K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

東日本大震災から36日目

2011年4月16日(土)晴



また大きく揺れました。東京23区は震度4でした。

昨日書きました平井憲夫さんの「原発がどんなものか知ってほしい 原発とはこういうものですよ」は、今だから良くわかる原発の実情です。なぜ、東電が事故当初から今日までの後手後手、モタモタの理由が理解できます。是非、お読みください。クリックすると飛びます


私は節電に努めています。計画停電にならないためは勿論ですが、潤沢な電気がなくても生活できる、と、電気会社がわかってくれたらいいな、と。私のできる脱原発への道のはじめの一歩

リヴィングの灯をLEDの6W(60W相当)を3つですが、今回の節電で1つにしています。

原発は事故がなくても空気中に、海水に放射能は漏れ出ています。福島第一原発の今後の成り行きではチェルノブイリ事故より放射能が多く漏れるおそれがあると東電も言っていました。チェルノブイリの事故は1つの炉です。今回は4つの炉(5・6号機も心配ですが)、しかも2~4号機の炉はチェルノブイリ事故の炉より大きいです。



ネットの毎日新聞(4月16日(土)19時51分)に<東日本大震災>行政介さず直接支援 ネット通じ活動広がるという記事が載っていました。コピーします。
東日本大震災の被災地で足りない物を、行政を介さずに直接被災地に送る「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が広がりを見せている。ネットを通じて物資の支援を呼びかけ、現地の受け入れ担当者へ送ってもらう。同プロジェクト代表で早稲田大大学院講師の西條剛央さん(36)は「現地の前方支援と全国の後方支援を連携させ、必要なところに必要な分だけ無料で届ける画期的なシステム」と話す。
 西條さんは4月上旬、知人とともに津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町を訪ねた。大人には酒や女性用の化粧水など生活の質を高めるもの、子どもにはおもちゃや雑貨などが喜ばれた。一方、物資が大きな避難所で余っているのに、小さな避難所まで行き渡っていない現実を目の当たりにしたという。
 その時、南三陸町で被災した鮮魚店経営、三浦保志さん(56)と出会い、現地の窓口になってもらってプロジェクトが始まった。支援は(1)町内の避難所を回る三浦さんから「今、何がどれくらい必要か」というニーズを聞く(2)西條さんがブログやツイッターを通じてその物資の支援を呼びかけ、応じた人から直接宅配便で三浦さんのもとに送ってもらう(3)三浦さんやボランティアらが、トラックで町内を回り、配る−−という流れ。
 現在、お菓子やサンダル、生理用品など不足がちだったものが多種多様に届く。三浦さんは、「感謝の一言。町民が自立した生活ができる基盤としていきたい」と語った。
 同町だけでなく、石巻市や岩手県陸前高田市など、津波の被害が大きかった地域へ支援の輪は広がっている。西條さんは「何か役に立ちたいがどうしたらいいかわからない、と思っている人も多い。そういう人にはこのシステムを活用してほしいし、今後は行政や企業への働きかけもしていきたい」と話した。
 同プロジェクトのホームページは(http://fumbaro.org/)。【後藤豪】


ふんばろう東日本支援プロジェクトhttp://fumbaro.org/



今日の実家のお花です。午後に雲行きが怪しくなりました。放射能を含む雨が降るのではと
心配なくお花をながめたいですね。

オオアマナ


シロヤマブキ


カタバミ


タンポポ


タンポポ


カキドウシ


山椒(実生からです)


向かいのお宅の八重桜です
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