健保のつぶやき

食事、トイレと他人様に頼る必要はないが、薬に頼る生活がソロソロ始まりました。当面は「親鸞さん」に照準。

ヤハリ癌で死にたい

2016-08-31 08:55:46 | 屁理屈医師

痴呆だと、こんな苦しみないですね。癌だから頭はすっきりしている。痛みも感じる。楽には死ねないが、自分がそこにいる。痴呆はそんな苦しみはないが、自分がいない。それでも、癌で死にたいが、糖質制限していると、癌になりにくいとか。サテ、どうしたものか。悩む。

 

 

臨床宗教師

 

先日、NHKテレビで聞きなれない単語を耳にしました。『臨床宗教師』・・・番組は、クローズアップ現在+『”穏やかな死”を迎えたい〜医療と宗教 新たな試み〜』というものでした。
「なんか、面白そうな仕事やね」・・・他の用事をしながらわたしがそう云ったら、「あなたは絶対興味持つと思ったよ」と妻に笑われました。

臨床宗教師は、日本で終末期患者さんにスピリチュアルな面で寄り添える宗教者を育成しようと、2012年に東北大学で養成講座を創設されたものだそうです。調べてみると、NHKは2年前にもETV特集『臨床宗教師〜限られた命とともに〜』というのをやっていました。なんか、これも見たことある気がしました。

たしかに、僧侶は通夜や葬儀を通して亡くなった人やその家族には何人も会ったことはあるけれど、人の死そのものに触れる経験はほとんどないでしょうね。死にゆく時に「誰かに寄り添ってもらって、心の中を全てわかってもらいながら穏やかに死んでいきたい」と思う心は良くわかります。医師であり臨床宗教師でもある田中先生のような人が紹介されていたので、自分も何かの講座を受けたら臨床宗教師になれるのかなと思ったのですが、調べれば調べるほど、それはむずかしそうなのであきらめました。

でも、キリスト教の牧師さんのように、わたしが死にゆく時までには日本で臨床宗教師がもっと普通に普及していることを祈っています。