楽園の復活―マイ・コールド・プレイスー ③
まずは共通点である。ざっと見たところ、三者とも色彩の描写、あるいは直接色彩を感じさせる描写が多い。
サンプル①には、まず「こい緑色のこおりの層」があり、「こおりついた」水の透った白さがある。「まじりけのない砂糖」のような氷柱は透きとおらない白だろう。使われている色は、緑と白の二色である。
サンプル②には、はじめに「青々とした緑の草地」があり、「雪のように白い樹肌」があり、マローン樹の葉の「うすい金色」があり、「白いフレト」がある。ついでまた「緑の丘」があり、「金色の花」があり、またしても「緑の草」と「淡い淡い青をまじえた白い花」があり、「青く広がる空」があって、「赤々と照らす午後の日射し」と「緑の影」でおわる。使われているのは、緑と白、青と金色と赤の五色である。
サンプル③の場合は、まず「薔薇色がかった紫のアマランス」があり、「藺草と草原」の緑があり、「やわらかな桃色とモーヴ色の空」があり、「マゼンダ色」の靄がある。使われているのは、赤紫と緑、桃色とモーヴ色、マゼンダ色の五色である。
こうして比べてみると二点気づくことがある。ひとつは、色彩がつねに細部を形容している、あるいは細部そのものである①②と比べて、サンプル③の光景は細部の形の描写に欠ける点である。サンプル①から浮かびあがる凍った川のみごとな立体感はどうだろう。サンプル②の森の丘は正直くどすぎる感が否めないものの、少なくともそのまま絵にはおこせる。①および②の光景を十名の挿絵画家が描いた場合、できあがる十の絵画の構図にさほどの差異はないと思われる。しかしサンプル③となると、仕上がりは相当まちまちになるだろう。
つぎに気づくのは色調そのものの違いである。①と②の画面が分かりやすい原色――絵の具のチューブからそのまま絞り出したような、混色の少ない、意識して思い浮かべようと努めなくてもほとんど反射的に浮かべられる色彩で統一されているのに対して、③に使われる色彩はほぼすべて中間色である。桃色とモーヴ色を混ぜると何色になるのか? 赤系統だということのほかとっさに判断がつかない(そもそもモーヴ色とは何ぞや?)。
相違点は他にもある。サンプル①と②には、じつは感覚的な喩えが少ない。使われている形容と比喩は、サンプル①の場合、「ひらたい」「こい」氷の層、「低く」なったダムの下流、「かがやき」、「まじりけのない砂糖でこしらえた大きな花」で「かざりあげたような」氷柱の壁、である。
サンプル②の場合、「大きな」塚山、「王冠を二重に置いたような」環状の木々、「姿のよい」裸の枝ぶり、「美しい」木立、「高い」マローン樹、「きらきらと光る」フレト、「星のような形の」花、「ほっそりとした」茎、「かすみのようにぼうっと光る」花々、である。
サンプル③の場合、まず「かぐわしい」大気の香り、「たけの高い」「百合めいた」アマランスの「悩ましい」揺れ方、「ゆるやかに」起伏する土地、「うねうねとした」小径、「かぐわしい」果樹園、「波うつように」広がる荒野その他、「澄んだ」空、「えもいわれぬ微妙な」光、である。
サンプル①の唯一の比喩は「砂糖でできた花のような」氷柱の壁であり、②の比喩は「王冠を二重においたような」木々と、「星のような」花の形と、「かすみのよう」な花々の光である。③の比喩は、「百合めいた」花と、「波うつよう」な土地である。①と②がともに視覚的、または形状をあらわすものが多いのに対して、③の形容はさして視覚の助けにはならない。「えもいわれぬ微妙な光」というのは形容として怠慢ではなかろうか? えもいってくれなければ私には分からん。
まずは共通点である。ざっと見たところ、三者とも色彩の描写、あるいは直接色彩を感じさせる描写が多い。
サンプル①には、まず「こい緑色のこおりの層」があり、「こおりついた」水の透った白さがある。「まじりけのない砂糖」のような氷柱は透きとおらない白だろう。使われている色は、緑と白の二色である。
サンプル②には、はじめに「青々とした緑の草地」があり、「雪のように白い樹肌」があり、マローン樹の葉の「うすい金色」があり、「白いフレト」がある。ついでまた「緑の丘」があり、「金色の花」があり、またしても「緑の草」と「淡い淡い青をまじえた白い花」があり、「青く広がる空」があって、「赤々と照らす午後の日射し」と「緑の影」でおわる。使われているのは、緑と白、青と金色と赤の五色である。
サンプル③の場合は、まず「薔薇色がかった紫のアマランス」があり、「藺草と草原」の緑があり、「やわらかな桃色とモーヴ色の空」があり、「マゼンダ色」の靄がある。使われているのは、赤紫と緑、桃色とモーヴ色、マゼンダ色の五色である。
こうして比べてみると二点気づくことがある。ひとつは、色彩がつねに細部を形容している、あるいは細部そのものである①②と比べて、サンプル③の光景は細部の形の描写に欠ける点である。サンプル①から浮かびあがる凍った川のみごとな立体感はどうだろう。サンプル②の森の丘は正直くどすぎる感が否めないものの、少なくともそのまま絵にはおこせる。①および②の光景を十名の挿絵画家が描いた場合、できあがる十の絵画の構図にさほどの差異はないと思われる。しかしサンプル③となると、仕上がりは相当まちまちになるだろう。
つぎに気づくのは色調そのものの違いである。①と②の画面が分かりやすい原色――絵の具のチューブからそのまま絞り出したような、混色の少ない、意識して思い浮かべようと努めなくてもほとんど反射的に浮かべられる色彩で統一されているのに対して、③に使われる色彩はほぼすべて中間色である。桃色とモーヴ色を混ぜると何色になるのか? 赤系統だということのほかとっさに判断がつかない(そもそもモーヴ色とは何ぞや?)。
相違点は他にもある。サンプル①と②には、じつは感覚的な喩えが少ない。使われている形容と比喩は、サンプル①の場合、「ひらたい」「こい」氷の層、「低く」なったダムの下流、「かがやき」、「まじりけのない砂糖でこしらえた大きな花」で「かざりあげたような」氷柱の壁、である。
サンプル②の場合、「大きな」塚山、「王冠を二重に置いたような」環状の木々、「姿のよい」裸の枝ぶり、「美しい」木立、「高い」マローン樹、「きらきらと光る」フレト、「星のような形の」花、「ほっそりとした」茎、「かすみのようにぼうっと光る」花々、である。
サンプル③の場合、まず「かぐわしい」大気の香り、「たけの高い」「百合めいた」アマランスの「悩ましい」揺れ方、「ゆるやかに」起伏する土地、「うねうねとした」小径、「かぐわしい」果樹園、「波うつように」広がる荒野その他、「澄んだ」空、「えもいわれぬ微妙な」光、である。
サンプル①の唯一の比喩は「砂糖でできた花のような」氷柱の壁であり、②の比喩は「王冠を二重においたような」木々と、「星のような」花の形と、「かすみのよう」な花々の光である。③の比喩は、「百合めいた」花と、「波うつよう」な土地である。①と②がともに視覚的、または形状をあらわすものが多いのに対して、③の形容はさして視覚の助けにはならない。「えもいわれぬ微妙な光」というのは形容として怠慢ではなかろうか? えもいってくれなければ私には分からん。