健保のつぶやき

食事、トイレと他人様に頼る必要はないが、薬に頼る生活がソロソロ始まりました。当面は「親鸞さん」に照準。

母の死に目に会えてよかった

2015-05-14 20:09:27 | 船木医師

 

【 死亡時刻 】

私の力が及ぶわけもない、
だれにもどうしようもない、話なんですが。
長く、おつきあいのあった患者さんたちが
今月に入って、もう何人も亡くなりました。
なかには、10年以上のおつきあいのあった、
ご家族全メンバーを知っている患者さんも
おられます。

くりかえし、時に連日連夜、
ご自宅に訪問していた方が、ある日突然、
日々のルートから外れてしまう。

さびしいです。

死亡確認を、午前、日中、夜中や休日と、
いろんな時間にご自宅で行うなかで
たびたび感じることがあります。

それは、

「患者さんが、亡くなる時間を、
ある程度の幅で決めているんじゃないか?」

ということです。

私は、いたずらに何日か苦しい時間を
延ばすだけの点滴など、
いわゆる延命治療は、まったくというくらい
行いません(何度もご家族に説明の上で)。

ですから、食べられない、飲めない、
という患者さんが、人間としてごく自然な有様で
日々衰え、乾き、意識も遠くなってゆく、
布団のなかで、ゆっくり小さくなってゆく様を
何度も診てきました。

そこに、手を加えることなんてできません。
人間の自然な生きざま、死にざまですので。

ですが、それでも、

「自分で亡くなる時間を選んだんじゃないか?」

という経験をたびたびします。

・海外で一番遠かった息子の到着後、
10分くらいののちに息をひきとる
・孫、ひ孫、全メンバーがそろったのを
薄目をあけて見たのち、息をひきとる
・忙しい息子の仕事がたまたま非常に
ひまだった日の、お見舞いの時間に息をひきとる
・夜中、奥さんがたまたまトイレに起きたとき
何日も口をきいていなかったのに、
奥さんの目を見て、名前を呼んだ後、息をひきとる
・大好きだったフライドチキン、コーラを
奥さんに買いに行かせ、それらを少し口にして、
家族に感謝のことばを口にしてから、息をひきとる

などなど。

あと、私の側の話をさせていただくと、
ある程度の期間、訪問診療をさせていただいている
患者さんに関しては、

「私がごく近くにいて、すぐに動けるときに、
亡くなる方がほとんど、というより全員である」

ということです。

私も、一応、休診日もあれば夜は寝ています。
家族と、遠出することもあるし、少々の期間なら
旅行をすることもあります。
(長期に都内に不在となるときは、知り合いの
先生たちに、代わりの待機をお願いします)

ですが、私が、物理的に駆けつけられない時に
亡くなった方は、いままでまったくおられません。
不思議なくらい、時間の単位で、
私が患者さんのお宅の近くにいるとき、
すぐに対応できる余裕のあるときに
連絡があるのです。

再三、最後の最後まで、「私が診ます」と
ご本人、ご家族にはお話をしていますが、
それこそ、最後の最後に、互いの約束を
果たしあえる。

そんな、不思議な力も、人間は持っているのか?

そう思えてしょうがないのです。

~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり

船木 威徳さんの写真
 
 
 
単身赴任で、入院中の母を看取ったのは入院後2ヶ月め。妻は毎日看病していたが、死に目に会えたのは私だけ。母は私が病院に着いて30分後に。それまで看病していた妻は私と交代でで帰宅し、死に目に会えず。先生の書かれたこと。実体験としてわかります。その後、母との語らいはありません。凡人なので。それが普通の人でしょうか。死者と語らいできる方おられますが、なんとも、コメントしようがありません。