私的海潮音 英米詩訳選

数年ぶりにブログを再開いたします。主に英詩翻訳、ときどき雑感など。

頌歌 ―不死なる幼きころに 第八連①

2013-12-18 22:37:55 | 英詩・訳の途中経過
Ode:
Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood

William Wordsworth

VII [ll.109-118]

Thou, whose exterior semblance doth belie
Thy soul's immensity;
Thou best philosopher, who yet dost keep
Thy heritage, thou eye among the blind,
That, deaf and silent, read'st the eternal deep,
Haunted for ever by the eternal Mind,--
Mighty Prophet! Seer blest!
On whom those truths rest
Which we are toiling all our lives to find,
In darkness lost, the darkness of the grave;


頌歌 ―不死なる幼きころに

ウィリアム・ワーズワース

VII[109-118行目]

ああ汝よ 汝のうわべはおしかくす
きわまりしらぬたましいを
ならぶものなき哲人よ たまわるものを
まだたもち めしいのなかで目をひらき
耳はとざして語らずに 常の深みを読むものよ
とこしえに 常の心にとりつかれ――
力あふれるかんなぎよ ことほぎうけて視るものよ
汝がもとで 休むまことを
吾らみな 生をかぎりに追いもとむ
おくつきの 暗きのうちで迷いつつ


 ※109行目「汝」はどちらも「ナレ」、116行目の「汝がは「ナが」、111および112行目の「常」は「トワ」とお読ください。eternalは基本的に「非時/ときじく」と訳すつもりでしたが、ここは音数を優先。また、11行目「めしい」は差別用語かもしれませんが、文芸作品上の修辞ということで何卒お目こぼしください。
 修辞といえば118行目の「暗き」を名詞として用いるのは、技量的に気づいていただけるか不安ですが、わりと意識的な本歌取りです。元ネタはこれ。↓


 暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥に照せ山の端の月〔和泉式部〕 



頌歌 ―不死なる幼きころに 第七連③

2013-12-11 23:41:10 | 英詩・訳の途中経過
Ode:
Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood

William Wordsworth

VII [ll.100-108]


But it will not be long
Ere this be thrown aside,
And with new joy and pride
The little actor cons another part;
Filling from time to time his 'humorous stage'
With all the Persons, down to palsied Age,
That Life brings with her in her equipage;
As if his whole vocation
Were endless imitation.



頌歌 ―不死なる幼きころに

ウィリアム・ワーズワース

VII[100-108行目]

けれどそれほど遠からず
ゆめははたへと投げやられ
あらたな矜りとよろこびで
ちっぽけな 演じ手は ほかの台詞をそらんじる
おどけ芝居をおりおりに
みたすあらゆる役柄は 中風病みにいたるまで
生がおのれの伴として もたらすものにほかならず
なすべきことはすべてただ
果てない真似びであるように



 ※102行目「矜り」はホコリです。
  そして最後の行は「果てぬ真似びにすぎぬよう」とまだ迷っています。「すぎぬよう」という結びは使いたいのですけれど、「-ぬ」が重なるのが何となく気に食わない。Endlessを「果てない/果てぬ」以外にできればいいのですが…



雑文〔時事問題のみ〕

2013-12-07 00:11:12 | 日記
コザカナです。日記に近い感想をつづります。

本日、特定秘密保護法がやはり成立したとのことでした。
私はどちらかというと紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ、といったタイプの人間ですし、政治や経済向きのことについては子供じみて無知です。
ですから以下に述べることはきわめて月並みかもしれません。ただ、私自身の漠然とした不安をまぎらわせるために書きたいと思います。

昨日の強行採決の様子をテレビ中継で見ながら、私は多数決の原理の暴力性のようなものを感じました。今回のことを支持する人は、「民主的な選挙で選ばれた国会が多数決で法を可決することに何の問題があるのか」と言う……かもしれません。多数決の原理にのっとった民主主義が絶対的な善であるなら、たしかに何の問題もないでしょう。100人のうちの一人の意見と99人が同意する意見だったら後者を重んじる。それは多くの人が当然と思うことでしょうし、私も思います。しかし、この原理だけに則すると、51人の意見は49人の意見より重んじられることになります。私としては、これは当然とまでは思えません。なにごとも極端な原理主義はよくない。
 もちろん、現実問題、100のうち一匹の迷いヤギを捜して他を放っておくことなど出来ないというのは分かります。ただ、その一匹を見捨てたことへの後ろめたさを、多数派はつねに抱えていなければならないとも思います。多数派がただ多数派であるという理由だけで「自分たちこそが絶対の正義だ」と考え出すのは怖ろしい。私たちにとってこの法がそれほど必要なものだというなら、なぜもう少しゆっくり話し合ってくれなかったのでしょうか? なぜ多くの意見に耳を傾け、私たちにもっと多くを伝えてくれなかったのでしょうか? 先日プリントアウトしたばかりの法案を、私は結局ざっと読み流すことしかできませんでした。もう成立してしまったものに対して何をすればいいのか分かりませんが、とりあえずは読み続けてみます。そして心に決めました。今後はもう少し世の中のことに興味を持ちます。それから最高裁判所裁判官の国民審査をまじめにやることにします。……私はどうも「司法の番人」に夢を抱いている気がします。裁判所とユニセフと赤十字にだけは悪いことをしてほしくない。
 話が逸れました。ともあれ、法は成立してしまったようです。願わくば2013年12月6日が遠い未来の歴史教科書に太字で載ったりせんことを。

頌歌 ―不死なる幼きころに 第七連②

2013-12-05 15:27:43 | 英詩・訳の途中経過
Ode:
Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood

William Wordsworth

VII [ll.91-99]

See, at this feet, some little plan or chart,
Some fragment from his dream of human life,
Shaped by himself with newly-learned art;
A wedding or a festival,
A mourning or a funeral;
And this hath now his heart,
And unto this he frames his song;
Then will he fit his tongue
To dialogues of business, love, or strife;



頌歌 ―不死なる幼きころに

ウィリアム・ワーズワース

VII[91-99行目]
 
足もとに 地図や海図をちらばして
人らしい 生への夢のきれはしを
おのれみずから凝らせる あらたにまねぶ技により
よばいやまつりや
とむらいや なげきを
今は胸にだき
夢へと唄をこしらえて
やがては舌をなじませる
なりわいや 愛や不和との語らいに 



 ※原文ですと94から98行目の文頭がずれているため気づきませんでしたが、この部分、SとAとTとが頭韻を踏んでいたようです。

 押韻はさておき、最近自分の韻律の傾向に気づきました。原文が弱強格(アクセントを強調すると「ッタッタ」という感じ?)ですと五七調、強弱格(=「タッタッ」?)ですと七五調に訳しがちだったようです。今回の「頌歌」はそれがなぜかみな逆になってしまいました。五連目冒頭「生まれてくるとは眠ること」や七連目の「幼きものをしかと見よ」が、自分の中で今一つしっくりこないのは、所謂「ますらおぶり」的な強さをもつ弱強格を滑らかすぎる七五で訳してしまったため……かもしれない。しかし、こういうのは迂闊に意識しすぎるといけない気もします。訳でも創作でも、一番しっくりくる言葉は無意識がもたらしてくれる気がするのです。

 訳より長い戯言をすみません。
 訓練がてら、ちょっと七連目冒頭の書き直しメモを下に。

  しかと見よ 生のはじめのことほぎの さなかにいます幼子を

 ……やはりこのほうがいいか?