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御殿場駅(0合目)からの富士登山 [後編]

2009-12-21 21:53:12 | 登山
2005年8月20日 の無茶な登山記録 ~後編

前編はコチラ
 
 
 
== 5:30 新5合5勺 ==
 
新5合5勺を過ぎるあたりまでは足元の砂も硬く非常に歩きやす
かったので 「踏み出すごとに砂が滑り降りてなかなか上に
進めない」という御殿場口の評判を疑い始めていたのだが、
やはり砂走りに併設しているギザギザの登山道はそう甘くは
なかった。須山口下山歩道が分岐する廃小屋を通過するころ
には足元の砂はかなりフカフカになってきており、ペースが
急落した。5合5勺の所に「6合目まで2時間」という立て札が
あり「そんなにかかるのか?」と思っていたのだが、この
登山道なら確かにそのくらいは余裕でかかりそうだ。実際、
はるか上のほうに見えるそれらしき建物は、歩けど歩けど
一向に大きくなってくれず、ギザギザを何個か折り返しては
小休止という進み方になってきた。
 

 
 
それでも7:30 ごろには、6合目と思しき小屋(閉鎖中)の前を
通過。上を見て次の目標7合目を探すがそれらしきものは
近くに見当たらなかった。よくよく考えると7合目は下山時に
砂走りの入り口となっているところなのだがら、はるか上の
方に見えている宝永山に行く道よりもさらに上にあるはずだ。
これはかなり時間がかかりそうだという思いとともに、本当に
さっきの小屋は6合目だったんだろうかという疑問が持ち
上がってきた。

これは後で聞いた話なのだが、御殿場口の「新」5合目という
のは昔は「2合目」だったところで、点在する小屋の跡が
従来の「x合目」の区切りだったらしい。確かに地形図を
見ると、6合目だと思った小屋の辺りに「4合目」と書かれて
いる。それは7合目まで遠いわけだ。

またこれも後で聞いた話なのだが、この辺りを歩いていた時に
下のほうから 雷のような音がガンガン聞こえてきていて何事かと
思ったら、 どうやら自衛隊が演習をしている音だったらしい。
富士に 向かって大砲を撃っているのだから、それは確かにすごい
音が聞こえるわけた。
 
 
 
== 9:00 7合目 ==

新6合目だと思われる小屋を通過してから、旧5合と旧6合
だろうと思われる小屋の跡を通過して登っていくと7合目に
到着する。こう書くといかにも簡単に着いたようだが、
この区間は最高につらかった。まさに3歩進んで2歩下がる
くらいの勢いの深い砂の斜面が何箇所かあり、容赦なく
体力が奪れていく。下を見ると山中湖が見えたりしたので
多少気は紛れたのだが、足取りはひたすら重かった。

相変わらずギザギザの登山道が続いているのだが、一番
キツイのはギザの先端を折り返す時だ。この時は斜面に
向かって真っ直ぐ歩くことになるので、曲がり角のたびに
大減速、曲がり角を過ぎるとちょっと楽になるという
繰り返しがしばらく続いていくので、逆走して下りたくなる
ことしきりである。ただ、この辺りは下山用の砂走りと
登山道の距離が離れているので、7合目までは
頑張れよと言われているような感じだった。

そんな区間を抜けて7合目 日の出館に着いた時の喜びは
ひとしおなのだが、上を見ると頂上はまだまだはるか遠く
に見えていて、たどり着けるのか不安になってきた。
しかし、7合目で少し休憩してから再び歩き始めると、下が
砂地ではなく砂利道のような感じになるので、これまでの
道のりと比べてかなり歩きやすくなった。砂走館を通過
した所からは駿河湾を見ることができ、富士から海まで
見えたのは初めてだったので大感激だった。


 
 
相変わらず風が強く、この辺りでかなり寒さが深刻に
なってきたので、8合目に着いたら着替えようなどと思い
ながら歩いていたら、風によるアクシデントが発生した。
コンタクトの上から花粉よけのメガネをかけるという
スタイルでここまでずっと砂埃を耐えてきていたのだが、
とうとう隙間から進入した砂粒が右目を直撃したのだ。
これにより右目に激痛がはしり、風の中コンタクトを
はずすわけにも行かないのでひたすら次の小屋を求めて
目をしぱしぱさせながら歩くこととなってしまった。
 
 
 
== 10:00 8合目 ==

目の痛みをこらえながらしばらく歩くと、赤岩八合に到着。
山小屋の人に頼んで中に入れてもらい、コンタクトを
外してメガネに交換することができた。次は寒さ対策だ。
小屋の陰でカッパとTシャツを脱いで長袖のYシャツに
着替えたのだが、これだけで一気に暖かく感じるように
なった。やはり、寒さは汗でどっしり重たくなったTシャツ
が原因だったらしい。

これらの作業を合わせて30分近い休憩をとり、かなり
リフレッシュすることができたのでさらに上を目指して
歩き始めた。実は赤岩八合は「八合」を名乗っていながら
7合9勺なので、この上に本当の8合の小屋がある。ただ、
この小屋は廃墟となっていて、小屋跡の前のスペースで
小休止している人が目立つ程度の位置づけだ。赤岩八合で
十分に休憩した当方だったはずなのだが、さすがに30km
歩き続けてきた足は重くて仕方がなかったので、持参
していたエアーサロンパスをふくらはぎや足の裏に噴射
することにした。

これで足も楽になり、さあ頂上めざして頑張ろう!
となるかと思ったら、やはり8合目からが富士山である。
足元は大きな岩と石ころが混ざり合ったような比較的
歩きやすい地面なのだが、肝心の足が全く思うように動いて
くれないのだ。登山道は相変わらず細いジグザグ道が続いて
おり、この辺りは下山道と兼用なので下山者がマナー
よく道を譲ってくれたりすることが結構ある。譲られると
速く通り過ぎなくてはならないと思って一時的にペースが
上がるわけだが、すれ違うと一気に疲れて立ち止まりたく
なってしまう。特にすれ違いがなくても、ギザギザを
ひとつ過ぎるたびにとか、酷いときには数歩進むたびに
小休止が必要な状態が続き、頂上もなかなか近づいてこない
中、とうとうガスまで上がってきてしまった。この辺り
では本当にいつになったら着くのかと不安と疲れがピーク
に達しており、油断すると意識を刈り取られてしまいそうな
眠気もあいまって、もうただ足を前に動かし続けるしか
なかった。
 
 
 
== 12:00 御殿場口山頂 そして剣ヶ峰へ ==

何個目だかわからないギザギザを越え、遠くに白い鳥居が
見えてきたときは嬉しさと安堵感でいっぱいだった。
こうしてようやく御殿場口山頂に到着したわけだが、
ここで休んでしまうと剣ヶ峰まで行く気が失せてしまい
そうだったので、すぐに富士宮口の山頂に移動した。
この辺りは何度も歩いた道なので大体の距離感も分かって
おり、気分も楽だ。剣ヶ峰への難所である馬の背も
それほど苦しむことなく越え、12:20には剣ヶ峰に到着した。


 
 
これで、標高差3300m を歩きぬくことにとうとう成功。
13時間に渡る苦行を経た後だけに、言い表しようのない
達成感をひしひしと感じ、しばし余韻に浸ってから
下山を開始した。
 
 
 
== 13:15 下山開始 ==

剣ヶ峰で小休止してから富士宮口山頂に戻り、山頂郵便局で
ハガキを投函。夏の間だけとはいえ、こんな所で営業してるのは
相変わらずすごいものだ。そして、御殿場口に戻り、昼食を摂ったり
してから下山を開始した。

下り出すと意外と足は動くもので、登りで死ぬほど苦労した道のりを
快調に下っていき、1時間ほどで7合5勺 砂走館に到着。
行きは2時間半かかったんだが・・・

そして、すぐ下にある日の出館から先はお楽しみの大砂走り。
ここはホントに足が疲れていても飛ぶように降りられるから、
富士山の登り降りの工程で一番好きな場所だったりする。
須山口分岐から先は地面が固くなるので滑りやすく、
転倒に気をつけないといけないが(実際、米兵っぽい人が
派手にすっ転んでた)、全体的に快調に降りることができた。


 

  
== 15:18 新5合目 大石小屋 ==

そんなこんなで、砂走館から1時間で新5合目大石小屋に到着。
登りは4時間半近くかかった道のりを1時間!
この数字だけでも、どれだけ登りにくい道だったのか
察していただきたい。

この勢いなら駅まで歩けるんじゃないか、という思いも
一瞬あったものの、ちょっとした段差につまづく足の上がらなさ
っぷりはこの後の20km以上続くアスファルト道路は無理、
と判断し、タクシーで御殿場駅まで帰った。

その後の御殿場線で爆睡し、終点で親切なおばあさんに
起こしてもらったのは言うまでもない。


というわけで、若さにまかせた大いなる無茶はこれにて終了。
思えば、この時の経験が鷲羽岳日帰りとかに活きてきたんだろう。
(歩き続けた時間だけ考えるとトントン?)

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