一部ですが、図の右を流れるのが江戸川(江戸時代の利根川)で、上に「松戸」の文字が見え、対岸に「金町の関所」が見えます。、

 水戸街道は、左下の道から中川(なかがわ)の「新宿(にいじゅく)の渡し」を渡り、曲金(まがりかね、現在の葛飾区・高砂)の所で佐倉街道を分けて、図の右上に進み、松戸の渡しにかかります。
 道の途中には、「亀有(かめあり)」「柴又(しばまた)」「矢切(やきり)」の地名も見られます。
 古地図の真中に見える調整池が、江戸時代に造られた小合溜井(こあいためい)で、現在は水元公園(みずもとこうえん)となっています。ここで撮影したのが別の季節だったので、また、別の機会とさせていただきます。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第93景 にい宿のわたし」です。

 広重の絵に描かれた「にい宿の渡し」は水戸街道の中川にあった渡し場です。
 江戸時代では、地図に藻掻いてある「新宿の渡し」の上流にある「猿ヶ俣(さるがまた)」より下流側を「中川」、上流側を「古利根川」と呼んでいました。江戸時代以前に中川が利根川の本流だった頃の名残りです。

 金町関所跡のある堤防から江戸川の対岸を見た写真ですが、正面が松戸の渡しなのですが、河川敷が広くて、江戸川が見えません。
(絵画調)

 写真の左奥に現在の松戸の町が見えます。
 この場所では、江戸川が見えないので、もう少し上流の埼玉県・三郷市に移動して撮影した松戸市のビル街です。
(絵画調)


 下の図は、明治13年の測量で作成されたフランス式彩色図に中の「松戸の渡し」周辺です。迅速測図(じんそくそくず、簡易地図)のですが、彩色が美しい地図です。金町関所は明治2年に廃止されましたが、明治維新からの混乱が残っている時代なので、江戸時代の地形が色濃く残っています。

 真中が、現在の松戸市街です。江戸川沿いに左下(南西)から水戸街道が通り、金町関所跡(現在の金町ポンプ所)の所までつながっています。「松戸の渡し」の対岸には、松戸側から道が伸びているのが分かります。

 江戸川の上流側を見ると、江戸川沿いに現代の松戸の街並みが続きます。


 金町関所跡(松戸の渡し)の堤防から下流側の景色です。「松戸の渡し」から200m程下流に葛飾橋(かつしかばし)があります。

 明治44年(西暦1911年)に初代の葛飾橋(木橋)が架設され、松戸の渡しは、その役割を終えました。
 木橋なので、痛みが早く、昭和2年(西暦1927年)には鉄橋に架け替えられています。
 さらに、時代は変わり、現在の水戸街道(国道6号線)は、さらに約1km下流にある新葛飾橋を通過しています。

 「松戸の渡し」の松戸側は、江戸川と下総台地の高台との間の距離が近いので、対岸の町のすぐ後ろに崖の森がが続きます。

 次回は、「松戸の渡し」の対岸にある松戸側の話に移ります。

(1)前回までの「逆井の渡し」「平井の渡し」「にい宿の渡し」「小岩・市川の渡し」「今井の渡し」「矢切の渡し」のブログは以下の通りです。
 「名所江戸百景277 第67景 逆井のわたし 平井諏訪神社と旧中川」
 「名所江戸百景279 第93景 にい宿のわたし 蛇行する中川の流れと歴史」
 「名所江戸百景280 第94景 真間の紅葉手古那の社継はし 元佐倉道と小岩市川の渡し」
 「名所江戸百景281 第71景 利根川ばらばらまつ 今井の渡し」
 「名所江戸百景282 第67景 逆井のわたし 旧中川のシラサギ」
 「名所江戸百景283 第67景 逆井のわたし 旧中川のふれあい橋」
 「名所江戸百景030 第93景 にい宿のわたし 矢切の渡し」
 「名所江戸百景031 第93景 にい宿のわたし 柴又帝釈天」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 今年の3月に母親が倒れてから、家の用事と仕事で、遠くに旅行に出かけることは難しくなりました。母親の回復もゆっくりですが、家の中では自由に動ける所まで回復しており、ホッとしています。ご心配おかけしました。
 (今後、厳しいことも言わざるえない時もありますので、先に、これまで「いいね!」をいただいた方を含め、この場でお礼申し上げます。)
 4月の桜の季節だけ、車で親の病院の送り迎えする間の待ち時間に、その近くで桜撮影をしたこともありました。
 両親も回復してくると、全く旅行に出かけなくなった「くまドン」を逆に心配して、「少しはどこかに旅行に行ってきなさい」と両親に言われる有様です。前にも書いたように、8月からは、休みの日で家の用事の無い時間帯に、たまには、東京都内・周辺の近場に撮影に出かけられるようになりました。
 今回の写真は、東京周辺だけですが、2月の旅行以来で、ひさしぶりに丸1日・車で旅行した写真です。
 (一日中、曇りの日でしたから、風景写真撮影に向いておらず、歴史関係の見学旅行となってしまいましたが)

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