伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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ひきこもりのゴール  理解・支援のための良書

2024-08-26 16:40:55 | 教育・PTA・児童福祉

(「ひきこもり」とは)

 

不登校の生徒が卒業後も家にひきこもっている、

あるいは大学生や社会人になった後に

家に引きこもるようになった。

このような「ひきこもり」は146万人いると推計されます。

 

親が扶養している間は暮らせますが、

ハチマル・ゴーマル問題」と言って、

保護者が扶養できなくなった後の自活が課題。

「ハチマル・ゴーマル」の次の段階は

「キューマル・ロクマル」ではなくて、

「ロクマル」が取り残されます。

 

 

 

(ひきこもりの理解)

 

ひきこもりの方は、なぜ社会に出られないのか、

なぜ仕事に就けないのか、なぜ他人と交流できないのか。

当事者の気持ちを理解することは

不登校児の理解にも通じると思います。

 

不登校やひきこもりの理解・支援のための本は、

医師や治療者、学校関係者、福祉、民間支援者、

あるいは当事者等からたくさん出ています。

 

しかしそれらは、各著者の個人的な体験や個人的見解が主で

非常にバラエティーに富んでおり、読者はどれを信じてよいのか

振り回されます。

 

そんな中で今回ご紹介する

石川良子著「ひきこもりの<ゴール>」は、

石川さんの博士論文をもとにした本であり、

先行研究や多数の主要関連図書を網羅して整理してあり、

ひきこもりや不登校の理解や支援の現状を

全体的に展望・理解できます。

教育や治療、支援にあたる方には必読の基本書と感じました。

 

これまでの支援は「学校へ行けない」「人と交流できない」

という外的現象面に注目し、学校へ行ったり、

仕事へ行けるようになることが「解決」とみなされてきました。

 

しかしそのやり方では、当事者の心の面の解決とは無関係

なぜ行けないのか、なぜ社会と交流できないのかという

「なぜ」の部分が放置されたままになってしまってます。

 

 

 

(本書の要点をご紹介)

 

p27 ”本人が働くことを望んでいるのだから、

  その手助けをすればいい”という意見には賛同できない。

  (中略)なぜかといえば、当事者の訴えは多くの場合、

  ”<社会参加>したいのに、どうしてもできない>

  という形をとるからだ。にもかかわらず、

  近年は前半の”~したい”ばかりが強調されて、

  後半の”~できない”が捨象されているように思えてならない。

 

p27 一方、”<社会参加>できない”という訴えのほうに重点を置き、

  ”ひきこもっていてもいい”といった「ひきこもり」肯定論を

  展開する論者もいるが、私はこれを支持することもできない。

  これはこれで当事者の葛藤や苦悩を素通りしているように

  感じられるからだ。

 

(多田コメント)

外形的に「行けるようになる」ことで「解決した」とみなすことは

根本的な原因解決になっていないことの指摘と、

「そのまま放置すればよい」にも賛同できないという指摘。

 

 

p28 こうして考えてくると、求められるのは”<社会参加>

  したい”を当事者の意思表示と受け止めると同時に、

  等しく”<社会参加>できない”もそれとして尊重する

  ことではないか。そして、この二つがどう絡み合い、

  激しいジレンマを引き起こしているのかを丁寧に解きほぐし、

  なぜ<社会参加>できないのかを考えることではないか。

  さらには、当事者がさまざまな理由から<社会参加>

  にこだわるのは当然だとしても、彼/彼女ら自身もまた

  ”<社会参加>できない”という自分の感覚に、

  改めて向き合ってみる必要があるのかもしれない。

 

(多田コメント)

当事者自身の課題も指摘しています。

 

 

p126 (ひきこもり当事者が)現在を位置づけられなければ、

  過去と未来も不確かとならざるを得ない。

  したがって”いま何をやっているのか?”という問いかけによる

  苦痛を和らげるためには、その場しのぎの答えを用意したり、

  適当にお茶を濁すことができる技術を身につけたりすればいい

  というものでは、決してない。

  過去と現在の間に生じた亀裂を埋め、未来を思い描けるように

  なること。これこそが求められる。

  ”自己を語るための語彙”の喪失及び獲得は、こうした観点から

  捉えなければならない。

 

(多田コメント)

現在の自己を位置づけられないと、未来の自分も描けない。

 

 

p151 「ひきこもり」を”状態”ではなく”過程”と捉える

  ひきこもることは、それ以前にありえたのとは

  異なる人生の”スタート”と捉えることが可能である。

  とすれば”対人関係の獲得”と”就労の達成”のいずれも、

  決して”ゴール”すなわち<回復>にはなりえない。

  (中略)

  「ひきこもり」とは<社会参加>していない”状態”

  としてではなく、ひきこもる以前に思い描いていた

  自己像や人生像が崩壊したところから

  社会に流通する諸言説を取り入れながら、

  それらを再構築していく長期的な”過程”として見えてくる。

 

(多田コメント)

「ひきこもり」を固定した状態として診るのではなく、

以前の自分から新たな自分へ変化する途中の「過程」として

捉える視点は、ブリッジスのトランジション理論みたいです。

(古い自分から新しい自分に生まれ変わる場合、

 まずこれまでの考え方ややり方を終える段階があります。

 次に何物でもないニュートラルな心理状態となり、

 その時期を経て新しい自分が始まります。)

 

 

p215 当事者が直面しているのは”<社会参加>する/しない

  ではなく”<生きる、生き(られ)ない>という水準の

  葛藤であることを示している。(中略)

  何を確かめた時に、当事者は社会へと踏み出していけるのか-

  に対しては、<生きよう>という意思がその答えとなる。 

 

 

p229 「ひきこもり」からの<回復目標>をどこに置くのか

  答えるとすれば、存在論的安心の確保にほかならない。

  つまり、生きることへの覚悟、生きることや働くことの意味

  といったものを手にすること、これが本書の提示する

  <回復目標>である。(中略)

  いずれにせよ<実存的疑問>への答えは、

  全面的に個々の当事者にまかされるべきものである。

  第三者が特定の答えに誘導したり、その中身に介入したり

  するようなことだけは、絶対にあってはならない。

 

p238 何より大切なことは、当事者一人一人が

  自分の人生を肯定し、納得すること、それ以外にない。

 

p240「社会に問題が起こるのは、実際には、

  社会秩序そのものの中に根本的な矛盾があるからなのだが、

  そう考えるのではなく、社会に問題が起こるのは

  問題そのもののせいだ、と考えるのである」。

  この場合は、ある人がひきこもり続け、そこから抜け出せない

  のは前述のような社会に問題があるからではなく、

  当人の精神力の弱さや怠惰さのためだと見る、というわけだ。

  このように、逸脱を「社会の基本的価値観や構造とは関係なく

  起こるものとして説明」し、

  逸脱的な他者にだけ責任を負わせることを、

  ヤングは「他者の悪魔化」と概念化している。

 

 

p244 批判の目が向けられるべきは、”私たち”と”かれら”が

  ともに生きている、いまこの社会である。

  ひきこもっている人々を<社会参加>させるべく

  強制的に介入するような支援は、彼/彼女らを矯正の対象

  とすることによって、「ひきこもり」を排除することを

  迫る社会の在り方を温存させることにつながる。

  そうした社会こそが当事者をひきこもらせているという

  観点に立つならば、それは結果的に問題解決を遅らせる

  ことでしかない。(中略)

  ひきこもっている人々を「社会」に適合させるのではなく、

  私たちすべての生を充実させてくれるような社会を構想して

  いくことが、進むべき方向ではないだろうか。

 

(多田コメント)

不登校の児童・生徒を、個人的な問題と捉え学校に適合するよう

「矯正」するのではなく、むしろ「学校の方を今の時代に合うように

変えていく必要があるのではないか」という

私のこれまでの指摘を裏付ける分析です。

 

 

(参考リンク)

石川良子教授に聞いた『「生きづらさ」を抱えたあなたへ』の魅力

石川良子のおすすめランキング

文部科学省通知(令和4年6月から一部引用)

 「5.学校内の居場所づくり

  従来使用していた「適応指導教室」の呼称について、

  不登校児童生徒や保護者にとって抵抗感を減らし

  親しみやすいものにするため、「教育支援センター」若しくは

  各教育委員会等において工夫された名称としていただくよう、

  御検討をお願いします。」

  (多田コメント)

  耳触りの良い名称に変えるけれども、

  「不適応者が適応するよう指導する」というスタンスは

  変えてないのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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