鈴木宗男ランド ブログ by宗援会

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宗男日記から

2010年07月01日 | Weblog
ムネオ日記
2010年7月1日(木)
 今日の朝刊各紙は、1面のコラムでサッカーワールドカップ岡田ジャパンのことに触れている。

●朝日新聞「天声人語」
 先の冬季五輪で女子フィギュアを制した金妍児(キムヨナ)選手は、フリーの演技を終えると、泣きながら手を振った。氷のハートを思わせる彼女。演技後の涙は初めてという。重圧のほどを知り、韓国中がもらい泣きしたそうだ▼めったに泣かない人の涙は胸を打つ。W杯のパラグアイ戦を終えた日本代表も、多くが頬(ほお)をぬらしていた。仲間の泣き顔に、完全燃焼はおれも同じだと涙でこたえる、そんな絵に見えた。こみ上げる思いは、真夜中の列島も湿らせた▼0―0の末のPK戦。選手の髪に、ちぎれた芝がついている。延長戦まで120分を走り、転がり、精根尽きた男たちが、肩を組んで祈った。敗者を作るための儀式は、いつも非情である▼4戦とも、人数をかけて泥臭く守った。体格で劣ろうが、激しく動き回り、少ない決定機を待った。たびたびの円陣と、「このチームでもっと」のコメントが示すように、控えや裏方を含む結束も素晴らしかった▼結束、連帯は、南アフリカ大会のキーワードでもある。出稼ぎで都市に出た黒人にとって、サッカーは横につながる唯一の場だったのに、黒人参加のプロリーグは人種差別につぶされた。苦難の時を経て、W杯開催の誉れを手にした人々だ。わが代表の健闘にも励まされたかと思う▼乾いた日々が続く。結果こそ悔しいが、もらい泣くほどの共感もたまにはいい。国民をやきもきさせ、夢中にし、元気づけた岡田ジャパン。世界を驚かせ、燃え尽きてなお、未知の成果を持ち帰る。もう一つの「はやぶさ」を、熱い拍手で迎えたい。
 
 
●読売新聞「編集手帳」
 サッカーのPK戦をめぐる印象深い挿話がある。20年前のW杯イタリア大会、イビチャ・オシム監督率いるユーゴ代表の対アルゼンチン戦である。退場者とゴールキーパーを除く9人の中からPKを蹴(け)る5人を選ぶとき、7人が監督に申し出たという。「私を外して」◆蹴る5人を決めると、オシム監督はプレーを見ずにロッカールームへ消えた。「(PK戦は)クジ引きみたいなものだから」。そう語ったと、木村元彦氏の著書『オシムの言葉』にある◆おびえるほどの緊張と、運の非情と、それがPK戦らしい。南アフリカ大会の8強入りをかけたパラグアイ戦で女神は日本に微笑(ほほえ)まなかった◆敗退の瞬間、不運にもPKを外した駒野友一選手が泣きじゃくり、その肩をこれも涙の松井大輔選手が抱き、岡田武史監督が抱いた。開幕前は酷評もされた彼らには、寄り添う互いの体温だけを頼りに風の冷たさに耐えた日もあったろう。勝利より深く胸を刺す敗北の情景もある◆戦争にまつわる用語をスポーツに持ち込むのは趣味に反するが、「戦友」という言葉がこれほど似合う集団をほかに知らない。ありがとう。


●毎日新聞「余録」
 「この大会では二つの可能性がある。私のはげ頭にキスをしてもらえるのか、それともトマトをぶつけられるかだ」。かつてサッカーのイタリア代表監督をつとめたアリゴ・サッキ氏の言葉だ。称賛も非難も一身で引き受けるのが代表監督だ▲「(ゲーム内容を)覚えてないんだよね。いまだにビデオも見ていない。自分の中でトラウマになっているのかもしれない」。岡田武史日本代表監督は、1次リーグ3戦全敗で非難を浴びた98年ワールドカップ(W杯)フランス大会について7年前の対談で明かした▲それに先立つ予選では「負けたら日本にいられなくなる」と夫人に電話したこともあった岡田監督だ。その途方もない代表監督の重圧を知りながらあえて日本代表を率いた2度目のW杯挑戦は、チーム全員のみごとな敢闘をたたえる歓声と拍手のなかで終幕を迎えた▲何しろ今度の南アフリカ大会初戦のカメルーン戦の直前まで「負けなら大会途中でも監督解任すべし」との声すら聞かれた日本代表だ。それが今や「岡ちゃんごめん!」と手のひらを返したような岡田ジャパン礼賛の嵐だから、いやはや代表監督も本当に大変である▲この世評の激変に「これだけ変わるということは、また変わるということ。バッシングされても褒められても自分の道を進むだけ」とはご当人だ。フランス大会以来の毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)のジェットコースターは十分に堪能したろう▲どうも縮こまりがちな自己評価でがんじがらめになった今日の日本人だが、「世間の評判」を実力によりひっくり返してみせた岡田ジャパンだった。分け与えてもらった「元気」は大切にしよう。


●日本経済新聞「春秋」
 枕草子に「すさまじきもの」を並べ立てた段がある。「昼ほゆる犬、春の網代、三、四月の紅梅の衣」と続く有名なくだりだ。古語の「すさまじ」は興ざめする様子のこと。昇進の前祝いをしてアテが外れたとき、という例も出てくる。
 ▼そういう言葉が今は逆の意味になった。ものすごい、凄絶(せいぜつ)な、といったニュアンスだ。現代版の「すさまじきもの」を探すなら、日本がベスト8進出をかけたサッカーのワールドカップ(W杯)パラグアイ戦はその筆頭格に違いない。死闘120分の末のPK戦。テレビの前で悲鳴をあげた人が無数にいただろう。
 ▼いつもながら、PK戦とはなんとまあ残酷かと思う。勝者を決めるというより、どちらか不運なほうを振るい落とすための仕掛けというべきか。クロスバーにシュートをはじかれた駒野選手の泣き顔はそれを物語ってあまりあった。まさかの失敗。冷厳な現実。われらの胸をつまらせてサムライジャパンは散った。
 ▼大会直前の試合では敗北を重ね、それこそ枕草子の「すさまじきもの」に当てはまりそうだった日本代表である。それが南アフリカの地で、目を見張る活躍を見せてくれた。すさまじきものはこのチームと、これはもちろん現代語の意味で大いにたたえよう。サッカーという芸術が、人の心を揺さぶってやまない。


●産経新聞「産経抄」
 歴史に残るスポーツの名勝負には、必ずといっていいほど、悲劇の主人公の存在がある。高校野球史上、最高の名勝負といわれた昭和54年の夏の甲子園、箕島高校対星稜高校の3回戦の場合は、星稜の加藤一塁手だった。
 ▼延長十六回裏、捕れば星稜の勝利となるファウルフライを、人工芝の切れ目に足を取られて落球してしまう。ホームランで同点にした箕島が、十八回にサヨナラ勝ちした。その後も勝ち進んで、春夏連覇を達成することになる。
 ▼加藤さんがその後の人生で、一時野球を捨てるほど苦しんだと、後で知った。サッカーW杯南アフリカ大会で勝負の女神は、日本の8強入りをまだ望まなかったようだ。パラグアイに敗れた試合で、駒野友一選手を主人公に選んだ。
 ▼まさかのPK失敗は、2000年のシドニー五輪、サッカー男子準々決勝の米国戦で、当時のエース中田英寿選手が外して敗れたシーンを思いだす。駒野選手の耳は、どんな慰めの言葉も今は受けつけまい。それでもあえて、「泣くな、駒野」と言いたい。
 ▼深夜の生中継の平均視聴率は50%を超えた。パラグアイの猛攻を、必死でしのぐ日本代表チームの姿に、多くの人が眠気を忘れて見入ったはずだ。個々の選手の能力では見劣りがしても、チームとしては互角に戦っていた。1足す1が、3になり4になる、日本サッカーの神髄を世界に示してくれた。
 ▼ブラジル出身の闘莉王選手が、「日本人になれたことを誇りに思う」と胸を張った気持ちがよくわかる。試合が終わって、泣き崩れる駒野選手の肩を、ずっと抱いていた松井選手の目からも涙が止まらなかった。悔しさだけではない。チームメートの腕から伝わる温かさもまた、駒野選手は生涯忘れないだろう。
 
 
 ワールドカップが始まる前は、岡田監督、日本代表選手に対してバッシング、批判が渦巻いていた。しかし予選を突破すると、岡田監督、選手に対して手の平を返した様な礼賛。「この温度差は何だ?」と思った。
 パラグアイ戦での善戦、監督も選手も、いつの時も全力でやってきた。日の丸をつけて、日本代表、アジア地区代表としてしっかりした心構えでやってきたのである。
 チームプレーに徹し、集中力を持って戦った岡田ジャパンである。岡田監督は、北海道のクラブチームであるJ2のコンサドーレ札幌の監督を務め、J1に引き上げたこともある。大した指導者であることを証明した。
 昨日の南アフリカを出発する時のインタビューでの「もう一試合やらせたかった」という岡田監督の言葉に、何とも言い様のない温かさ、思いやりを感じたのは、私だけではないだろう。
 改めて岡田監督、日本代表選手団を心から讃(たた)えたい。
 8時小松発で東京に戻り、議員会館で打ち合わせ。
 昼過ぎ、安住淳民主党選挙対策委員長と選挙情勢について意見交換。特に一人区についてすりあわせる。
 あと10日間、まさに天王山である。必勝の信念で闘うしかない。
 15時20分発で鹿児島へ。鹿児島選挙区は民主党公認の柿内弘一郎さんを、全国区比例代表は八代英太さんをお願いする。
 昨日の福井でも、鈴木宗男福井後援会が何百人も人を出してくれていたが、鹿児島鈴木宗男後援会もフル稼働である。
 鹿児島選挙区も大接戦の様相で、残された10日間、より頑張った陣営が勝利することになる。鹿児島選挙区は柿内弘一郎さん、全国区比例代表は八代英太さんと、重ねて重ねてお願いさせて戴く。
 鹿児島は久しぶりの晴れということで、皆さん「天気を持ってきてくれた」と喜んで下さる。心配された水害もなく、ホッとした次第である。

鈴 木 宗 男

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新党 大地 


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