伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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自立型救助活動

2013-03-09 10:27:51 | 地震・災害 関係


(3月8日の上毛新聞から)

「震災2年あの日から明日へ」という連載記事に、
震災時に群馬県から派遣された、
緊急消防援助隊の戸丸隊長さんの話が載っていました。

緊急消防援助隊は、平成7年(1995)の阪神淡路大震災を踏まえ、
大規模災害等に、国家的観点から人命救助活動等を迅速に行えるよう、
平成7年6月に創設されました

全国の消防機関から選抜されています。(通称:緊援隊)
群馬県隊の編成はこちらです。



(震災時の緊援隊の活動)

記事によれば、震災が発生した3月11日、
戸丸隊長は群馬県緊急援助隊を率いてすぐ福島県へ急行。
しかし、未曾有の災害で司令塔となるはずの
消防庁からの情報伝達は機能せず、
群馬県緊急援助隊は福島県内の市町村を転々としました。
津波警報や余震もあり、相馬市で捜索・救助活動を始めたのは、
13日の朝からでした。

戸丸隊長の言葉です。
「消防庁からの情報に頼るのではなく、自分たちで
 地元から正確な情報を集められる体制が必要だった。」
これは重要な指摘です。
国や県の緊急消防援助隊の応援と受援、
双方の計画の見直しが必要と伝え、現在見直しが進んでいるそうです。

活動初日は14人を救助し、7名の遺体を収容できました。
隊員達は「もっと早く着けばもっと助けられたのに」と
自らを責めました。



(阪神・淡路大震災のころ)

私は以前、群馬県庁職員でした。
消防防災課に勤務していた時に、阪神・淡路大震災が発生しました。
遠く離れた群馬県でも、救助や支援のため、情報収集や連絡調整、
物資の確保や輸送、職員の派遣など必死でした。

当時、消防防災課の防災係と消防係を中心に、
業務が爆発的に増えました。
昼間は電話と来客が途切れなく来ますので、
通常の事務が行えるのは18時ごろからでした。

昼間は一人の職員が複数の電話に対応しつつ、
複数の訪問者を待たせている状態で、
私などは県庁の電話交換手の方に声を覚えられ、
多い時は県庁に来る電話の10分の一くらいは多田さんあてと言われました。

当時の消防防災課の職員は、
平日は夜の12時過ぎまで係員全員が仕事をしている状況でした。
家に着くのは毎日深夜1時過ぎ。
連日の激務で、食欲はありませんでしたが、
体を動かさなくてはなりませんので、
朝は、白いご飯にリポビタンDをかけたお茶漬けを
無理やり口にかっ込んで仕事に行きました。

そして土日も山のように仕事があり朝9時前には、
まるで平日のようにほとんどの職員が出勤し机に向かっていました。
あまりに疲れがたまるため、土日の場合は仕事は夜9時くらいに
早めに切り上げる生活でした。
地震が起きた1月17日から3月いっぱいまでこのような生活でした。

東日本大震災の被災地では、公務員の皆さんは
これ以上の激務がもっと長く続いているに違いありません。
地方公務員の離職者や自殺者まで出ています。
一部の人に、背負いきれないほどの業務や悩みが
偏らないように、日本みんなで支援したいと思います。



(災害時に一番重要なのは)

当時、群馬県消防防災課の職員として
阪神・淡路大震災の支援をする中で、
「災害時に一番重要なことはなんだろう?」と考えました。

みなさんは、なんだと思いますか?
情報、食料、水、電気、人手など、いろいろ大切なものありますね。
私が考えた結論は「時間」です。

大災害時にはいろいろなものが壊れたり、失われます。
でも一番大事なものは「人命」です。
では、人命を守るためには何が大事でしょうか。

阪神・淡路大震災では、倒壊した家などにはさまれ
逃げられないまま焼け死んだ方もいらっしゃいました。
大怪我をして救助や手当てが間に合わなくて
なくなった方もいます。

でも、もし火災が発生しても、
逃げられない人のところまで火が来るのが、
すぐではなくて、100年後だったら、余裕を持って助けられます。

出血多量で命の危機にある人も、
あと30分で死亡するのではなく、
1年後だとしたら、十分助けられます。

最災害時には、情報や物資などいろいろなものが不足しますが、
なかでも一番重要で、取り返すことができないのは「時間」です。

だとすれば、災害発生時には少しでも早く対応できるように
事前に準備しておくことが、災害時の時間の節約になるのです。
必要な物資の備蓄や、救助技術の訓練、情報伝達手段の確保などなど。



(災害時の自立的組織)

今回の東日本大震災では、
せっかく緊急援助隊が創設され、地震当日に現地へ到着したのに、
司令塔となるはずだった消防庁が機能せず、
各地を転々とし、人命救助に一番大事な初動の時間を浪費してしまいました。
悔やまれます。

それまでの防災計画では、災害時にはその自治体が
情報収集の主体となり、県庁へ連絡し、県庁は国へ連絡する想定だったと思います。
しかし今回の東日本大震災は、あまりに激しかったため、
市町村の役場機能そのものが丸ごと失われてしまった自治体もありました。

そのために、県や国に情報が集まらず、
各地から集結した緊急援助隊に、
効果的な指示が出せなかったのでしょう。

今後も大災害時に現地の自治体が機能せず、
県や国が司令塔の役割を果たせないことはありうるでしょう。
そうだとすれば、緊急援助隊が一番大事な初動の時期に
一番貴重な「時間」を浪費しないためには、
戸丸隊長のご指摘の通り緊急援助隊が自分で情報を収集し
自己判断で動けるような体制作りが必要なのです。

ここで思い出すのは、
アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁
(Federal Emergency Management Agency of the United States)
略称:FEMAです。

この公的機関は、洪水、ハリケーン、地震および原子力災害を含む、
その他の自然災害や核攻撃などの人的災害に際して、
迅速に現地に入り、連邦機関や州政府等の関係機関の業務を調整します。
また、家屋や工場の再建や企業活動・行政活動の復旧にあたって、
資金面からの支援を行います。

もともとFEMAは、核攻撃を受けた場合に備えて
設立された組織と聞きます。
そのため、迅速かつ自立的であることが特徴です。

FEMAは、災害対応において非常に効果を上げ
賞賛された時代もありますが、その後組織改変などを経て
批判を浴びた時期もあります。
しかしそのコンセプトは、
災害対応においては的を射ています。

最災害時に、被災者自身に対して、
「被害の情報を集めて報告せよ」と命令しても酷です。
救助に行く者が、自分で情報を収集・分析し、
自立的に迅速に活動開始できるようにすることが必要です。



(参考)
・「3・11以後の日本の危機管理を問う 」晃洋書房 (2013/01) 2100円
(目次)
 第1章 東日本大震災に見る政治の危機対応と組織の在り方
 第2章 3・11を経た日本の災害対策の在り方―米国危機管理専門家の検証と提言
 第3章 米国における非常事態の災害対応システムとその日本への導入
 第4章 米国の危機管理を支える原点―システムの標準化により緊急事態に対処
 第5章 米国における最新防災危機管理研修システムの実際―TEEXと軍のICS教育
 第6章 同時多発テロ事件以降の米国の危機管理の状況と課題
 第7章 FEMAと災害:その栄光と挫折―FEMA内部の視点から
 第8章 東日本大震災の教訓を経た日本の危機管理の在り方(シンポジウム)
    ―米国FEMAの経験を踏まえて





















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